2013.09.22 草津白根山〜志賀高原を行く(その3)
■ 尾根道を行く
そんなわけで白根山を後にして、以降はR292を長野県に抜けることにする。雲が出てきて光線状態はいまひとつになってしまったが、ここから先は国内有数のドライブコースと言われているので是非とも堪能しておきたい。
このコースのハイライトは長野県と群馬県の県境=尾根筋に沿って一番高いところを抜けていく部分で、日本海側/太平洋側の分岐点=脊梁山脈でこんな無茶なところを通っていくルートはとても珍しい(※普通はトンネルで抜ける)。
今回は紅葉を見る以外は特に事前調査等を行っておらず、実のところ筆者はこのルートの歴史の詳細はよくわからないまま走っていた。…が、結論からいえば下調べをしてもしなくてもあまり変わらなかったように思う。この付近には歴史資料がそもそも殆ど無いのである。
草津白根山はながらく修験の山で、クルマが通れるようになったのは1970年であり、それが今通っている国道292号線である。つまりいきなりこの道路が出現していて、それ以前の姿がよくわからない。
驚くべきことに白根山そのものの記録も江戸時代以前のものはほとんど現存しない。火山の爆発の記録くらいはあるだろうと思って調べてみたが最も古い文献で1805年(文化2年)であり、地理的に近い万座温泉の最も古い文書でも羽尾某という僧侶が風呂に入ったという1562年(永禄5年)の記録あたりまでがやっとである。いずれも白根越えで長野に抜けたという記録ではなく、ここを街道が通っていたという資料はどうも見当たらない。
・・・ということは、この峠はほとんど手付かずのまま近代まで自然が残されていて、きわめてバージンネイチャーな風景を見ることのできる貴重なコースという理解でよいのだろうか。もしそうだとするなら、これは結構スゴイことである。
この付近には大きな河川がなく、ゆえにダムもなく、景観の邪魔になる高圧線鉄塔などもまったくない。どこかこう 「日本じゃない感」 が漂うのは、普通の里山ではそこらじゅうにある近代インフラの尻尾みたいな人工物が、本当に一切目に入らないからというのが大きい。・・・こんなところが、まだ日本には残っているんだな。
…と、ごちゃごちゃ言っている間に、コースのハイライト付近にやってきた。山田峠から渋峠にかけての尾根道である。
写真では分かりにくいかもしれないので3Dマップで俯瞰すると、この道路がいかにトンでもないところを抜けているかが分かる。2000mを越える吹きさらしの尾根を縦走していくなんて生活道路や物流路では普通は有り得ない。これはもう、観光のためにつくられた道路以外の何物でもないと思う。
こういう道路を作ってしまうイケイケなノリがあったのは、高度経済成長期の日本であった。ほぼ昭和30年代と重なっていて、実は国内の名だたる山岳道路はこの時期に計画/整備されたものが多い。
東京オリンピックが終わって低成長時代に入ると派手な山岳観光道路は鳴りを潜め、名より実を取って高速道路や都市バイパスなどの物流路のほうにインフラ投資が移っていったが、着工分の既存案件は継続された。
R292のうちもっとも峻険な草津-志賀のルートは1970年(昭和45年)の完成で時代的にはアウトゾーンに突っ込んでいたけれども、R292全体の整備計画は昭和30年代に着手して進行中であり、なんとか仕分けをかいくぐって滑り込みセーフで完成した感がある。おかげで今、筆者はこの標高2000mのコースをマターリと走り抜けることができる。
それに比べると、我らが栃木県の塩那スカイラインなどは同じような時期に計画/着工されながら何でも反対党の政争の具となってもみくちゃにされた挙げ句に廃道にされてしまった訳で、彼我のこの格差はどこから来たのだろうと思わないでもないのだが…まあ今回のテーマには関係ないか(笑)
さて尾根を渡り終えたところで小展望台があったのでちょっと小休止。標高は2119m…そろそろ最高点が近くなってきた。
そんな風景にオブジェがひとつ。世の中には暇人が多いらしく、駐車場脇にはケルンもどきの不思議な石積みができていた。ただしもうこれ以上積み増しようがないくらい微妙なバランスになっているようなので、筆者はちょっと辞退(笑)
しかし後からやってきた若いカップルは物怖じせずに積んでいった。・・・度胸があるなぁ(爆)
■ 日本国道最高地点
やがて渋峠に差し掛かるあたりで、日本国道最高地点の碑があらわれた。標高は2172m。文字通り、日本の国道のなかで最も標高の高い地点である。ぎりぎりセーフの達磨落としみたいなデザインに何の意味があるのか良くわからないが、とにかく最高点なので細かいことは言うまい。
碑には、かつて長野の善光寺から草津までを結ぶ街道があった…と書いてあるのだが、どうも検索をしても出てくるのは滋賀県のほうの草津ばかりで、どの程度メジャーなところだったのかは分からない。地形的には善光寺から草津に行くならわざわざ志賀高原を経由しないで山田温泉〜万座温泉〜嬬恋ルートで行ったほうが越えるべき峠の高さが400mほど低くて済みそうだし、ちょっと謎な感じがしないでもない。しかしとにかく最高点なので細かいことは言うまい(ぉぃ)。
さて碑の周辺には、どういうわけか自転車(MTB)マッチョメンが多かった。それも一人や二人ではなく、集団ツーリングでもやってるんですかというくらい居る。仮に長野から草津まで抜けようとするとたっぷり40km以上はありそうなのだが…凄い体力だな。
そのマッチョメン達が 「すげー!」 と言っているガードレール側に寄ってみた。…たしかに凄い。展望台から見下ろす山麓には、まるで御伽噺に出てくるような風景が広がっていた。
眼下に見える平野のような部分は芳ヶ平という湿原で、1840mあまりの高地にありながら道路のほうが標高が高いために登山ではなく下山(^^;)してアプローチするという不思議な立地のスポットである。こういう湿原を見下ろす立地の道路というのはきわめて珍しく、ここに道路を通し展望スペースを設計した40年前の技官氏に、筆者はささやかながら拍手を送りたい気分になった。
…というのも、こういうところに道路を通すという野心的な計画は、自然保護とか採算性を考えると今後の日本ではもう望めないかもしれないのである。インフラ投資の熱というのはその時代なりのトレンドがあって、現在では高速道路と都市バイパスが盛んに建設され、採算性の不透明な山岳観光道路などは見向きもされない。だから 「出来るときに出来ることやった」 という意味で、40年前のインフラ投資に筆者は拍手を送るのである。
…あの時代にしかできないこと。
…現在ではできないこと。
そんなピンポイントの時代性にうまく乗って整備されたインフラのみが後世に残り、何十年か後の人々の役に立っている。塩那スカイラインという "残らなかったインフラ" の残骸を抱える自治体の住民として、筆者はいろいろな思いをこめてこの風景を眺めてみた。…多分に、"夢のある土木" というどこかで聞き流したフレーズを思い出しながら(^^;)
■ 志賀高原
さて最高点を過ぎてからは、紅葉的には樹種がほとんど常緑樹の松になってしまって赤も黄も関係ないような世界が続いた。…こちらはどちらかというと、夏向きのコースと思えばよいのかな。
渋峠から先はひたすら下り坂になり、やがて白樺林の中を走ることになる。
このあたりはもう地理的には志賀高原になる。標高は1400〜1600mほどの半台地+半盆地で、湖沼の点在する "水の高原" とでも形容したくなる立地である。ただし実際に現地入りしてみると、背の高い樹木が繁茂していて道路から湖水はなかなか見えにくい。クルマやバイクで単純に通り抜けるのではなく、いちいち降りて水辺までアプローチする…という楽しみ方をするのが本来の楽しみ方といえるかもしれない。
やがて大きなスキー場らしいところに到着。ここは志賀高原で最も大きな湖である "琵琶池" のほとりで、写真奥に見えるスキーコースはサンバレーというスキー場のようだ。紅葉は…まあ、山側についてはご覧のとおり。
しかし駐車場から琵琶池方面を見ると、黄葉しはじめた白樺に混じってちらほらと赤く染まった木々がみえるのである。…なんだか標高の高い渋峠方面よりこちらのほうが色づき具合は進んでいるようで、少々不思議な感じがする(´・ω・`)
見ればどうやら湖畔に点在するウルシの仲間が赤く染まっているようだ。
このあたりは標高1400m前後。筆者的にはまだ紅葉には早すぎるように思えたのだが、後で調べてみたところどうやらここ数日は最低気温5℃前後の冷え込みが続いていたようで、ウルシはそれに鋭敏に反応したらしい。
よくみると水辺にちかいところにだけ、局所的に赤い木が点在している。よく渓谷に紅葉の名所が多いのは水分の存在が云々…といわれるけれども、これもその系統の現象なのだろうか。
そのまま付近をいくらか散策してみた。やはり赤く染まっているのは水辺の木々に多いようで、これは仲々おもしろい。数値化できれば 「水辺補正係数」 などで紅葉時期のより正確な予想が可能に…いや何でも数値化すりゃいいってものでもなさそうか(爆 ^^;)
さて本来ならもっと色々と堪能したいところだったけれど、長野経由で首都圏に戻ると夕方の高速道路の渋滞がスゴイことになるので、この後は早々に撤退フェーズに移行した。…でも結局藤岡JCTあたりで捕まってしまってトホホな展開に(^^;)
やはり首都圏から紅葉を見に出かけていくなら、どこかで泊まったほうがよさそうな気がしないでもない。…まあそれが出来にくいのが勤め人のアレなところなのだけれどもねぇ。
…ということで、なんだかまとまりが無いけれども今回はここまでとしたい。
<完>
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