2013.02.11 中部北陸:雪国紀行 〜白川郷編〜 (その1)




前回の続き〜 ヽ(・∀・)ノ



さて親不知で日本海の難所を見た後は、一路白川郷を目指していく。冬の白川郷といえば合掌集落と雪のコラボレーションが定番なので、それを見ておきたいのである。

朝方を親不知で過ごしたこともあって、今回は時間短縮のため朝日ICから北陸自動車道に乗り、砺波からは東海北陸自動車道に分岐して南下していく爆走ルートをとった。この東海北陸自動車道は全線開通が2008年という出来立てホヤホヤの高速道路である。これが出来たおかげで白川郷は僻地感MAXの辺境の文化財保護区からメジャーなミーハー観光地に昇格した感がある。




そんなわけで富山平野は一気呵成にスルーしていく。時間があれば砺波特有の屋敷林などもじっくり見てみたかったところだが…今回は高速からちょこっとみえる遠景で我慢しておこう (´・ω・`)




■白川郷に入る




山また山の対面通行区間を走り抜けると、やがて白川郷ICに至る。時代が時代なら仮面の忍者赤影(古っ ^^;)が修行していた筈の山々だが、現在ではクルマでひょいと到達できてしまう。なんとも便利な時代になったものである。

一見して少々高いところを走っているのは、隣接するダムの高さに合わせてかなり無理矢理気味に道路が作られているためだ。もともとここは高速道路を通せるような区間ではなく、トンネルだらけのルーティングの中で掠(かす)り抜けるように白川郷の縁を抜けている。ICは崖っぷちにあって直接集落には下りられず、大きく迂回しながら坂を下っていくことになる。




合掌造り集落は、そんな谷底の僅かばかりの河岸段丘に密集している。谷底を流れる庄川の流れに沿って、名古屋圏である濃尾平野と富山平野を結ぶ細い回廊(白川街道≒R156)が飛騨の山々を縫うように通り抜けており、その最も峻険な部分にぽつんと開けた東西1km、南北3kmほどの盆地の南端が、人の住む里となった。地元での呼び名は、荻町という。

もちろん街道沿いにはいくつもの小集落が点在しており、ここだけに合掌造りの家があった訳ではない。しかし "淘汰" という無慈悲なプロセスの果てに残ったのは、あくまでも "比較的" という但し書きがつくものの、ある程度のまとまった人口を保っていたこの集落だったのである。




もともと "白川郷" というのは、この谷間を貫流する庄川流域全体を指す広域名称であったらしい。それが観光化が進むにしたがって次第に合掌集落の呼称に転化していき、現在では富山県側の五箇山とここが、狭義の白川郷として認知されるようになっている。「白川」 という地名は岐阜県側にあるので、存在感としては岐阜県白川村(つまり現在筆者がいるところ)のほうが大きい。




盆地の底に降りると、なんとなく人里らしい風景になった。行政上はこのあたりが地元自治体(白川村)の中心の筈なのだが、人家はまばらであまりそういう雰囲気はない。面積が東京都23区の半分ほどもあるのに人口が1700人しかいない村だそうだから、古い市街地である合掌集落以外はこんな人口密度なのかもしれない(^^;)



 

■展望台




さてそのまま道なりに進むとやがて合掌集落に至る。しかし筆者はストレートにそこには入らず、脇道を登ってまず展望台に上ってみることにした。たまたま持っていた観光案内のお勧めコースによれば、まずは定番の俯瞰風景を見てから合掌集落に入るのがお作法(?)であるらしい。




道すがら、ぽつりぽつりと古民家が見えてくる。

積雪が2mあまりもあるせいか、ちょっと遠くからみると雪の上に直接屋根だけが生えているような印象を覚える。床面積に対して意外と高さがあって重量感のある建物だ。これが密集していたら、さぞかし壮観だろうな。




道はどんどん細くなり、心細くなってきたところで標識を発見、さらに登っていくと…




ほどなく展望台に到着した。

地図を見ると、ここは "荻町城跡" と書いてあり、戦国時代には山下某なる武将の陣屋が置かれていたらしい。…が、今回は戦国的な国盗り物語よりは下々の民衆の暮らしの方にフォーカスしたいので、そっち系の話題はばっさりとカットすることにしよう(^^;)

見れば先客は4名ほどで、停まっているのは普通乗用車が2台のみ。連休だというのにこの程度?…という気がしないでもないけれど、タイヤの跡は多いので、どうやら観光バスで 「えいっ」 とやってきては瞬間展望して即退去、というスタイルで人が来ているようだ。




さてそれではさっそく、眼下の風景を見渡してみよう。…おお、これが合掌集落か〜(´・ω・`)

観光写真などで良く見る風景はf=50mmくらいで撮ったものが多いようだが、ここ(↑)に載せた写真はf=27mmで広角気味に撮っている。周辺の景色と合掌集落の対比を伝えたいと思ったからだ。できればもっと広角に撮りたかったけれども、残念ながら超広角f=15mmのレンズはこのとき持参していなかった。…ちょっと失敗だったかなw

それはともかく、果てしなく広がる山々のなかで、ポツンとここだけ人里が開けていて、あとはひたすら、山、山、山…というのがナニゲに凄い。合掌集落を撮った写真は 「美人のドUP」 系のものが多くてなかなかロングで撮ったものを見かけないけれども、筆者はこの 「巨大風景の中のちょびっと感」 (なんだそりゃ ^^;)というところにまず驚いた。

※ちなみに手前の道路沿いに並んでいるのは新しい住宅で、かつての合掌集落の領域は中央を通る白川街道(R156)の曲がり角付近から向こう側らしい。




このくらい(f=50mm)まで寄ると、よく見かける画角の風景になる。住宅密集部分は南北600m、東西400mくらいだろうか。「世界遺産」 などという大層な看板が付いてしまうと身構えてしまいそうになるが、実際の合掌集落は日本の田舎ならどこにでもありそうな、こんな規模の家々の集合体だったのである。




もっとズームしてf=300mmで集落を切り取ってみた。ここは住民の実生活の場でもあり近代住宅もいくらか混在しているのだが、並べてみると古民家が意外に大きいことに気付く。近代住宅よりも二回りほども建物の規模が大きく、さらには3階建、4階建なんて建物がゴロゴロしているのである。

かつて戦国時代の城の天守の多くが3〜5層であったことを考えると、雪国という特殊事情を鑑みたとしてもなお、農民の住宅がこの規模で作られたというのは少しばかり興味深い。




こんな佇(たたず)まいが、樹氷を戴いた白山山系の山々に囲まれて静かに沈黙している。おそろしく静かな風景で、ときおり何かが聞こえると思うとそれは遥か眼下数百メートルの合掌集落を歩く観光客の声だったりするのである。

TVの旅行番組などで余計なBGMつきの映像に慣れてしまうとなかなか気が付かないけれども、雪国の風景というのはとにかく音のない静寂さとともにある。…観光地化される以前はいったいどれほど寂しいところだったのだろう。


<つづく>