■2005.11.19 晩秋の奥州街道を行く(その1)
紅葉の季節も一段落したので、平野側をふらりと流してみようかと思い立ち、近場エリアの奥州街道を走り抜けて参りました (´・ω・`)
始まりは大田原市の中心部。出発したのが昼過ぎということもあり、名所旧跡を網羅というよりは軽く流して白河まで抜けてみようか・・・という趣向である。旧奥州街道でいえば大田原〜鍋掛〜越堀〜芦野〜白坂〜白河に相当する。まあ日が暮れたらそこまで、という割り切りで行くことにしよう ヽ(´ー`)ノ
さて大田原市内にあってR400とR461の交差するここは、俗称で金灯篭交差点とも呼ばれる。周辺の諸街道(奥州街道、日光北街道、塩原道、黒羽道)が一点に集中する交通の要衝でもあり、かつてはこの交差点の中央に青銅製の常夜灯(金灯篭)が置かれていた。奥州街道はこの付近ではR461に相当し、画面左側にむかって奥州へとのびている。
現在では金灯篭は交差点脇に移動している。交差点中央にあった頃は、自動車の普及にともない灯篭の礎石に車がぶつかる事故がたびたび起きたための処置らしい。ただしこれはオリジナルではなくレプリカである。オリジナルは第二次大戦中の金属拠出策で溶かされてしまい現存しない。
灯篭根元には、常夜灯設置の関係者の名前が刻まれている。ほぼ例外なく 「○○屋」 の屋号がついているところから大田原宿の商店街有志による作と思われる。明治維新前は一般庶民に苗字はないものの、これをみると屋号が実質的に苗字のように機能していたようだ。
その金灯篭交差点からR461=R294=奥州街道を芦野方面に走る。
まもなく蛇尾(さび)川沿いにある旧大田原城址に着く。現在はお城山と呼ばれる山城で、奥州の白河に対する関東側の戦略拠点である。明治維新のときの戊辰戦争で新政府軍の拠点として使われ、白河城攻防戦に貢献した。現在は高さ20mほどの小山に土塁跡のみが残る。
さて鍋掛け方面に向かうのが本筋なのだが、ここではちょっと外れて黒羽方面を目指す。
できたばかりの道の駅 那須与一の郷 で蕎麦を食べるのだ!
なにしろ那須与一といえば古文の教科書にも載るくらいの地元のヒーロー。ちょっと美化しすぎのような気もするけれど銅像もできている。
・・・でもどうせなら、馬のほうももう少し男前にしてほしかったな _| ̄|○
それはともかく、蕎麦をいただいてマターリ。
<つづく>
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