2009.01.03 那須波切不動尊 金乗院で護摩行を見る (その3)







さて護摩行の時刻が近づき、本堂に上がるよう促された。みれば非常にゴージャスな祭壇が作られている。




祭壇上には密教の世界観を現した曼荼羅が掲げられていた。これは金剛界曼荼羅。男性原理あるいは知性を現すとされる。




こちらは胎蔵界曼荼羅。女性原理あるいは慈愛を象徴するといわれる。

両曼荼羅とも中心にいるのは大日如来だが、これは釈迦と異なり実在の人物モデルはおらず、万物の根源をあらわす理論上の存在である。周囲を固める仏たちの数は多く、原始仏教では悟りを得たのは釈迦(仏陀)ただ一人だったのにいつの間にこんなに増えたんだ?とツッコミを入れたくなるほどの増員ぶりだ。実はこれらの諸仏の出自は時代が下るにつれて取り込まれたヒンドゥの神々らしく、「実は○○○は△△△の化身だったのだよ!」 とか 「最初は悪神だったが改心して仏教に帰依したのだよ!」 という理屈で、ウルトラ兄弟や仮面ライダーシリーズのようにメンツが増殖していったものだ(→いいのか、そんな説明で?笑)。

この仏たちのインフレは後に 「いったいどれを拝んだら良いの?」 から 「結局どれも大日様の化身なんでしょ? だったら手近な一人を拝んでおけばいいじゃん!」 という思想の流れ(※)を生んだようで、その文脈に沿って釈迦以外のさまざまな本尊をもった諸寺が建立されていった。

※本職の僧侶さんならもう少しマシな解説をしてくれる筈(笑) この流れは日本では個人救済を目指す諸派が現れた平安後期くらいから顕在化してきた。一般民衆に難しい仏教理論を説明しても理解してくれないので、とりあえずコレを拝んでおけ、と特定の1仏を選んで示したらしい。筆者は表面的な知識しかないのでこの辺は適当に書いている(汗)




ここで本尊とされているのは不動明王である。空海が輸入した異形の仏で、実は故郷のインドや中国ではさっぱり人気がなく、日本に輸入されてから大ブレイクした特異な明王様である。ビジュアル系の形相が "いかにも効きそうなクスリ" として日本人のミーハー心にマッチしたのかどうかは良く分からない(^^;)




さて時間になり、いよいよ護摩行が始まったヽ(・∀・)ノ

僧侶は5人掛かりで、厄除けを申し込んだ20人ほどが後ろに正座して並んだ。筆者は最前列右側の一番よいポジションに座っているw 一応神聖な儀式であり、他にも祈願者の方がいるのでウロウロと歩き回るわけにはいかない。このポジションで邪魔にならない程度の撮影(・・・結構な枚数撮らせてもらった気がするけれど:汗)をするのみである。

まずは法螺貝でぶぉ〜ん、ぷわぷわ〜とファンファーレが響き、太鼓がドォォン!ドロドロ…と打ち鳴らされた。狭い堂内ですぐ目の前ということもあり、かなり迫力がある。やがて真言の合唱が始まる。ナウマクサンマンダ…とオンカカカ…が入っているので不動明王と地蔵菩薩の真言が唱えられているらしい。続いて般若心経が唱えられ、護摩木が炊かれ始めた。写真ではわからないと思うが、太鼓と読経の音量は物凄い(^0^;)




筆者はお世辞にも信心深いほうではないのだけれど(おい ^^;)、この儀式のビジュアル、音、炎の演出は凄いものだと関心してしまった。確かになにかこう、猛烈に効きそうな感じがするのである。この非日常的な 「なんだか分からないけれど効きそうだぞ感」 というのは、加持祈祷においては重要なポイントだと思う。



やがて炎が赤々と燃え盛ってきたあたりで、お札の清め?らしい儀式が始まった。真言の合唱が続く中、一枚ずつ炎にかざして念を込めるような所作がつづく。これを人数分繰り返すのである。最後にまた太鼓が打ち鳴らされ、法螺貝のファンファーレが鳴って護摩行は終了した。正味20分強くらいの儀式であった。



護摩の残り火が燃える祭壇。読経終了後、参加者には各自この炎に手をかざして祈るよう促された。身体の悪い部分に手をあて、次にその手を炎にかざしてふたたび身体の同じ部分をさすることで病気快癒の効果があるという。筆者は健康そのものなので、少々思案したのち…頭の悪さを克服することにした(爆 ^^;) ぜひとも霊験あらたかならんことを期待したいところだなぁ…w

すべてが終了するとお札が一人ずつ手渡され、そこでお開きとなる。なんとも珍しい体験をしたわけだけれど、文献を読んだだけでは加持祈祷の実際というのはよくわからない。やはり百聞は一見に如かずなのだと思ってみた。

※筆者は護摩行の真髄まで理解している訳ではないので、もしかすると儀式進行に理解不足があるかもしれません。疑問点があったら本職さんに聞いてくださいまし( ̄▽ ̄)ノ




■乃木神社




さて密教の儀式を体験した後は、ふたたび開拓時代にタイムスリップして乃木神社を訪れた。司馬遼太郎の著作ではボロクソに書かれている不憫な人物ではあるけれど、乃木将軍は明治を代表する軍人の一人である。隣接地域には大山元帥の墓、西郷神社(↑の画面からは外れる)、そして三島農場(画面左上の碁盤の目状の地区)などが集中し、松方内閣の前後の頃にいかに日本の主要人物がこの付近に入植していたかが垣間見える。

東那須野神社の項で東北本線の開通時に西那須野(当時は単に那須駅と称した)と黒磯に駅がおかれ、東那須野が10年少々遅れて整備された話を書いたが、優先整備されたのは要するに "偉い人たちが開拓に入った場所" で、ここ西那須野はその一極であった。

乃木神社は、明治天皇崩御のとき乃木将軍が婦人とともに自刃したのち大正時代になって作られた。その参道は駅前一等地にあって長さ800mにも及ぶ長大なもので、沿道の桜並木は現代にあってなお見事な景観を誇る。




…が、ここはもう何度も紹介しているので敷地内裏側の小社からみていきたい。静池のほとりにある八雲神社である。祭神は須佐乃袁尊(すさのおのみこと)らしいが、それよりさらにここに統合されている小社が興味深い。



なんとこんなところに金精大明神が祀られているのであるヽ(・∀・)ノ 明治政府の淫祠廃止令もなんのその、乃木将軍の別邸跡地にこれがあるとは思わなかった。やはりあるところにはあるものなんだなぁ…w




それはともかく、表玄関にまわってみる。不況だ不況だと言われている割には人出は多かった。景況を反映しているのはむしろテキヤの店揃いで、あまり見かけない系統の出店が散見される。中の人の勢力図も微妙に変わったりしているのかな…?



今年も直立不動の乃木将軍像。祭壇ではないけれど鏡餅が供えてあるのが少々可笑しい(^^;)




家内安全+武運長久+日本の敵の滅亡(笑)をささやかに祈った後に、おみくじを引いてみた。おお、大吉とは幸先の良いことだなぁ…ヽ(´∀`)ノ

…ということで、本日はここまで〜♪

<完>