2007.06.30
沖縄紀行:琉球八社を巡る −3日目ー (その8)




■ シルミチュー霊場(しるみちゅーれいじょう)




もうずいぶん日が傾いてきた。さて本日最後の目的地、シルミチュー霊場に向かおう。霊場は島の南端にある。ささやかな兼久の集落を抜けるとその先は未舗装の狭い路になっており、つきあたりにあるのが霊場だ。




そして到着したシルミチュー霊場入り口。現在では神道と習合し鳥居が建っている。




階段は百八つある。煩悩が百八つ・・・というのは仏教の除夜の鐘だが、神仏習合の頃は除夜=大祓との解釈もあったと思う。いや、階段数から連想するのは考えすぎか(笑)




階段の上には10m四方ほどの踊り場があり、小さな洞窟が開いていた。ここがシルミチュー霊場だ。

シルミチュー霊場はアマミチュー/シルミチューの国生み2神が琉球人の始祖である三男二女をもうけた産屋跡といわれる。アマミキヨ渡来民族説の立場に立てば最初の上陸集団が雨露をしのいだところ・・・とも解釈できそうだが、ここでは神話は神話として考えよう(^^;)




霊場は柵で覆われてはいるが鍵はかかっていない。警告文があったので読んでみると、参拝したときにゴミを持ち帰れという内容であって、中に入るのを禁止しているわけではなさそうだ。


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そこで扉の内部をみてみることにした。手前は大正時代に建てられた旧門柱。奥は日の丸以外は摩滅して判読できないが、明治期に建てられた門柱だろうか。




門柱のすぐ後ろ側に、やっと人が一人座れるくらいのスペースがあり、そこが拝所になっていた。扉は開いており、中には崇拝の対象になっている鍾乳石(陰石)があった。日本本土にもよく見られる、子宝に恵まれる系のアレなのだが、ここでは御神体の全景は載せない(^^;)。

それにしても、ここは沖縄の霊場には珍しく崇拝の対象が明確にモノとしてあるのだなぁ・・・。なんとなく、日本本土にある神社信仰のあり方と共通点を感じてしまうが、ここの起源については神話以上の情報がなかなか得られないので無理な解釈はしないでおこうと思う。




■3日目の終わり




さてこれは番外編である。シルミチュー霊場からもどろうとしたとき、足もとでカタリと音がした。みると非常に不自然な位置に貝殻が置いてある。




・・・ん?




なんと、ヤドカリなのであった( ̄▽ ̄) ・・・それにしても沖縄のヤドカリって、デカイなぁ。




炎天下の中を走り回ったのでこの日は疲労度MAXであった。とりあえず目標ポイントは制覇したので、明日はゆるゆると行こう。

<つづく>