2007.07.01 沖縄紀行:琉球八社を巡る −4日目ー (その2)




■ 玉泉洞 (ぎょくせんどう)




サトウキビ畑を写真に収めた後、本日のランドマーク "玉泉洞" に到着した。全長5kmに及ぶ広大な鍾乳洞と、その上に作られた観光施設をまとめて 「おきなわワールド」 と称している。長さでいうと国内2位になる規模だというが、発見は新しく1967年という。

実を言えば沖縄で初めて有料の観光施設としてオープン(1972年)したのがここなのである。設立は沖縄の地元の人だけで行われ、本土資本は入っていない。




観光施設なので花がいっぱいヽ(´ー`)ノ まあ最後くらいはミーハーっぽいところに寄っていこうという意図で訪れているので、素直に楽しむことにする。




ここの見所は、洞窟もそうなのだけれど沖縄テイストのあふれるテーマパークとなっているところだ。順路としてはまず鍾乳洞のうち890mほどの整備されたルートを通り抜け、地上に出てからはテーマパークを通りながら戻ってくるような施設構成になっている。




さて飛行機の時間までカウントダウンが始まっているのでさっそく入ってみることにしよう。




これが無茶苦茶広いのであるヽ(´ー`)ノ

さきほど "発見は1967年" と書いたが、正確には学術調査によって全貌が明らかになったのがその頃であって、入り口そのものは戦前から知られており地元では "宇和川壕" と呼ばれていた。最初の発見がどのくらいまで遡るかはわからないが、神権政治の王朝時代であれば一大霊場となってもおかしくない風格の洞である。




鍾乳石の成長具合は見事の一言に尽きる。




天井からは現在も水滴が滴っており、足元には川も流れている。侵食は現在も続いているようだ。




10年ほど前に張り替えられた通路のタイルの上に、新たな石筍が成長し始めていた。説明によれば1年でおよそ3mmほどのペースで成長していくとのこである。日本本土の鍾乳洞は石灰岩といっても古生代に生成した硬い岩盤が多く、これほどの速さで成長することは無い。さすがは軟らかい珊瑚礁の島、沖縄といったところだろうか。




途中からは、ほとんど水路になった。いまでこそ通路が整備されているので歩けるが、松明の炎だけが頼りの時代にここを抜けるのは容易ではなかっただろう。長い間鍾乳洞の全貌が明らかにならなかったのは、こんな水量豊富な洞窟内事情も作用したに違いない。




さらに進んでいくと滝の音がしていた。ここは全長2kmにも及ぶ支洞との合流地点。残念ながら支洞のほうも本質は地下水路のようで、一般には公開されていない。



こちらは石灰岩が堰堤状に成長してプールを形成したもの。演出のためにライトが沈めてあるのだが、これは趣味の分かれるところだなぁ。。。少なくとも、洞窟がもうあと200〜300年ほど古く発見されていて信仰の対象になっていたら、このような設備が作られることもなかっただろう。なにか整備がなされたとしても、すくなくとも・・・




こんなノリの施設にはなっていなかった筈だ(^^;)




足元を滔々と流れる水流は、崖の中腹から流れ出て雄樋川(ゆうひがわ)に注いでいた。洞窟本来の入り口は、地形的にみてこちらになるのだろう。




鉄柵がなければ地下水流の中をジャブジャブと進んでいかなければならない立地で、たしかに洞窟として知られてはいても進んで中に入ろうという気にはなりにくいかもしれないな・・・


<つづく>