2012.02.09 越後湯沢 〜川端康成の「雪国」〜 (その2)
■されど、国境の長いトンネル
さてそんな次第で目的を果たせず失意120%で引き返してきたのだが、筆者の普段の行いが良いためか(ぉぃ ^^;)、ひょんなところからそれは見えた。場所は関越自動車道の高架橋下で、行くときには見えなかったものが帰りに目に留まったのである。
なんと国境の長いトンネルは、実はここから見渡せるのだ。
現在の上越線は複線化工事によってトンネルも2本になっている。昭和6年完成の清水トンネル(=小説に登場)は写真左側の方で、右側が昭和42年完成の新・清水トンネルである。花鳥風月的にポイントが高いのは、もちろん左側の古いほうだ。
そんな清水トンネルを、望遠で捉えてみた。…ここを通って、小説家は雪国にやってきたのだなぁ。
トンネルは時代が古いだけに簡素なつくりで、上からの落雪を防ぐために上部フェンスが追加されていた。放っておけばどんどん雪に埋まっていってしまいそうな頼りなさも幾分感じるが、しかしこのトンネルこそが、戦前の新潟と東京をむすぶ交通の要衝だったのである。
ここが貫通したことで、それまでは直江津〜長野〜軽井沢を経由して信越線でぐるりと迂回していた新潟〜東京の所要時間は距離にして約100km、時間では4時間も短縮されることとなった。小説には湯沢と東京を往復する話ばかりしか出てこないけれども、上越線の本質は新潟と東京という本州の東西港湾都市を直結したところにあり、湯沢はその2大都市圏の中間にあってアクセス性の良いスキーリゾート地として繁栄していくのである。
そんな時代性を考えながらまったりと写真をとっていると、別の車がやってきて隣に駐車し、おっさんが降りてきて無言でトンネルの写真を撮り、そそくさと引き返していった。…しばらくすると、また同じようなクルマがやってきて、無言のまま写真を撮って帰っていく。
えーと…もしかしてここは、そのスジの方々には有名な場所なんですか?(^^;)
隣にヤケに厳重な 「立ち入り禁止」 のフェンスがあるのが気になった。やはり居るのだろうか、…理想のアングルを求めて突撃していってしまう猛者が…w
■ 「雪国」 という小説について
さてそういえば 「雪国」 がどんな小説なのかさっぱり説明していなかった。詳細な解説はWikipediaあたりを参照していただければよいと思うのだが、せっかくなので花鳥風月的に端折って説明してみよう。
「雪国」 とは、越後湯沢を舞台に一応の主人公である金持ちボンボン野郎の島村、メインヒロインで芸者の駒子、駒子のライバルとなるサブヒロインの葉子の三角関係がひねくり、ひねくり…な恋愛小説である。ボンボンの島村は親の資産でぬくぬくと暮らしている妻子持ちの中年男で、普段は東京に住んでおり年に何回か湯沢に通ってくる。田舎暮らしのヒロイン達は、この都会男に引っ掛けられてハーレム要員その1、その2となってもにょもにょするのである。
といっても主人公の島村は何か明確な目的があって生きている訳でもなく、単にあちこちで女遊びをしているばかりで湯沢で囲った2号、3号にも責任を取るつもりはないらしいのである。やがて物語はいくつかの季節をめぐり、引っ掛けられた側の駒子と葉子の 「どっちを選ぶのよ」 的な詰めより具合がねちっこくなる。ただしヒロインの描写は圧倒的に駒子の方が濃密で、次期FSX選定で例えるなら駒子=F35、葉子=ユーロファイター並みの扱いで話は進む。
このハーレム展開は、島村が 「そろそろ逃げようかな〜」 と思い始めたところで脈絡なく火事がおこり急転直下のクライマックスに至るのだが、結局はっきりとした決着は付かず 「え? これで終わりなの…?」 的な結末に至る。 島村は主人公のくせに何の活躍もせず、最後はポカーンと天を仰いで終わる。結局一番動き回っていたのは駒子なのであった。
まあ作者曰く 「島村はただの引立て役。これは駒子が愛に飢えてもにょもにょする様子に萌える話なんだよ!」 (注:筆者の超・意訳です ^^;) ということであり、おそらくこれで内容の本質に関する説明は終わってしまう。 …雪国とは、まあこんな話なのである。
…というか、いいのだろうかそんな説明で(笑 ^^;)
※ストーリーのみを追いかけるとグダグダ感満載だが、各場面ごとの情景というか雰囲気を味わう "空気小説" としては実によく出来ている。そういえばノーベル賞の受賞理由も表現手法の巧みさを評価したものなのであった。
■土樽駅、リトライ(笑)
さてトンネルを見た後、もう一本スノートレンチが分岐しているのを見つけて進んでみると、山荘とは反対側に駅の入り口があった。どうやら筆者はすこしばかり遠回りをして反対側にアプローチしていたらしい。
…というか、パチンコの景品で貰ったカーナビ(…を、人づてで譲ってもらったw)の案内精度に期待しすぎるのがそもそもいけなかったらしいのだが、…まあいいや(^^;)
有名な割りに駅舎は質素であった。駅章は自然木に手書き…まあ、これはこれで味があるかな。
駅舎に入ってみると、こんな感じである。
現在の土樽駅は無人駅で、スキー場の閉鎖によりほとんど唯一の 「この駅で降りる理由」 が消失して以降は、すっかり秘境駅の仲間入りを果たした感がある。
駅舎内は "超省電力営業" で暖房はなく、照明は裸の蛍光灯が一本のみで、足りない分はなんと自販機の明かりが補っていた。JRもなかなか割り切った判断をしているようだ。
ダイヤは3〜4時間に一本という程度である。越後湯沢に乗り入れている新幹線より圧倒的に本数が少なく、利便性という点ではかなり難がありそうだ。ただし朝有に各1回、上り/下りが10分少々でつながり、とりあえずホームに下りてすぐにリターン…という瞬間トライの可能な時間帯はある。
ホームに出てみるとそれなりに除雪はされていて、管理は行き届いているようだった。
信号所時代の名残である通過待ち用の待避線は現在では撤去されている。小説で 「駅長さ〜ん」 のシーンに登場したホームも今では列車待ちに使われることはなくなった。…これも時代の変遷かな。
足元をみると線路には水が流れていた。いわゆる流水融雪だが、これが普及し始めたのはたしか昭和40年頃だったと思う。
それ以前はどうだったかというと、もっとガチンコでマッチョな除雪が行われていた。ラッセル車でモリモリと雪を退け、さらに人海戦術でそれを軌道の外に運び出していたのである。
「雪国」 では土樽に3台のラッセルが備えられていたことが記されている。他に除雪人夫が延べ5000人、消防青年団が延べ2000人手配されたとあり、当時の国鉄の並々ならぬ除雪対策の様子が伺える。
※この "3台" というのは実は軍隊式の装備の揃え方らしい。1台が故障、1台が整備中であっても確実に1台は実稼動できるというもので、非常時対応を強く意識したものだ。
さてそのまま上り方向のホームの端まで行き、清水トンネルが見えるか目を凝らしてみた。…が、関越自動車道路の高架橋が邪魔をして視界は通らなかった。…まあ、こればかりは仕方の無いところかな。
…貨物列車くらいは通るだろうか、としばらく見ていたが何もこなかった。
小説中で土樽の駅長さんが言った 「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ」 というセリフが、21世紀になってもそのまま違和感無く感じられる。それほどまでにここには人の気配というものが無い。
越後国の最奥部、もう人家もない谷底の斜面ぎりぎりの、これが本来の姿なのだろう。小説ではまだいくらかの鉄道職員がいる寂しさだったけれど、今ではそれも無人になった。事実は小説よりずっと先に進んでいる。
<つづく>
縲先羅縺ョ縺贋セ帙
繝サ豌苓ア。蠎騾ア髢灘、ゥ豌
繝サ鬮倡衍螟ァ蟄ヲ 豌苓ア。諠蝣ア雋「
繝サ豌苓ア。蠎√Γ繝繧キ繝・莠亥ア
繝サ驍」鬆郁ヲウ蜈牙鵠莨
繝サ鮟堤」ッ隕ウ蜈牙鵠莨
繝サ蝪ゥ蜴滓クゥ豕牙ャ蠑秋P
繝サ隘ソ驍」鬆磯手ヲウ蜈牙鵠莨
繝サ螟ァ逕ー蜴溷クりヲウ蜈牙鵠莨