2010.03.27 利根川堤防:菜の花ロードを行く(その2)
■赤岩渡船
さてグライダー滑走路と平行しながら、極楽のような黄色い絨毯の中を南下していく。…それにしても、これだけの見事な景観なのに見物客は驚くほど少ない。もしかするとこの辺の人たちにとっては当たり前すぎる景色で、わざわざ休日を潰してまで見に行くものではない…ということなのかもしれないが、それにしても勿体無い話である。
やがて、堤防の一段下を走っていた自動車道は、堤を乗り越えて河川敷川に降りた。見ればバスが何台も停まっていて、なにかイベントをやっている。…なんだろう? ここが道路の終点なのかな?
そこには広々としたグラウンドが整備され、なにやら女子サッカーの大会が開かれていた。
聞けば結構なレベルの大会らしいのだが、残念ながら強豪(?)らしいチームの名前を聞いても筆者にはさっぱりわからなかった(^^;) …とりあえず、まあ頑張れ大和撫子達♪
ところで現在は運動グラウンドになっているこの河原は、かつて利根川水運が現役だった頃の荷の集積場であったらしい。ここの地名は葛和田といい、向かい側の岸は赤岩という。
利根川(※江戸川)のここから下流域は江戸湾河口部まで水深も深く、荷を積んだ大型船の航行に適していたという。熊谷から江戸川(旧利根川)河口までは水平距離=約100kmに対し標高差はわずかに24mしかなく、流れは十分に緩やかで上り/下りとも帆で風を受けながらの航行が可能であった。記録によればここには百石船が8隻常駐しており、交代で江戸まで往復していたらしい。百石の米といえば約15トン=米俵で250俵ほどになり、川船としてはかなりの重量級である(→大型トラックの15トン車を想像してみるとよい)。
地図をみると葛和田のなかでも利根川に面した河原部分(このグラウンドの辺り)には "俵瀬" の字名が残り、かつての要衝としての名残をとどめている。堤防の内側=河原に地名がついているのは周辺ではここだけである。
※利根川は江戸時代に渡良瀬川水系と繋ぐ工事が行われ、現在では銚子に抜ける川筋が本流として扱われている
現在では水運は鉄道/トラック輸送にその役割を譲って衰退してしまったが、ここにはかつての遺産が "渡し舟" として残っている。利根川には街道の主要な渡河ポイントが16箇所あり坂東十六渡津などと呼ばれたそうだが、ここは物流の陸路と水路の交差点として、その主要な渡河点のひとつであったのだ。
…が、それは後から調べたことであって、筆者はこの渡し舟に関しては駐車場の案内係らしいご老体から聞いて初めて知ったのであった(^^;) ご老体の薀蓄(うんちく)によればここは戦国時代まで遡る古い "渡し" の船着場で、名は向こう側の地名を採って赤岩渡船という。どうして向こう側なのかはよく分からないが、葛和田側は河原が広く物流拠点として繁盛していたので渡し舟の利権は赤岩側が持った…と考えれば自然かもしれない。
「せっかく来たんだから、乗っていったらどうだね」 …とご老体は薦めてくれた。行ってすぐに戻ってくればいいというので 「何分に一本くらい出ているのですか」 聞くと、特に時刻表などはなく "呼べば来る" という。基本的に向こう岸=赤岩側に拠点があって、必要に応じてこちら側に迎えに来てくれるらしいのである。
「この旗を揚げるんですよ、これが合図になります」
…といわれて見たその旗に、しかし筆者は思わず凝固した。 あの…マジでこれで日常運行しているのですか?(^^;)
・・・いまどきの時代、携帯なり無線なりインターネットなりで連絡を取れば良いだろうに、なんとここでは昔ながらの旗信号で運行されていたのである。
なんという時代錯誤っ!( ̄▽ ̄;)
いや筆者はこういうノリは実は大好きなので、もちろんこれは褒め言葉なのだが…それにしても凄いところだぞw
旗の脇にある説明を読むと、ここは観光用の渡し舟ではなく、なんと現在でも県道熊谷-館林線の一部を成す "公道" として機能しているのであった。公道であるから通行料は発生せず、ゆえに船の運賃も無料である。…それにしても、こんなところがあるんだねぇ。
そんな訳で、まったく予定には無かったのだが渡し舟に乗ってみることにした。相変わらず行き当たりばったりの紀行だけれど、まあこういう発見があるのも面白みのうちといえよう(^0^;)
乗客は、筆者のほかに家族連れが数名。時刻表は無いので人が来れば即出発である。船頭氏はやはり結構なご老体で、この道何十年なのかはよく分からないが慣れた手つきで軽やかに操船していく。
それにしても、川幅500mというのは広いなぁ…(´・ω・`)
水の流れは目視で見る限りほとんど実感できない。これなら確かに河口から登ってくるのもラクだろう。帆船で航行するのにそんなに都合よく川上/川下側に風が吹くのかというツッコミもあるかもしれないが、移動性の高気圧や低気圧が抜けていく際にはその前後で風向きが逆になるので数日間の風待ちを考慮すれば帆船は案外実用的なのである。
さて対岸の船着場が見えてきた。結構立派な施設だが、よく見ると待合室などは工事中で、ちょうど今整備事業が進行中であることが伺える。
船頭氏の操船はさすが匠の技という感じで、滑るようにターンを効かせて船首を川上側に向けてぴたりと接岸した。停船位置に寸分の狂いも無し。…さすがだw
船から下りて、真っ先に詰め所に行ってみた。まさか…とは思ったが、係員氏が中にいて対岸をじっと見つめている。電話のように呼び出し音が鳴るわけでもなく、旗が上がったかどうかが船を出す唯一の合図なのでじっと一点凝視のスナイパーのような仕事である。
筆者も振り返って旗を目視しようとしたが………………………
こりゃ視力5.0のマサイ族の戦士でもないと務まらんのじゃないか!?ヽ(@Д@)ノ
…という素晴らしい距離感なのであったw
さて渡ってはきたものの、特に筆者にはすることがない。一応ここにはバス路線が通っていて伊勢崎線:館林駅までは行くことが出来るのだが…さすがに愛車 X-Trail を置き去りにしてバスの旅というわけにも行くまい(笑) ちなみに葛和田からは熊谷駅までバス路線があり、この渡し船を利用することで館林〜熊谷までが一本の路線として繋がる。暇な人はこの路線を制覇すると面白いミニ旅行になるかもしれない♪
…それはともかく、とりあえず次に船が戻ってきたら引き返すとしよう。
しばしマターリと水面を眺めてみた。…こうしてみると実に平和な昼下がりだよな。
やがて、ふたたび船が客を乗せてやってきた。
このアングルでは川上は右側である。船は流れに乗りながら下流側でターンをはじめ…
滑るように向きを変えてくる。
ここでぐいっとモンキーターン(?)を決めて・・・
船首を川上に向けてぴたりと船着場に停船した。…何度見ても鮮やかだな(´・ω・`)
この船に筆者が乗り込もうとすると、船頭氏は 「あ〜疲れたから十分休憩〜」 と言って煙草休憩に行ってしまった。他に2人ほど客が待っていたが、「ま〜ゆっくり待とうや、がははは」 というノリである。そこには、どうやら緩やかな暗黙のルールがあるように思われた。どのみち急いだところで、筆者のような瞬間往復でもなければその先にはバス路線しかない。その時刻に間に合えば十分なのである。船頭氏は予告より少しばかり早く戻ってきてまた匠の技で操船を始めた。
ちなみに 「がははは」 の船客は80歳過ぎの心身堅牢なるご老体コンビであった。渡し船の帰路はこの偉大なる先輩による歴史談義で埋め尽くされて写真を撮る機会が殆んどなかったのだが(笑)、まあそれはそれで佳(よ)き旅のひと時である。
赤岩渡船の歴史は文献上は500年ほども遡るというが、長続きする秘訣は斯様(かよう)にほどほどのテキトーな運用というのがコツらしい。…この点は、筆者も大いに学び取り入れたと思ってみた(^^;)
<つづく>
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