2010.04.02 靖国神社〜千鳥ヶ淵界隈(その3)
■千鳥ヶ淵
靖国神社を出て、九段坂上の信号機から皇居側に渡る。千鳥ヶ淵はもう目と鼻の先である。
さきほどまでは青空が覗いていたのに、雲が出てきてぽつりぽつりと小雨が降り出した。天気予報では一日晴れると言っていたのだけれどなぁ…(´・ω・`) この分だとあまり長居も出来そうにないので、本降りになる前にざっと見てしまうことにしよう。
靖国境内と同様に、こちらも桜並木はほぼ満開だった。沿道は靖国通りから戦没者墓苑あたりまでが歩行者天国となっていて、TVで千鳥ヶ淵が猛烈にPUSHされているせいか人通りは多い。当然ながら(?)堀の見渡せる道の左端が花見客でひしめき合っていて、人の列はほとんど動いていないようだった。
さて案内板があったので見てみると、そこには現在の沿道状況と比較する形で江戸時代の地図が書かれていた。武家屋敷の状況からみて享保年間(1716〜)以降のもののようだ。
堀の周辺は現在とほぼ同じ構造で、今は武道館になっている辺りに大きな大名屋敷があった。清水殿、田安殿とあるのは徳川御三卿の清水徳川家、田安徳川家のことで、写真上部にはもうひとつの一橋徳川家の屋敷もみえる。
江戸城が整備される以前まで遡ると千鳥ヶ淵はちょうど図の点線部分中央付近が湧き水の溜まった池になっていたそうで、初期の江戸城はここの水を飲用水として使用していたらしい。堀のなかでは最も古い一角である。
その江戸城では、ここ千鳥ヶ淵付近の堀端は防火区画として広大な空き地になっていたらしい。一部で薬草園が開かれたこともあったそうだが、桜が植えられたのは明治維新どころか戦後も昭和30年代になってからで、桜の名所とは言ってもその歴史は実は浅い。時期的には千鳥ヶ淵戦没者墓苑の開園が昭和34年であり、おそらくはそれに合わせた整備だったのではないだろうか。
戦後の復興期に植えられた桜は全国で多く、公園の拡張や堤防整備と相俟ってやはり昭和30年代によく植えられた。都内では特に東京大空襲で樹木が多く焼失した事情もあって、桜の名所と言われるのは戦後の高度成長期の整備によるものが多いようである。
さてもみくちゃになりながらも何とか最前列までたどり着き、堀と桜の様子を撮ってみるヽ(´ー`)ノ 水面から堀上面までは7〜8mもあるだろうか…枝垂れ気味の樹相がイイカンジになっている。
ただ、この風景も永遠のものではない。ここに植えられたソメイヨシノは既に樹齢50年を越え、そろそろ植え替えの時期を迎えつつある。在来種の桜は長いもので樹齢1000年ほどにもなる古木が存在するが、園芸種(F1雑種)であるソメイヨシノの寿命は60年ほどでしかなく、ほとんど人間と変らない。それゆえに、定期的な植え替えなどの整備が欠かせず、放っておけばどんな "桜の名所" も数十年で朽ちてしまうのである。
ここの桜も、一斉に若木に植え替えられてしまった場合、ふたたび枝振りがゴージャスになるまでに10年以上を要するだろう。おそらく現在くらいの樹齢、枝ぶりで見る千鳥ヶ淵が、この立地においては最も美しい状態といえるのではないか…ミーハーな客列に紛れ込みながら、筆者はそんなことを思ってみた。
花の儚(はかな)さ以上に、桜の木そのものも "人とともにあり続けなければならない" 宿命のもとに存在している…桜というのは、どこまで行っても短命の象徴なんだなぁ。
■ボート乗り場と人だかりとTVカメラと…
さて桜紀行というのはどれも似たような写真ばかりになって絵的な変化に乏しい難点がある。今回も使えるカットが残り少なくなってきたので、ボートの周辺について多少触れておしまいとしよう。
千鳥ヶ淵で人気があるのは、水面ギリギリまで伸びた枝にボートで近づいて記念撮影をすることである。当たり前の話だが老若を問わずカップルが多く、翻って一人で行くと非常〜〜〜〜〜〜〜に乗りにくい(爆) ボート乗り場の行列も凄いので、筆者は今回は岸から見るだけにした。(まっ、負け惜しみで言ってるんじゃないぞw)
ちなみにこれはボート乗り場のすぐ上にある展望台の状況である。誘導係がいないので皆人込みを掻き分けながら前列にやってきて、満足するとまた掻き分けながら戻っていく…といった状況のようだ。
ここに人が集中するのは、ただ一点…視界が通るからである。ボート乗り場の付近は桜の枝が邪魔にならないので、堀の全体像がよく見渡せるのだ。
かくいう筆者もせっかく来たのだから…と、ミーハーの列に並んでみた。列とは言ってもかなりカオスな人込みでしかないのだけれど、人数的にはボート行列の1/3以下なのでまだ幾分楽なほうである。押し合いへし合いで20分ほどかけて最前列まで来て見れば…おお、たしかに堀の様子が一望できるのであったヽ(´ー`)ノ
ん?…というか、これはどこかで見た風景だな。
そう思って振り返ると、そこにはNHKの中継カメラがあった。なるほど…ニュースでよく中継している場所だったのか。
ここでぽつぽつと振る小雨が、やや強くなってきた。もう少し頑張って 18:30 まで待てばライトアップも始まるところだが、どうやらこのあたりが潮時だろう…そう判断して引き上げることにした。
…あとで聞いた話によると、千鳥ヶ淵界隈は沿道側ではなく対岸の北の丸公園側からアプローチすると混雑が少なくてよいのだそうだ。同じ時間帯に対岸側にいた人はどうやら行列とは無縁の花見が出来ていたらしい。…まあ、このあたりは次回以降もう少しうまく再トライしてみよう。
そんな訳で、今回はここまでとしたい。
<完>
■あとがき
いやー今回は、長いというより 「疲れた」 レポートでした( ̄▽ ̄) ・・・ともかく、筆者は靖国神社に対して知らないことが多すぎます。漠然としたイメージと実態がこれほど違うという取材対象も珍しいでしょう。今回はあくまでも桜を見に行ったので、趣旨から外れるところはかなりカットしてしまったのですけどね。
それにしても・・・風景だけ撮って 「ああ綺麗ですね」 で済ませてもよかったのですが、ほんの少しでもその背後にあるものを書こうとすると、突然、猛烈に 「何か」 に配慮しなければならないという暗黙のブレーキが脳内で働くのが困りものでした。この正体不明のブレーキとは、戦後教育やマスコミ報道によって物心ついたころから繰り返し刷り込まれたもの…いわゆる ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム の成果でしょう。これらは真相意識の深いところに刷り込まれる暗示のようなもので、払拭するのは容易ではありません。
しかしよくよく調べてみると、なにやら旧日本軍や戦前の大日本帝国に対して刷り込まれているのは "漠然とした嫌悪感" であって、具体的な事実関係を追っていくと 「あれ?」 という事象にめぐり合います。今回の取材では "同期の桜" の周辺が印象的でした。思ったほど勇ましいものではなく、死への覚悟を静かに綴っているだけ…。歌詞の中でほぼ唯一 "国のため" という一節に違和感を感じる人がいるかもしれませんが、兵隊が自分の国のために戦うのは古今東西当たり前 (→違っていたらそれは安全保障上の大問題^^;) なので筆者は問題とは思いません。それを "問題だ" と感じてしまうとすれば、それこそ戦後教育でおかしな価値観を刷り込まれた証左といえるでしょう。
一方で、たとえば海軍軍楽師の作曲した軍艦マーチなどは内容も勇ましく、こちらは本当の軍歌といえます。ただし作詞は博物学者の鳥山啓で、軍人ではありません。
守るも攻むるも黒鉄の
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の
皇国の四方を守るべし
真鉄のその艦日の本に
仇なす国を攻めよかし
石炭の煙は大洋の
竜かとばかり靡くなり
弾撃つ響きは雷の
声かとばかり響むなり
万里の波濤を乗り越えて
皇国の光輝かせ
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の
皇国の四方を守るべし
真鉄のその艦日の本に
仇なす国を攻めよかし
石炭の煙は大洋の
竜かとばかり靡くなり
弾撃つ響きは雷の
声かとばかり響むなり
万里の波濤を乗り越えて
皇国の光輝かせ
…しかしまあ、こちらも諸外国の歌に比べたら穏やかなものです。たとえば中国人民共和国の国歌なんて 「冒着敵人的炮火、前進!冒着敵人的炮火、前進!前進! 前進! 進!」 (敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め! 進め! 進め! 進め!) なんて具合ですからねぇ…
さて今回は桜がテーマなので花に話を戻しますが、木としての寿命が短いゆえに、植えれば短期間で名所をつくることが出来る一方、放置すれば半世紀ほどで朽ちてしまうのがソメイヨシノです。現在TV中継でもてはやされている千鳥ヶ淵周辺も、永遠の名所ではなくあと10年もすれば朽ちる木が続出してくる筈で、定期的な植え替えがそろそろ必要になってきます。靖国神社もおそらく定期的に植え替えを行っているのでしょうね。
植え替えをせずに朽ちてしまった事例としては、那須近郊では大山元帥墓所が典型でしょう。西那須野駅前にある古墳のような墓所ですが、桜と紅葉(もみじ)が交互に植えられていたものの桜の植え替えをしなかったのですっかり朽ちてしまい、現在は参道には紅葉だけが残っています。喜連川の桜並木も70年を経てそろそろ樹勢が衰えてきています。
こうしてみると、日本の象徴たる桜の花も実は脆弱で、常に人の手で面倒を見てやらなければならないことがよくわかります。伝統だと思っていたものが、半世紀も放置すれば消えてしまうという現実…。靖国に限った話ではありませんが、戦後65年を経て我々日本人が怠惰に過ごしている間に、実は日本の伝統とか象徴といったものがいつしか朽ちてしまった…などということがないようにしたいものですね。桜のない春なんて、寂しすぎますから…(´・ω・`)
おしまい
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