2007.05.26 御神火祭(その1)
前回の三斗小屋の続きになります。山を降りて板室で一風呂浴びた後、殺生石に向かい御神火祭を見てまいりました。
殺生石は那須湯元にある九尾の狐伝説にちなんだ史跡である。湯元温泉、そして那須与一で有名な那須温泉神社もここにある。御神火祭は活火山である茶臼岳の噴煙を祭る神事を発展させた火祭りである。松明行列や太鼓の演奏などが見ごたえあるのだが、天候が悪いと 「雨天順延」 ではなく中止になってしまうので天気頼みの祭りでもある。ちなみに昨年は中止だった。さて、今年はどうなるだろう。
さてこれが那須温泉神社。ただし一昨年の写真で申し訳ない(爆) …実は場所取り競争があるので悠長に神社の参道を散策して撮影する余裕がなかったのである( ̄▽ ̄)
温泉 「鹿の湯」 はなんと太っ腹にも無料解放されていた。・・・でもこれも場所取り優先でスルーだ。
会場の殺生石はまた遊歩道の整備をしたらしく、木造の歩道は新しかった。工事のたびに賽の河原の岩をごろごろ動かすのだけれど、場所によっては一部出来の悪い庭石のような置き方になっている部分があってちょっと見苦しいのが残念。土建業者にも美的感覚を求めたいところだな・・・・
千体地蔵のほうは変な工事の犠牲にはなっていない。こういうのは古びているからこそ味が出るのであってホイホイと整備工事を繰り返すべきではないと思う。
それはともかく、今回は大松明のほぼ正面最前列に布陣。祭りが始まると周囲は人垣になってしまうので、アングルを変更したくても移動は不可能・・・もう、この定位置での勝負である。その意味では場所決めには見極め力と覚悟が必要といえる。
ところでイベント撮影では、よくあとからノコノコやってきて後列から 「見えねーぞ、場所を空けろー」 などと寝言をいう御仁がいるけれど、常識人なら見苦しい恨み節を言うべきではない。良い場所が欲しかったら早く来ればよいだけのことである。ちなみに今回は祭り開始時刻の2時間前から並んだ。先行者は3人・・・まあ例年のタイムテーブルからみればこんなところだろう。
ちなみに↑の写真で中央が明るいのは左右に即席の照明が立っているためである。以前は松明の明かりだけだったのだが、観光客のコンデジや写ルンです/携帯カメラ等では感度上の問題で手ぶれ写真になりやすく、実行委員会の判断で別途照明を用意することにしたようだ。筆者的には炎に照らされる風情が照明で安っぽくなるのがちょっと不満ではあるけれど、暗いところで激しく動き回る祭りだけに実行委の判断は尊重したい(^^;) 実際、絞り開放+ISO-1600でも条件は結構ぎりぎりなのである。
さてそんなこんなで定刻の午後8時。真っ暗な中観光客がぞろぞろと集まってきた。向こうの斜面の中腹に見える明かりが温泉神社である。観光客や氏子など約150名が、松明行列で御神火をあそこから賽の河原まで運ぶことになっている。そろそろ採火の神事が行われているころだろう。
やがて平安調の笛の音で祭りは始まった。祭りそのものは御神火を燃やして太鼓演奏を奉納するだけの至ってシンプルなものである。舞台劇のような演出が加わっているのは観光客向けのサービスのようなものだろうな・・・(^^;) でも細かいことは気にしないで、ここは素直にパフォーマンスを楽しもう。祭りとは神のものであると同時に、また民のハレの日でもあるのだ。
やがて笛の音をバックに、語り部による九尾の狐伝説の物語が始まる。
九尾の伝説についてはここで語りだすと長くなるのでWikipediaで 玉藻の前 とか 白面金毛九尾の狐 などを見ていただくのが良いだろう。最近はマンガやゲームでも妖怪としてかなりメジャーな地位にある九尾の狐だが、古くは謡曲や歌舞伎/講談のネタとしてもよく採用され、江戸期には松尾芭蕉が奥の細道紀行でわざわざ寄り道をして句を詠んでいたりもする。伝説、伝承の中ではかなりメジャーな部類といえるだろう。
そうこうしているうちに、松明行列が温泉神社から静かに降りてきた。
物語が佳境となり安倍泰成との対決〜那須野での戦いの段なる頃、白装束に狐の面の松明行列が賽の河原に到着する。白装束といっても一般の観光客が着るのは普段着の上から羽織る合羽のようなもの。・・・でも、遠目には白一色なので見栄えはそれなりにイイカンジに見える。
物語が終わり、大松明をぐるりと囲む松明行列。
ここで神主によるお払い神事。
そしていよいよ点火用の中松明に火が移される。
<つづく>
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