2015.11.11 烏山:那珂川に遡上する鮭を見る(その1)




烏山で紅葉と鮭の風景を見て参りました〜 (´・ω・`)ノ



さて今回はこの季節には珍しい栃木県東部のレポートである。紅葉の季節とはいえ毎度毎度那須や塩原や日光方面ばかり取り上げるのもナニなので、たまには烏山方面を攻めてみようと思った訳だ。紅葉チェッカーでみると烏山の5℃未満の累積日数は8日ほど積み上がり、紅葉もそれなりに期待できるだろうと踏んでのことである。

…が、それよりも今回は鮭の遡上を見てみようという気分が強かった。那珂川は日本列島のサケの遡上域としては南限に近い川で、源流域を除いて魚の遡上を妨げるような堰がほとんどなく海から鮭が登ってきやすい。

しかし筆者は地理的には那珂川水系の周辺に住んでいながら実はこれを見たことがなく、さらには知人に 「見たことがないの? マジ? アホちゃう? 信じられん! 人でなし!」 とツッコミを頂いたこともあって(笑)、遅まきながらちょっくら行ってみようかと思ってみたのである。そんな訳で、紅葉2割、鮭8割くらいのゆるゆるレポートとしてまとめてみたい。



 

■ 烏山への道




では早速出発してみよう。那須野ヶ原はもうすっかり稲刈りも終わって雰囲気は晩秋に移りつつある。冷え込みが来たかとおもえば 「今年は暖冬?」 宣言が出たりして、季節の変動はめまぐるしい限りだが、秋は平和裏にしずしずと進行している。

道すがら、高原山塊を眺めてみた。もう八方ヶ原の紅葉は終わり、紅葉は中腹から下側に移ってきた。もみじラインも上の方はもう落葉気味になっていることだろう。




さて途中は思い切り吹っ飛ばして、さっそく烏山であるヽ(´ー`)ノ 那須や塩原と違って駐車場争奪戦がある訳ではないので、午後遅くのゆったりとした訪問で充分に間に合ってしまう。

インターネット時代の悪い面として 「さあ見頃ですヨ」 という情報が流れるとダーっと皆が集中して飽和してしまう現象が最近は猛烈に増えたけれども、烏山はほどよい具合に間延びしているのが実にいい。なによりゆとりと癒しに満ちている。

…いや決して寂れていると言っているのではないぞ(笑)




烏山は那珂川の大きな蛇行がつくりだした半島状の河岸段丘に築かれた城下町である。その地形は那珂川を天然の堀、河岸段丘を天然の石垣とした要害で、戦国期には那須氏宗家が本拠地とし、たびたび佐竹の軍勢に攻められたものの一度も落城することはなかった。…と、そのあたりを話し出すとこれまた非常に面白いのだが、脱線が長くなりそうなので今回は歴史談義は抑えていこう。

本日のお目当ては城下町ではなく、この半島の先端部にある "境橋" という古い橋の周辺である。ここは那珂川の流れが大きく蛇行している部分で、水の勢いが削がれて川全体が浅くゆるやかな流れになっている。このカーブの内側に広がる砂利の河床が、ちょうど鮭が産卵するのに具合のよい環境になっているという。



 

■ 境橋




そんな訳で烏山の中心市街地を抜け、境橋にやってきた。




ここは戦前(昭和10年)に造られた古いアーチ橋で、烏山から常陸太田に抜ける交通の要衝にあたっている。建設から80年以上が経過して少々くたびれてはきているものの、この時代のバルコニー付きアーチ橋というのは全国的にも珍しい意匠で、当時としては非常にモダンなものであったらしい。




この橋から那珂川の上流側を見晴らすとこんな景観になっている。カーブの外側=水流の激しい部分(画面右)は岩がむきだしの荒々しい景観だが、内側には遠浅の砂利の河床が静かに広がっている。断崖絶壁のつづく上流部と違って、このあたりの那珂川は川相が穏やかだ。




同じく下流側はこんな景観で、川はトロ場が長く続き、崖上には紅葉の綺麗な木々が密集している。カエデやドウダンのような強烈な赤味はないけれども、里山らしい穏やかな紅葉である。

…と、風景を眺めてマターリとしていると、ふいに 「ドボッ、バシャッ…!」 という水音が響いた。石を投げ込んでいるにしてはちょっと妙な響き方だ。




真下を見ると…おお、いるいる。岸からほんの1mくらいのところに鮭がいる。

大きさは60〜70cmくらいはあるだろうか。よく公園の池に放されている鯉よりも一回り大きい。那珂川でこういう魚影をみることは滅多にないだけに、非常に新鮮な感じがする。




こちらは上流側である。何も考えないで単に水面をぼーっと見ているだけではなかなか気が付かないけれども、目が慣れてくるとおびただしい数の鮭が泳いでいるのがわかる。

水深は膝から腰くらいまでのくらいの浅いところで、特に石垢(写真では黒っぽく見える)の無い砂利が綺麗なところを選んで分布しているようだ。総数は…どのくらいいるのだろう? 3〜4mに1匹くらいの密度でいるから、橋の周辺だけでも百匹くらいはいそうな気がするな。




それにしても、正直なところ当初はもっとしょぼい規模のものを想像していただけに、これは嬉しい誤算だった。なにしろ探すまでもなくいきなり幹線道路の橋の下、しかもこれだけまとまった数が群れているのである。

このザワザワ具合は写真だけではちょっと伝わらないかもしれないので、参考までにムービーも用意してみた。筆者的には、ぜひとも現地で本物を見ていただきたいと思う。



 

■ 湧水?




さて探すまでもなく鮭を見つけてしまったので紀行的にはもう書くことがない(笑) しかしそれではあんまりなのでいくらか余談的なことを書いてみようと思う。

まずは鮭の群れているこのむき出しの砂利の河床についてだが、にわか勉強で調べてみたところどうも湧水のあるところではないか…と思ってみた。といっても詳細な地質史料を見たわけではなく、鮭類はとにかく湧水のある河床を好む…といろいろな文献に書いてあるので想像してみたのである。

湧水と言っても温泉のようなものがこんこんと湧いているわけではなかろう。自然の河川は表層だけではなく地下にも水の流れがあって、地層の状態によってそれが湧いて来たり浸み込んだりしている(いわゆる伏流水)。ここは川筋が大きく湾曲している地形なので、地下に潜った伏流水が断崖の地下を浸透して突き抜けてくる成分があるのではないか・・・と思ってみたわけだ。

こういう湧水は、地中の温度を反映して年間を通じて温度変動が少ない。感覚的には夏はつめたく冬は暖かいということになり、鮭にとっては冬季に卵が凍結しない程度の水温を提供してくれる。




ちなみに鮭の受精卵は1日の平均水温の積算値が480度に達すると孵化することが知られている。つまり10℃なら48日、5℃なら96日という具合である。また孵化した稚魚が卵黄嚢(腹部の袋:写真参照↑)の栄養を吸収しつくして自力で泳げるようになるまでにかかる期間も同程度で、やはり温度によって決まってくる。

もし稚魚が海に下り始める早春にぴたりと合わせることを本能的に判断して産卵場所を選んでいるのだとしたら、ちょっとした神秘かもしれなけれど…さて、実際のところはどうなのだろう。

※画像はWikipediaのフリー素材を引用



 

■ 実は結構ボロボロになっている鮭




ところで那珂川における鮭の産卵はヤマメ、イワナなどの棲むような源流域ではなく、中流域が舞台になっている。眺めるのであれば栃木県と茨城県の県境付近に適地が多くあり、筆者の聞いた限りではその遡上の上限は那珂川本流では黒羽城址、支流の箒川では野崎付近にあるらしい。河原でそのへんのおっちゃんが言うには馬頭から烏山のあたりが魚影が濃くて良いとのことだ。




しかしよくみるとここまで上ってくる間に鮭の魚体はずいぶんとボロボロになってしまっている。特に白い斑点のような模様の個体が結構な割合でいるようだ。TVの自然科学番組では綺麗な魚体の映像ばかりが流れるけれど、あれは美人ばかりを集めたヤラセ(ぉぃ ^^;)なのだろうか?




結論からいえばもちろんヤラセでもCG合成でもない(笑) ただし幾らかカラクリはあり、TV番組のVTRは河口堰や滝などのない数km程度の小さな河川(その多くは北海道)で撮ることが多いそうなのである。石狩川などの大河を除くと北海道の河川は意外と短いものが多く、河口から数kmも遡上すれば産卵の適地がたくさんある。ヒグマが鮭を捕まえる映像で有名な知床(しれとこ)半島では川の長さがそもそも2〜5kmくらいしかない。

本州の那珂川レベルの一級河川ともなると遡上距離は100kmほどに及び、鮭はかなり消耗しながら上ってくる。那珂川は水戸市と城里町の境界(河口から25km)までは勾配がほどんどなく水深も深いけれども、城里町に入った途端に急勾配で浅瀬の連続する領域に入り、烏山まで35kmで70mの高さを駆け上がる。黒羽まで上ってくる勇者はさらにあと30kmで100mの高さを上る。水平距離だけではなくこの勾配のきつさが魚体への負担となっているのではないかと筆者は推測している。

おかげで "すべすべお肌の宮廷美人" みたいな魚ばかりではなくなってしまう訳だが、しかしこのほうがむしろ自然の姿だと思うべきなのかもしれない。




余談ながら鮭の遡上開始地点=那珂湊はこんなところである。那珂川は河口から水戸付近までは砂泥質の河床でコイ、フナ、ナマズ、ウナギといった魚種の世界だ。泥の多い河床はサケ・マス類の産卵には適さないので、城里町あたりから上流側の砂利質の鮮明な川相まで遡上していく必要がある。

そんな訳で、鮭はべつにマラソンやトライアスロンが趣味で過酷な遡上をする訳ではなく、産卵に適した環境が下流域ではみつからないのでそれを探して上っていくのである。




なお鮭が遡上するにしたがってボロボロになるのは単に 「疲れた」 と言うだけではなく、いったん海から川に入るともうエサは口にせず絶食したまま遡上を続けることが大きい。この時期の鮭はオスなら精巣(いわゆる白子)、メスは卵巣が成熟してきてどんどん腹の中で大きくなっていく。その収容スペースは消化器官が縮んでレイアウトされるそうで、いったんそのプロセスが始まると胃や腸の機能は失われていき食べ物を口にしたところで消化吸収はできなくなる。

その間、鮭は遡上のためのエネルギーを自らの筋肉組織を分解しながら得るようになる。つまり卵を抱えた後の遡上距離が長いほど(あるいはコース条件がキツいほど)文字通り身を削っていくことになるわけだ。




そうすると免疫力も低下して、普段なら感染することのない水カビ(どこにでもいる水棲性のカビ類)に憑りつかれやすくなる。水カビ症は金魚や熱帯魚もよく罹患する魚にとってはごくありふれた病気だが、遡上で消耗する一方の鮭にとっては馬鹿にできない脅威であるらしい。

特に急流に逆らって段差を跳ね上がっていくような場面では鮭は無数の傷を被るわけだが、この普段ならどうということもない小傷から水カビの感染は広がっていく。その結果、上流に行けば行くほど皮膚が白っぽく荒れた個体が増えてしまうのである。

・・・思えば凄まじい生活史だな (´・ω・`)

※魚の種類によって卵と自分の内臓をどのくらいの割合でトレードオフするかは異なり、同じサケ科の魚でも一発退場型と数年に渡って産卵する種がいる。
※内臓が退化した状態でもルアーで誘えば反射的に食いつくので、「釣る」 という行為は成立するらしい。


<つづく>