2008.07.26 伊豆:初島 (その2)




■初島アイランドリゾート




島の東端に着くと、初島アイランドリゾートの敷地となる。アジアンガーデン R-Asia と銘打ってリニューアルオープンしたのが2006年というから、まだ設備は新しい。 とにかく入ってみよう。




おお、なんだかリゾートっぽいぞ… ヽ(´ー`)ノ

海沿いにはプールとビーチチェアが並び、ゆっくり、まったりとした雰囲気が漂う。意外と子供は少なく、ちょっとした大人の休憩所といった感じだ。海水を沸かした温水に浸かれるオーシャンビューの入浴施設もある。

すっかりソープランド・シティ(なんだそりゃ)と化した熱海にいるより、ひょっとしてこちらで過ごす休日のほうがゆったりとした寛ぎの時間が過ごせたりして…(^^;)。




案内板をみると初島アイランドリゾートの全体像はこんな感じである。キャンプエリアの収容余力
は8組限定で、話を聞くと競争率はかなり高いそうだ。




さてさしあたってプールや風呂で時間を潰すほどの余裕はないので、アジアンガーデンのほうに上がってみよう。




崖の上に上がってみると、すっかり南国世界の雰囲気でこちらもゆっくり、まったりの世界。…というか、既にニッポンではなくて文字通りの無国籍風アジアンリゾートだなぁ… ヽ(´ー`)ノ

売店と雑貨屋が散在した芝地に、なぜか沖縄音楽が流れていた。どうやら沖縄フェアをやっているらしい。ショーもやっているみたいだけれど時間は合いそうにないので、とりあえずカキ氷で水分補給をしつつ散策してみよう。




それにしても、こうやって椰子の木と空を切り取ってみると本当に亜熱帯の気分だなぁ…ヽ(´ー`)ノ

新幹線と連絡船をうまく乗り継げば東京都心から2時間未満で簡単に南国気分を味わうことができるのだから、この島の立地というのは割と大したものなのかもしれない。"ついでにちょこっと" の気分で熱海から足を伸ばせる距離感は絶妙といえる。




撮影環境でいえば、熱海でも蘇鉄や棕櫚/椰子などは見られるけれど、ここでは背景にビルや電線、看板などが入らないぶん自由な撮影ができるのは大きい。




ガーデン内にはハイビスカスが咲いていた。温室ではなく露天で植えてあり、10月くらいまで花期があるそうでこれは沖縄とほとんど変わらない。調べてみると露天でハイビスカスが耐えられるのは冬季でも気温が5℃以上必要とのことで、そうすると初島では基本的に雪は降らない…ということになるのだろうか。




こちらはブーゲンビリア。やはり熱帯性の植物で、初島では路地植えである。本土でもハウス栽培なら見かけるが、路地モノということで価値が高そうだ。

※筆者は山国+避暑地の在住なので、南国系の景色には採点が甘いかも…(^^;)




天の声が消費行動を通じで我が国経済に幾許かの貢献をするのを待って、もう少し奥に行ってみることにした。
散策路があるので進んでみたが、こちらにはほとんど人はいない。




ガーデンの先にはゴーカート場があり、公園のように整備された煉瓦道がつづく。芝生も樹木も人工的に整備されたもので、かなり大規模に公園化が勧められたようにみえる。しかしどうやら観光客の大部分はリゾート施設の "箱庭" にいるのが心地よいらしく、せっかく散策路が整備されていても歩いている人はほとんどいない。




■初島灯台より




ぐるりと歩いて、島内でおそらく最も高い場所、初島灯台にやってきた。実はここは筆者の密かな目的地である。さっそく上ってみよう。




おお、さすがに視界が効く…ヽ(´ー`)ノ

空気の状態がよければ伊豆諸島の島々がみえるというけれど、今日は微妙に遠方が霞んでいてちょっと残念。それはともかく、360度ぐるりと見渡せる立地はなかなか爽快だ。

ここが一般公開されたのは昨年のことだそうで、この景色を堪能できた外来客の累計はまだ少ない。調べてみると国内で一般公開(=登れる)されている灯台は15箇所しかないらしく、ここがその15番目なのだそうだ。




11倍ズームで 「えいっ!」 とテレ端まで引っ張ってみると沖合いを走るクルーザーが良く見える。どんなお金持ちが乗っているんだろう…なんてことは、虚しいので考えないでおこう(爆)




さて灯台から島の西端側に目を転ずると、あれれ?…予想と違う?!Σ( ̄▽ ̄)

・・・なんと、畑が広がっていると思っていた島の中央部は、すっかり整地されて芝生+植林の散策路となってしまっていたのであった。筆者的には、これはちょっとした衝撃だった(^^;)




ちなみにこれが25年前=昭和58年(1983)の初島の状況である。アジアンガーデンの前身にあたるリゾート施設(写真右端)は存在しているが、島民の住居エリア(写真上端)と外周の防風林をのぞく大部分は畑である。河川はなく、農業用水は雨水が頼りで水田は拓けなかった。

近世の初島では、この環境で耕作可能な土地をすべて畑にして、それで養い得る精一杯の人口規模が約40戸200人余だったのである。半農半漁といってもほぼ自給自足の島の人口を決めるのは穀物の収穫量であり、そのキャパシティから外れた者は島から出て行く…それが、掟だった。

※写真画像は国土交通省撮影のフリーイメージより作成。
※飲用水については現在では熱海から海底を通じた水道が引かれている。かつては井戸があった。





実を言うと筆者はその厳しい慣習の元となった畑の写真を撮りたいと思っていたのである。しかしどうやら来るのが遅かったらしい _| ̄|○

…それにしても、かつての "命の源" を削って作られた散策路に、歩いている人が殆どいないというのはどうしたものだろう。大資本の論理では開発プラン上の "試行錯誤のひとつ" で済まされてしまうかも知れないけれど、筆者にはもう無くなってしまったこの畑こそが、もっとも初島のアイデンティティを現している貴重な遺産のように思えてならなかった。…なんだか微妙に残念だなぁ。




畑の跡地越しに、港からまた定期船が出て行くのがみえる。

島からみれば定期船は外貨(=観光客。もちろん筆者もその一人 ^^;)を運んでやってくる現代の "宝船" といったところだろうか。でも宝船の乗客は気紛れで我侭だ。島の施設にしても、人のいるところ、いないところはハッキリと分かれている。リゾートで生きていく方向に舵を切った島の判断は尊重したいけれど、この現代の夷(えびす)を相手にしていくのは、結構大変だぞ…。

…と、自身も観光地に住んでいる筆者がつぶやいてみた。…説得力がないことは分かっている(自爆)


<つづく>