2016.05.17 震災の熊本城を歩く(その1)




熊本に行って参りました(´・ω・`)ノ



ひょんなことから熊本地震の復興に携わることとなった。地震が起きてからはや一ヶ月。緊急対応の繁忙期は一山を超えて、そろそろ生活と企業活動の再生フェーズに入ってきている。筆者は一応設備屋の端くれであるので、地震で精度の吹っ飛んでしまった現地工場設備の点検/修理/精度出しの兵隊さんの一人として 「行って来い」 となったのである。

とはいえ仕事案件の内容をここで書くのは守秘義務の観点から難しい。そこで滞在の合間に見た風景の一例として、熊本城の周辺について幾らか書いてみようかと思う。




まず地震について簡単にお浚(さら)いしておきたい。いわゆる熊本地震は本年(2016)の4/14の午後9時頃から始まった群発地震である。筆者が熊本入りした5/17の時点ではまだ多少の余震が続いていた。4/14〜4/16に震度7(震源は上記MAP参照)が2回、震度6が5回という強烈な揺れに連続して襲われ、震源が市街地のほぼ直下であったため民家の被害が多く報告されている。

気象庁によれば震源は天草から阿蘇にかけて伸びる布田川断層、日奈久断層とされ、最大震度7を観測したのは2つの断層の交錯する付近であった。ここは西日本を東西に貫く長大な断層群(中央構造線)の一部で、同じく中央構造線に沿った阿蘇山周辺、および大分県側の由布院でも群発地震がおきた。4/16には阿蘇山で小規模な噴火もみられた。

しかし5月に入ってからは余震も落ち着いてきており、筆者はあまり天変地異的なスペクタクルというのは感じなかった。そんな訳で、本稿は恐怖や不安を煽りまくる新聞の飛ばし記事みたいなノリではなく、震災一ヶ月後の熊本の風景を一介の旅人として眺める…という視点で書いてみようと思う。



 

■ 熊本入りは空路から




さて筆者が現地入りしたのは5/17の夕刻のことであった。朝出勤してみるといきなり 「熊本へ行け」 と指令があり、そのまま午後のJAL便で羽田から熊本に飛ぶことになった。せめて前日に言ってくれれば(中略)、まあ一介の兵隊としては是非もなし。

写真は甲府上空付近の景観である。この日の関東/甲信越は前線が通過中で天候はいまひとつだった。せっかく窓側の席を確保したのに南アルプスの山々はほとんど雲の中…残雪の風景は本当にちょこっとしか見えなかった(^^;)




余談になるが今月の熊本は設備屋と保険屋の大ラッシュであるらしい。いずれも復興需要のためで、ここに全国からボランティアの学生がわんさか集まって宿泊施設を奪い合っている。とにかく、泊まるところがない。住民の避難先もないところに外部から人がワーっと入って、しかも長期滞在しようというのだからエライことになっているのである。

お蔭で九州新幹線がいちはやく復旧すると、福岡や鹿児島から新幹線で被災地に通う、なんてことが冗談ではなく行われた。ビジネスホテルに入れなくてラブホで宿泊…というのも、冗談ではなく行われた。それも部屋がなくて男二人で一部屋なんてことが、やはり冗談ではなく(中略)。「野郎二人でどんなツラして泊まれってんだヨ!」 と言う怨嗟の声を少なくとも筆者は二度ほど聞いたのだが…この分だと今夏はきっと熊本を舞台にした産業系の薄い本がたくさん出るのにちがいない(違)。




瀬戸内海に入ったあたりからは雲が晴れてきて、九州上空では遠方まで視界が効くようになった。これは大分県の由布岳である。麓(ふもと)の由布院も群発地震に見舞われたはずだが、被害はさほど大きくなかったらしく、報道はもうほとんどない。




やがて阿蘇山上空を通過。




熊本上空で着陸誘導待ちの旋回がはじまると、ブルーシートに覆われた民家が多数並んでいるのがみえた。この写真(↑)は九州自動車道の熊本ICから西に1kmほど行ったあたりで、空港と熊本城のちょうど中間付近にあたる(写真左側に見えているのがR57、右側は白川)。熊本市で最も揺れの激しかったのがこの付近らしい。

※一部ピンボケのように見えるのは飛行機のジェットエンジンの噴射による陽炎(^^;)




ぐるりと旋回して、これがニュースでよく出てくる益城町である。中央に見える特徴的な屋根の建物は益城町総合体育館、手前は安永〜木山地区の住宅街になる。震度7の震源はちょうどこの付近で、住宅の倒壊が多く報告されているのは上の写真でいうと体育館の手前から右側にかけての帯状の区域らしい。




…といっても、まったく全壊している建物というのはあまり見られない。ほとんどが屋根の損壊のようで、瓦屋根、もしくはスレート屋根が割れ落ちているような印象だ。

※上空から建物の形状が維持されているようにみえても、主要な柱や梁が折れてしまって全壊/半壊判定になる場合もある。報道では一番被害の大きい区画をクローズアップしていると思われるけれども、着陸前の窓からはそれがどの付近かは確認できなかった。




■ 熊本空港の様子




熊本空港に着いたのはもう日暮れも間近の時間帯だった。震災直後は閉鎖されていた空港も、一応最低限の機能は果たしている。ただしトイレは使用不可、売店は一部だけ、水道は使えない…と、いろいろ制約は多い。




張り紙によると最初の地震から3日後には空港業務は再開したらしい。しかしその後は一ヶ月経ってもあまり事態は改善していないようだ。

その最大の要因は "水" だという。この付近では上水道、下水道とも損傷が大きく、地中で上水道に下水が混入(?)している可能性があるそうで、水質が上水道としての基準値をクリアしていないと聞いた。空港でレストランが再開できないのもこれが原因らしい。

…それにしても、手を洗うのもダメとはどんな状態なのだろう。




空港からはリムジンバスに乗って熊本市街地に向かう。さて市街地はどうなっているのか。




■ 熊本の市街地に入ってみると…




空港から熊本市中心街まではおよそ15kmほどあり、バスで移動すると40分ほどかかる。市街地に入ると地震で壊れた建物がちらほら見えた。

といっても鉄筋コンクリートのビルはさすがに頑丈で、外壁タイルやショーウィンドウが割れる被害はあっても全体が倒壊するような事態には至っていない。




県庁を過ぎ、通町筋で筆者はバスを降りた。見れば普通に通勤ラッシュがあり、人も多く歩いていて、市民生活にそれほど困窮している印象はない。聞けばここではすっかり水道も復旧して(※)、都市インフラはほぼ地震前の状況に戻っているという。

※益城町と熊本市で何が違うかと言うと、水道は自治体単位の独立採算性で運営されているので、市町村毎にインフラ品質に大きな差があるという。このため水道法に定める水質基準(平成になってから厳しくなっている)に合格できるかどうかの "余力" のレベルが全然違うらしい。




さて時刻はもう午後7時に近い。通勤帰りらしいサラリーマンや学生が行き交い、「いったいどこが震災なんですか」 という日常風景になっていた。




ここはもう熊本城に近く、通りの奥の方に櫓の一部が見えているが、世紀末感もなければスペクタクル感もない。TVや新聞では熊本城は崩壊して住民はシリアの難民キャンプみたいな状態に置かれている…といった感じで報道が繰り返されていたけれども、実態はまったくのイカのキンタマ。いったいニュースのアレは何だったのだ?(^^;)




繁華街にも人が行き交っている。シャッターを降ろしたまま "改装工事中" となっている店舗が全体の3割くらいあり、復興途上であることは見て取れるのだが、自活できないような状況ではない。これを見る限り、熊本人はなかなかに逞(たくま)しく生きているようだった。



 

■ それからどうした




さてその後は仕事の日々なので、ラーメンの写真一枚で済ませてしまおう。とにかく、毎晩がラーメンの日々…(^^;) 復旧の現場では早期完工を目指して日程前倒しの檄が飛び、土日もなく深夜残業で、帰ってくるともう飲み屋かラーメン屋くらいしか営業していない。

…で、記事タイトルにある熊本城の詳細は…とりあえず、次項に書くことにしよう。


<つづく>