2011.10.23 那須硫黄鉱山跡を尋ねる:前編(その5)




■明礬沢を下ってみる


 
さて峠の茶屋まで来たのはいいのだが、筆者は今日はここから上に登る予定はない。天気予報では昼ごろにはまた雨が降り出すと言っているので、遠出をするには少々分が悪いのである。

では何をしに上がってきたのかというと、降りるために登ってきたのである。降りる先は、明礬沢だ。ここに、現在は失われた鉱山時代の山の風情を眺めてみようと思ったのである。…まあオマケ編?のようなものと思って欲しい。


 
さてここで少々地形の話をしておきたい。茶臼岳と鬼面山に挟まれたなだらかな地形の部分は、郭公沢に面したほうを郭公平(かっこうだいら)、明礬沢に面したほうを明礬平(みょうばんだいら)という。

明礬平に隣接した谷を流れ下る沢は同じく明礬沢といい、名前の由来は一緒である。つまりこの付近は広く硫黄の鉱床が広がっている。"硫黄平" ではなく "明礬平" になったところをみると、地名をつけた人々にとっては火薬の原料となる純硫黄より漬物用の明礬のほうが意識の上では重要だったようで、なんとも面白い(^^;)

この明礬沢は那須山塊を流れ下る川の中では最も峻険な渓谷で深いところでは100mを超えるV字谷が見られ、硫黄鉱床の露出する噴気地帯がある。ただし観光開発はされておらず人はほとんど近づかない。


 
現在の峠の茶屋は硫黄鉱山の精錬所のあったところで、いわば鉱山のベースキャンプのような拠点であった。ここから周囲の鉱床に向かって幾筋もの踏み跡が開かれ、鉱夫達が通っていた。


 
それらの幾つかは、現在も治山用の作業通路として使われている。最初は露天掘りと火口硫黄の採取で始まった鉱山は、次第に谷底の鉱床に坑道を穿つようになり、峠の茶屋で聞いた話では沢に近い場所にも飯場が設けられるようになったらしい。しかし坑道掘りは採算が悪く、何度か採掘の休止/再開が繰り返されたようだ。最も質のよい鉱床はやはり火口付近であった。


 
そんな明礬沢界隈だが、かつての露天掘りの鉱区を思わせる場所が今でも存在する。

ここは鉱山会社の鉱区ではなく温泉として開発されている場所なので厳密には鉱山跡地とはいえないのだが、往時の鉱床や芭蕉の頃の殺生石の様子を想像する題材にはちょうど良いと思い、目的地に選んだ。あっちこっちに話が飛んでいる本日のミッションは、そこを確認して一区切りとしたい。(ホントに今回は節操がないな…^^;)


 
そんな訳で、現在は砂礫に埋もれつつある道を下っていく。


 
周囲は紅葉も終わりに近づき、ダケカンバの白い幹がイイカンジである。この付近は隠れた撮影スポットも多く、朝日岳〜鬼面山の稜線を美しく眺めることができる。


 
ただしここから先は噴気のガス濃度がかなり濃く、立ち入り禁止の表記がある。筆者は今回は自己責任で踏み込んでおり、一応記事にはするけれども決して第三者に同じ行為をすることを推奨する意図はないのである。その点は予め申し添えておきたい。

※本稿を読んで不用意に現地に入り、転落したりガス中毒で病院に担ぎこまれるような事態になっても筆者は責任を負えないのでよろしくご理解頂きたい。…いやホントにね(´・ω・`)




■秘湯:奥の沢温泉


 
さて勿体ぶらずにいきなりネタを明かしてしまおう。これから向かうのは奥の沢温泉である。「そんな温泉、那須七湯にあったっけ?」 …という方は、なかなかに鋭い。ここは開発されたのが比較的新しく、昭和3年の開湯なので那須七湯には勘定されていないのである。しかも開湯まもなく世界恐慌と第二次大戦の余波で事業が中断してしまい、長らく忘れ去られていたのだ。

その中興の碑が、立ち入り禁止区域の中にひっそりと立っている。荒廃後いくつかの紆余曲折を経て、昭和56年に本格的に復活したとある。ただし自前の入浴施設は持たず(だから地図にも載っていない)、もっぱら湯本近郊の別荘地やゴルフ場、ホテル等の内湯として給湯をするスタイルで営業している。そのため一般の観光客からは "名前はよく聞くけれど何処にあるの?" と思われている。ここはそんなステルス型の究極の秘湯(なんだそりゃ)なのだ。


 
この奥の沢温泉の源泉付近が、ここ数十年ほど活発に噴気を噴出すようになっている。GoogleMapで見ると、昔の航空写真では草木に覆われていた山肌が、今ではすっかり禿げあがってまるで人工的に削り取ったのかのようになっているのが見える。市販のMapにはこの部分の記載はなく、ほぼ衛星写真でしかわからない。筆者は今回、このプリントと方位磁石を片手に周辺をウロウロしているのだが、簡単なようでいてリーチするには少々コツがいる。


 
・・・とは言っても大した距離を歩く訳ではない。茶屋から700mほども下っていくと、やがて硫黄の匂いと生暖かい空気があたりを包みはじめる。見れば、向こう側が湯気で煙っている。


 
崖っぷちぎりぎりに通された踏み跡の先に、温泉の源泉らしい囲いが見えてきた。あたりを覆っている白いモヤモヤとしたものは、地面から直接湧き上がっている湯気である。


 
そんな訳であっさり到着♪
おお、初めて噴気の場所までやって来たけど…あたり一面、地面が湯気を出しまくっているな…(´・ω・`)

気分としては、中華饅頭か蒸かし芋にでもなったような感じといえばよいだろうか。


 
写真では分かり難いかもしれないが、これは雲ではなく、みな地面から湧き上がる湯気やら火山性ガスである。

谷底から頭上まで、とにかく斜面の到るところから噴気があがっており、地面は猛烈に熱い。噴気部は東西200mほどにわたって広がっていて、実にグレイトな感じだ。眼下を流れる明礬沢までは高さにして70mほどある。

衛星から見えた斜面の禿げ具合は、ガスの成分がどうとかいう以前に地熱が高すぎて植物が枯れてしまい、それまで根によって保持されてきた土や砂礫が崩れ落ちたものらしい。気分的には21世紀の新殺生石とでも呼びたくなるようなところで、あの荒涼とした石原がどのように形成されていったのか、その過程がみる場所ともいえそうだ。


 
植物が枯れて崩れ落ちた斜面は、赤や黄色に染まっている。この色のついた成分が明礬であるらしい。

明礬は硫黄と結びついた金属元素(鉄、アルミ、カリウムなど)の種類によってさまざまな色を呈する。那須に多いのは鉄明礬で、これは結晶状態によって赤や紫色になる。これを精製すると食用や染色剤につかう明礬となり、そのまま粉末にすると顔料(岩絵具)になるらしい。

写真に写っている赤褐色の部分は古色でいう弁柄(ベンガラ)に相当するもののようだ。高価な水銀系の "朱" が使えない地方の神社などでは、かつてこの弁柄が鳥居などの赤として使われた。ただし近代の硫黄鉱山主は、そんな用途よりも値の良い火薬の原料としての純硫黄のほうに興味があり、那須の近代ではそちらのほうの色彩が濃い。


 
…あれは、温泉だろうか? 熱い明礬鉱床の壁面から湯が沸いているようだ。さすがに軽装では降りていけないので湯加減はわからないが…(^^;)


 
足元をよくみると、ここにも噴気から生じたらしい白い結晶がみえる。これも明礬であるらしい。


 
こちらは硫黄である。噴気孔の周辺に多くみられ、純度はかなり高そうだ。


 
…固さはビスケットくらいで、指先でもザクっと割れる。標本にいくらかピックアップしておこう。


 
さて崖っぷちをもう少し進んでみる。崩落した斜面には、かつて補強工事を行った形跡が帯のように続いており、これは治山用の通路も兼ねているようだ。


 
ふと硫化水素のような匂いが強烈になったので見回してみると、水抜き用に塩ビ管を通したところが即席の噴気孔になっていた。手を近づけると火傷をしそうなくらい熱い噴気がシューシューと出ており、塩ビ管はすっかり変形して、周囲のコンクリートブロックもボロボロに腐食している。

…これを見る限り、工事が行われた当時よりも現在のほうが噴気活動は活発になっていることは間違いない。すっかり大人しくなってしまった殺生石とは対照的ともいえるけれど、同じ那須山麓でも火山活動の強弱には濃淡があり、現在のトレンドはここ明礬沢に向かっているということなのだろう。


 
はるか崖下をみると木組みの補強工事の痕跡がみえた。コンクリートブロックによるものより年代は古そうで、努力の甲斐なく埋もれてしまった…という印象だ。周辺からはやはり湯気が出ていて、オープンサウナ状態である。


 
その先は、斜面が崩壊していて軽装で行くのはちょっと無理そうだった。まあそもそも立入禁止区域なので整備状況について文句が言える立場ではない。長居のできる場所でもないので、このあたりで引き上げることにした。


 
リターンフェーズに入ったところで、噴気の向こう側から雲海の雲が上がってきた。

うーん…やはりこのあたりが潮時か…やれやれ(^^;)


 
ふたたび霧雨の振り出した踏み跡を戻っていくと、足元に雨にぬれた紅葉(もみじ)の紅葉(こうよう)が映えていた。どうやらこれが、明礬平の最後の紅葉の一刺しということになるらしい。

谷底からは明礬沢の水の音と硫黄(硫化水素)の香りが流れてくるのみで、それ以外は鳥の声さえ聞こえない。たまになにか聞こえるとすれば、それは温泉の導管から漏れるシューシューという温水の音くらいなのである。…これが、那須の晩秋の景色なのかね…(´・ω・`)


 
駐車場まで戻る道すがら、温泉の碑をもういちど眺めてみた。

かつて羽振りのよかった硫黄鉱山が今では閉山してその存在そのものが忘れさられようとしている今日(こんにち)、戦前は経営難であった筈の温泉のほうが生き残ってステルス観光資源となっているのは不思議な気もするし、源泉がどんなところか知りもしないでカタログスペックだけで入浴して満足してしまう観光客の存在も不思議ではある。

…が、下手な詩人具合でそのあたりの事情をまとめるのも無粋のような気がするので、このへんで駄文に一区切りつけることにしよう。

そんな訳で、次回はメジャーな登山道の方で鉱山時代の遺構を巡ってみたい。

<後編につづく>