2011.07.23 復活のアクアマリン、そして福島原発に向かってみる:前編(その1)




震災後の福島県を尋ねて参りました〜 (´・ω・`)ノ

 
福島県の小名浜にある水族館 「アクアマリンふくしま」 が震災から復活したようなので様子を見に出かけてみた。この付近は筆者の自宅のある那須塩原市から最も近い海であり、震災前から何度も訪れていた所である。特にいわき市の海岸は砂浜が広くて絵になる風景が多く、東京近郊の海水浴場のように人がウジャウジャいる訳でもないのでゆったりと散策するにはちょうど良いところなのだ。

震災と原発災害で筆者も一時期はどうなることかと思ったものだが、もちろん災害があったからといって福島県のすべてが壊滅した訳ではなく、人々の営みは続いている。そのような次第で、津波と原発事故のダブルパンチを受けながらも復活しつつあるこの地域の様子を見てみようと思い立ったのである。

そして、せっかく行くからには小名浜からさらに北上し、避難区域(というか立入禁止区域)ぎりぎりまで近づいて、原発周辺が実際にどのような状況なのかも確認してみることとした。結論から言えば明るい話題ばかりという訳ではなかったのだが、目で見た風景をなるべく偏らないようにまとめてみよう。



 

■ 始まりは TEPCO塩原ランドから


 
さて福島に旅立つ前に、筆者の自宅のある那須塩原市内で東京電力の施設がどうなっているのかちょこっとだけ触れておこう。ここは関谷地区にある東京電力の広報施設 "TEPCO塩原ランド" である。…が、見ての通り出入り口やガラス窓はベニヤ板が打ち付けられ、閉館してしまっている。隣接する郷土資料館の管理人氏に聞いてみたところ、ここの営業は3月一杯で打ち切られたらしい。

ベニヤ板が張られたのはガラスに石を投げつけられるのを恐れたためだそうで、当の職員氏は実に肩身の狭い面持ちであったという。職員氏は閉館の日に 「いつの日か再開したいが…」 と語っていたそうだが、その願いが叶うかどうかはわからない。


 
安全軽視の経営がこんな形で地方職員の生活を奪ってしまうなど、震災以前には誰が想像できただろう。ここで働いていたのは水力発電に関わる広報担当員であり、原発事故には直接的な責任はなかった筈だが、彼らは結果として最も苛烈な方法でそれを負わされてしまった。

ここは旅と写真のサイトなのでそのへんの追求はホドホドにしておきたいけれども、経理屋ばかりを重用してエンジニアを幹部から追い出し、安全対策費やメンテナンス頻度を極限まで切り詰めた結果、東京電力は顧客も従業員も営業地域外も含めて、あらゆる人々を不幸にさせてしまった。その教訓が何か意味のある生かされ方をすることを、放射能に関してはプチ被災地の住民である筆者はささやかに希望しておきたい。


 
嗚呼、それにしても…今はもうお目にかかることのできない1/1でんこちゃん…。原発事故以来、東京電力HPからもその存在を抹消され、企業のマスコットキャラクターとしては世にも珍しい突然死を迎えてしまった。

東京電力の社長だの会長の末路がどうなろうと知ったことではないが、「俺のでんこちゃんを返せ!」 と叫びたい大きなお友達はきっと全国で1000万人くらいはいるのに違いなく、その悲しみは日本海溝より深い。




■いざ福島へ


 
さてそんな訳で福島に向かってみる。

この日、世間は台風6号の迷走で天候はいまひとつであった。せっかく行くのであれば晴天の日を選びたいところだが、こちらも夏の節電対策で勤務カレンダーが曜日を無視したメチャクチャ仕様(それも臨時出勤多数)になっているので、あまり日を選んでいる余裕がない。これで宝くじで6億円くらい当たればイヤな上司の顔も見ないで自宅警備と遠征の日々が続けられるのだが…いや、妄想は適当なところで止めておこう。

いつもなら夜明け前に出発するところ、この日は天候の様子を見極めながら午前7時頃に那須塩原市を出た。台風はまだ福島沖をノロノロと北上しているが、この分なら雨にはならないだろう。


 
那須から小名浜方面に抜けるには状態のよい幹線道路というのは無いので、どうしても山間の細い道を行くことになる。基本的には白河から棚倉を経由していくのだが、説明をするのは大変なので途中はすっとばしていこう。




■小名浜市街地


 
さてそんな次第でいわき市の小名浜である。現在のいわき市は合併によって福島県内で最大の人口、面積を誇る巨大自治体となっており、端から端までクルマで1時間以上もかかる。なにしろ東京都23区を全部合わせてさらに2倍した広さがあるのだ。

よって 「いわき市に到着した」 という表現ではどこに至ったのかを正確に表現できず、本稿では市街地単位で表記することとしたい。


 
市街地に入って驚いたのは、その被害の軽微さである。街並みは整然としていてクルマも多く、それほど大きく破壊されている印象は受けない。瓦が転げ落ちて一部ブルーシートが載っている民家はちらほらと見えるが、街は普通に機能しているように見えた。

…これは、どうしたことだろう?

史上最低の無能集団と言われた菅政権は、実は途中から有能なスタッフをスカウトして筆者の知らない間に奇跡のような復興を成し遂げてしまったのだろうか?


 
…そんなことは〜無いのである(爆)

海岸に近づくと、地面がぐにゃりと歪んでいるのが目立つようになってくる。地震によって地盤が緩んで波打ってしまっているのだ。


 
やがて浸水したらしい箇所が現れる。写真ではちょっと分かりづらいかもしれないが、砂や泥が堆積してそれを除去したような跡がみえる。アスファルトも所々浮いて剥がされており、そのような場所には砂利が敷かれて応急修理が行われていた。


 
被災マップと照合してみると、小名浜では津波は海岸から1kmほど内陸まで達したらしい。津波の高さは海面から5mあまりで、陸上に上がってからは2〜3mの水深で家屋をなぎ倒した。小名浜港には長大な防波堤があってこれが幾分かは津波の勢いを削いだ筈だが、今回は津波の規模が大きすぎて乗り越えられてしまったようだ。


 
埠頭近くの海浜道路に出ると、こちらも路面はボコボコ状態である。当初は津波の水圧でやられたのかと思ったが、あちこちに砂が噴出したような痕跡もあるので、もしかするとこれが "液状化" と呼ばれる現象なのかもしれない。

海浜道路付近は心なしかクルマも少なく、無傷だった内陸側の市街地とは雰囲気が違っている。往来するクルマは瓦礫を運んでいるらしいダンプカーやトラックが主でのようであった。


 
そんな風景の中に、やがてアクアマリンふくしまのガラス張りの建物が見えてきた。いまや "いわき市の復興のシンボル" となりつつある水族館である。ともかく様子を見てみよう。

<つづく>