2008.01.12 大田原:花市




ふら〜りと花市に行ってまいりました ヽ(´ー`)ノ



早いもので1月ももう12日。またもや寒気がやってきたており、雪が降っている。




そんな中、大田原市街地で花市が開かれていた。筆者が訪れたときはもう半ば霙(みぞれ)となっていて、傘は必須といった状況だったが、それでも人出はそこそこあった。昨日は西那須野、来週は黒磯で開かれる予定の新年の風物詩だ。




状況はまあ、こんな感じである(^^;)

神明交差点〜市役所付近まで1km弱にわたって露天が並ぶ。ざっくりと7割くらいが食べ物系か。縁起物を並べて売るのは現在では初詣などで神社が代用してしてしまっている感もあり、ぱっとみると普通の縁日と雰囲気はあまり変わらない。




■ 実は地域差が大きい花市(初市)




この種の催し物に "花市" という呼び名が定着したのは明治期以降のことといい、それ以前は単に初市という呼び方をした。その年の最初の商取引を祝うもので、かつては寺社の境内などで縁起物を売る出店がでたものが、後に発展して現在のような形式に至ったといわれている。

ただし花市にせよ初市にせよ、現代にあっては地域毎にかなり極端な濃淡がある。筆者はこれまで埼玉、東京、神奈川で生活したことがあるけれどもいずれも花市(初市)の習慣はない。それまで年が明ければこういう市が立つものだと思っていた筆者は軽い衝撃を受けたのを覚えている。首都圏の人口密集地を離れるとぼちぼち増え始め、関東では群馬、栃木、また白河以北の東北地方でも見られる。毎週持ち回りでどこかの市街地で市が立っている栃木県は、実はかなり盛んな地域といえる。




さて歴史的にみれば、市の成立は余剰生産品の物々交換に始まり、 "銭" の普及・・・つまり貨幣経済の発展とともに加速した。余剰物資の潤沢化は鎌倉時代以降の二毛作の普及で土地の生産性が飛躍的に上昇したことを端緒にしている。西日本から広まった二毛作はやや遅れて関東にも広まったが、鎌倉末期の頃には既に広く定着していた。

一方で "銭" については、平安時代後半、日宋貿易で輸入銅銭が大量に流入したあたりから本格的に立ち上がったとされる。ただしそれが地方にまで浸透し庶民層まで一般化していったのは室町時代以降であった。戦国期にはそれぞれ群雄割拠する武将が勝手にローカル貨幣を作ったりしたが、結局のところ貨幣というより金銀の塊として純度と重さで取引された。これが統一されたのが秀吉による天下統一のときで、実態としては徳川幕府による銅銭の鋳造で低額貨幣が潤沢に供給されたあたりからが庶民の貨幣経済の本格化した時期といえる。

では、ここ大田原での初市はいつごろまで遡れるかというと・・・おそらくは最初の市街地形成と同時期だったのではないかと筆者は想像している。市街地の原型となったのは前室村の集落である。村に隣接する龍体山に大田原資清公が大田原城を築いたのは天文12年(1543年)、もう室町時代も後期、戦国の頃であり鉄砲が伝来した年にあたる。この時期ならば、人さえ集まればもう市が立つと思って差し支えない。大田原氏は独自通貨の発行をした形跡がないので、最初は物々交換が主で、徐々に輸入銭(銅銭)が使われていったのではないか。

※金銀のような貴金属の秤量通貨はちょっと花市での取引には向かない気がする。使われたとするなら銅銭、もしくは準貨幣としてのコメだろうか。





成立早々の大田原初市で流通したのはおそらく永楽通宝だっただろう。これは明で鋳造された輸入銭で、三代将軍足利義満以降、江戸時代初期まで主に東国(特に関東周辺)で流通した。その価値は永楽通宝1枚=1文で、江戸時代初期のレートで現代の貨幣に換算すると20〜30円くらいに相当する。

驚くべきことに当時の日本は金/銀/銅を豊かに産出する鉱物資源大国でありながら、貨幣の鋳造を行っておらず(平安時代にやめてしまった)、通貨供給を明国に依存していた。その明国は自ら鋳造した貨幣を輸出(主に日本向け)に振り向け、自国内では日本産の銀を事実上の通貨として流通させるという不思議な政策を採っていた。その要因を紐解くと明の初代皇帝洪武帝の政策にまで遡るのだが、話が大きくなるのでここでは触れない。




この奇妙な依存関係が崩れるのは秀吉の朝鮮出兵で日本軍と明軍とが衝突し、両国関係が悪化して以降のことである。江戸期に入ると通貨は国産の寛永通宝に全面的に切り替わり、輸入銭の時代は幕を閉じる。のちに明治維新でこれが新通貨 "円" に切り替わり、第二次大戦後のデノミを経て現在につながっている。

・・・とまあ花市のテキヤの列を見て回るのにそこまで壮大なことまで考える必要もないかもしれないけれど、懐を出入りするお金の歴史もちょっと調べて見ればいろいろ出てくるということでちょっと書き連ねてみた(笑)




縁起物といえばお手軽なところとしては達磨の置物だろうか。地元産というのは無いようで、ここでは白河勢と高崎勢が覇を競っていた。中国系の招福アイテムが流入していないあたりはまだ健全な世界と思っていいのかな。




お好み焼き/大判焼き系の定番アイテムよりは熱く煮えたぎるような唐揚が食べたかったのでとりあえずコレをGET。




おお昔ながらの金平糖もある。




そうこうしているうちにレンズが水滴で曇りだしてしまった。機材的に限界らしいのでここで撤退することにしよう。次は晴れているときにゆっくり訪れたいな・・・


<完>