2006.04.22 沖縄旅行記(その7)




【宮城島】




さて宮城島に入った。集落は大きく分けて桃原地区と宮城地区に2分され、その間に高台が広がる。台地と平野部はほぼ半々で、サトウキビ畑が広がっている。

前項で反対闘争の島などと書いたけれども、べつに火炎瓶を持った過激派が闊歩しているわけではない(笑) 現在はいたって平和でのどかな島である。

ただし闘争の結果、経済界では 「面倒くさい奴らの住む島」 と認識されてしまったようで、企業誘致では平安座島、リゾート開発では伊計島にそれぞれ資本投下が行われたのに対し、宮城島ではこれといった投資をGETできていない。…まあ大人の世界では当然の話なので、筆者は特に論評はしないのだが、左翼の口車に乗るとだいたいこういうことになるという典型的な事例ではあるかな(´・ω・`)




それはともかく、風景を見てみよう。比較的フラットな地形ではあるけれど、起伏はやや多く、サトウキビ畑も小さな区画が入り乱れるような感覚で広がっている。

ここでは地形上、風の当たり方や水利などで場所によって農作物の出来/不出来に差があったため、島民は土地所有はまとまった面積で一箇所を保有するのではなく、わざとばらばらの地区を飛び地のように所有して平等を図ったという。石油基地問題のときはそれが逆に作用して土地の権利が一括処理できず、モメごとのタネなった面もあったらしい。




で、そのサトウキビだが、例年1〜3月が収穫期となっており、今回のタイミングでは 「見渡す限りのざわわ、ざわわ」 というのは見られなかった。4月が沖縄旅行の最適な時期ですなんて言った奴は、地獄の業火でウェルダンに焼かれてガーリックタルタルソースで鬼にでも喰われてしまえ。




やがて宮城地区の集落が見えてきた。丘陵地に入り組んだ住宅街と畑が混在する。ここはこれといった特徴のないエリアなのでスルーしていく。




やがて伊計島大橋が見えてきた。ここを渡ると最終目的地の伊計島である。




この狭い海峡は、下地が砂地で奇岩が並び、非常に美しい。・・・ああ、これで日差しがあれば素晴らしい景観であろうに _| ̄|○




見上げれば、雲は厚い。さすがに今日は、昨日のような奇跡は期待できないか・・・




【伊計島】




さて橋を渡って、いよいよ最終目的地の伊計島に入った。この島は全体が平坦な地形で、前回訪れたときは見渡す限りのサトウキビ畑だった。今回の旅は、ここに再び訪れるために来たようなものだ。




まずは島の西端に降り、大泊ビーチを目指す。




これが、大泊ビーチである。一見すると普通のビーチのように見えるがここは少し違う。

沖縄の海水浴場は、遠浅であることが災いして、引き潮のときは泳ぐのに十分な水深がなくなってしまうところが結構多い。ここは外洋に近く、ラグーン内ではあっても常時泳げるだけの水深が取れるので、海水浴客は時間帯を気にする必要がないのである。(・・・といっても、4月ではまだ泳ぐには少々水がつめたいのだが ^^;)




筆者は今回は泳ぐ予定はないのだが、しばらく海岸を散策してゆったりと過ごしてみた。足元の珊瑚のかけらを拾ってみると、テーブル珊瑚系みたいなやつが多かった。海の中に潜ると、こいつの生きた姿が見られるのだろうな。

・・・と、いきなり雨が降り出した。うーん、なんともツイていない。

そそくさとクルマに戻って雨宿りだ。



■ 仲原遺跡




しばらく待ってもなかなか雨はやまなかった。仕方がないのでそのまま進むことにする。ここは島の西側にある仲原遺跡である。伊計島に来たらぜひとも立ち寄りたいところだ。

遺跡は公園として整備されていて、2000〜2500年前の住居跡に建物が復元されている。基本は竪穴住居だが、屋根を葺いた復元住居は海洋博記念公園で見た琉球王朝時代の一般住宅とあまり印象は変わらない。

これをみると、古代のロマンと言うより、2000年経っても基本構造があまり変わらない琉球王朝の 「進歩の無さ」 のほうに関心がいってしまう。




日本も平安時代までは一般庶民の住居は縄文時代風の竪穴式だったが、武家政権(鎌倉期以降)になって封建制が確立したあたりから改善していった。王様がすべてを収奪しておしまい、という琉球王朝とくらべて、封建領主は領地を経営して豊かにする。その差が出たのだろうな…。




話は変わるけれども、日本人はどこから来たのか〜…というテーマにおいて、氷河時代に北方からツングース系の人々が入ってきた説と、南方から島伝いにやってきたとする説があって、沖縄で最古の人骨が3万年くらい前だというので一時期話題になっていたのを思い出した。日本列島に人が住み着いたのが2万年前と言われるので、なかなかに興味深い話だ。

黒潮に乗れば、実は相当に簡素な船でも沖縄から九州、四国、近畿、東海、関東の南岸あたりまではイケてしまうといい、こちらはちょっとしたロマンとして受け取っていいのかもしれない。




■ 謎の花とリゾートホテル




一通り遺跡を眺めた後は、島の中央道路を目指す。このあたりはまだサトウキビが刈り取られていない。天候は雨になってしまったが、雨は雨なりに、絵になるサトウキビ畑が撮れるだろうか。




・・・と、思いながら島の中央に出てみると、一番見晴らしの効く畑にはサトウキビは無く、代わりにピンク色のお花畑が広がっていた。前回来たときは確かにサトウキビ畑だった。観光案内にも 「一面のサトウキビ畑が見られます」 と書いてあったのに、作物が変わってしまってる。




園芸品種にしてはあまり見かけない花だけれど…なんだろう?

・・・そう思って眺めていると、ちょうど農家の人がクルマで通りかかった。この花を刈り取って収穫中らしい。これは何ですか、と尋ねてみると 「タバコですよ」 と教えてくれた。

タバコ・・・!

なんと花はどうでもよくて、葉が重要だったのだ。

調べてみると、最近のサトウキビ価格は長期低落傾向で推移している。一方で、日本では煙草事業法でタバコ栽培はJTとの契約栽培ということになっており、基本的に全量買い上げで値段も安定しているのである。…なるほど、これで作物の切り替えが進んでいるのか。

森山良子の歌う 「さとうきび畑」 に登場する沖縄のイメージが、じわじわとタバコの島になっていってしまうとしたら、ちょっと考えてしまいそうだが…これも時代の流れなのかねぇ。




さて本来ならサトウキビ畑の向こう側・・・というアングルで撮るつもりでいたリゾートホテル、BIG TIME RESORT伊計島。島の最北端を占める、唯一のホテルだ。あそこが、旅の最終ゴールになる。




そんな次第で、ついに到着。

宿泊の予約はしていないけれども、売店で土産物でも買ってみようかとと思って入ってみた。しかしまだオンシーズンではないようで売店の営業はなかった。ホテルマン氏にレストランは開いているか尋ねてみると、本館は営業しておらず、別館のレストランを案内された。

せっかく来たのだから奥の散策路を進んで、岬の突端のプライベートビーチまで行って御覧なさい、とも薦められた。・・・なかなか太っ腹だなぁ(^^;)




どのみち雨なので、ゆっくりと昼食をとる。お勧めはなんですかと尋ねると 「ゆし豆腐定食」 が人気だというので頂くことにした。リゾートホテルのレストランでこれだけ揃ってなんと\1000である。本土のファミレスより安いくらいだが、味は非常に美味であった。




さて、ここで思案のしどころである。

天候は小雨模様である。目的の伊計島最奥の海岸は目の前。このまま、天候の回復を待つか、それとも早々に引き上げてもう1箇所くらい別のスポットを回るか。

・・・しばし考えて、筆者はここでは 「待つ」 ことを選択した。 今回は、駄目なら駄目で諦めると腹をくくって出てきている。雨の時間を楽しむのもまた一興。どのみち道楽なのだから、贅沢な時間をつぶすのも悪くないだろう。

そのまま、ゆっくりとコーヒーを飲みながら海を眺めることにた。飛行機の時間と土産物の物色時間を考慮して逆算すると、ここで使える時間はあと2時間ほどある。

<つづく>