2014.07.26 塩原化石探訪:後編(その2)




■ 化石の原石を割ってみよう




そんなわけで化石園の休憩スペースで原石を割ってみる。




貸してもらえる道具はこんな感じである。少々年季が入っているけれどもちゃんとしたロックハンマーだ。普通の玄能では岩を割るには向かず、こういう 「先刃」 タイプのものがいい。2本セットになっているのはタガネのような使い方をするためで、一本の刃先を原石に当てて、その頭をもう一本のハンマーでコンコンと叩くようにする。




化石の原石は凝灰岩質の堆積岩で、要するに火山灰の成分が周辺河川から流れ込んで層を為していったものだ。岩石の中では比較的やわらかい部類に入る。

地層の色が違うのは珪藻の繁茂具合の差によるもの…という理解で良いのかな。単純な均一バウムクーヘン状ではなく重なり方が変化に富んでいるのは、大水や噴火などいろいろなイベントがあったことを示しているように思える。




さてそれでは、とりあえず適当な一個を選んで正義の鉄槌(なんだそりゃ)を下してみよう。
「うおりゃーーっ♪」 ヽ(´・∀・`)ノ




力余って変な割れ方をしてしまった(笑)けれども、とりあえずヒット。外れてしまったら別の層のところを狙って割っていけば、どこかには必ず何らかの化石が含まれている。出てくる植物の種類は発掘実績としては200種類ほどが報告されているが、量的に多いのはブナやハンノキの葉である。

化石はポジ/ネガの要領で分離するので、1枚の葉から2個の化石が取れる。小さい子供にはこれがとても不思議なようで、筆者が割っているときも何人かギャラリーが居たのだが、「ハンコみたいだー」 などといって興味深く見入っていた。




変な割れ方をしてしまった化石は、マイナスドライバーでコジコジやって葉を綺麗に掘り出してもよい。あまりやりすぎるのもアレな気はするけれど、石は柔らかいのでトリミングはしやすい。




さてこちらは大きめのブナ(たぶん)。原石ブロックが10cm角くらいなのでなかなか葉がぴったりと収まってくれないのがアレだが、葉の埋蔵位置は30万年前に決まってしまっていて今さら 「もうちょっと横に移動してヨ…!」 などと注文は出来ない(笑)。まあ出会ったところが運命と思うようにしよう。




…調子にのって別の層を割ってみたのだが、こちらはハズレ。よく見ると微化石はたくさん含まれているのだが、見た目のインパクトとしてはちょっと残念である。こんなときは別の層をスライスして再チャレンジだ。




ちなみに地層は状態(剥離性)がよければ5mmくらいの厚さにまでスライスすることができる。剥離性が良いかどうかは原石によって当たり外れがあり、硬く締まった原石ではやりすぎると地層とは関係ない方向に割れてしまったりする。このあたりは叩いて様子を見ながら試行錯誤するしかない。

…まあ、一山¥500なのだからそれも含めて愉しめば良いし、夏休みの子供の日記ネタとしては十分に元は取れると思うのだがw




ところで一見するとゴミみたいに見えるものでもデジタル顕微鏡で見てみるとこんな感じで、これもれっきとした化石である。どうやらこれはカラマツの新芽の先端部分らしく、長さは2mmくらいであった。もっと性能のよい顕微鏡を使うと珪藻類や花粉の微化石なども見えるそうなのだが筆者の貧相な装備ではそこまでは届かない。

※微化石は本来は薬品で石を溶かして分離するのがセオリーらしい。筆者は残念ながらやったことがない。




さて別の原石を割ってみると、今度はなかなかでっかいのが出た。地下水が浸透したのか若干変質気味だが、まずまずイイカンジだ。




それにしても葉脈の細部まで非常に綺麗にみえるのは素晴らしい。ここの化石が世に知られたとき、あまりにも葉の状態が明瞭すぎて 「人工的に印刷したものではないか?」 と言い出す人がいたそうだが、無理もないかもしれない。全国的にみてもここの化石のクォリティはかなり高い位置にあるといわれる。




最近では化石園は学習教材としての化石の供給元として密かに有名らしい。他県の博物館や科学館などの古生物系のイベントでもよく使われていて、塩原の名前は聞かなくても体験学習で原石を割ったことのある人は多いのではないだろうか。




ただ化石園にはなにやらポリシーがあるようで、現在のところ科学系のイベントや教材以外ではこの原石は出回っていない。通販ではサメの歯や恐竜の歯、アンモナイトの化石などが (結構なボッタクリ価格で) よく売られているけれども、木の葉石はそのような市場には供給されていない。まあここに来ればこれだけ良心的な価格で化石割り体験ができるのだから、欲しい人は現地に赴いて実際の露頭の地形や展示物と一緒に楽しめばよいと思う。




…さて御託を並べている間に、だんだん割る物がなくなってきた(笑) 最後の悪あがきに、失敗して砕いてしまったカケラなどをスライス割り。…おお、しぶとく頑張ればいくらでも出てくるものだな。




都合90分ほどかけてパコパコと割った成果は御覧のとおり。素人作業なので展示品にできるような綺麗な割り口には全然なっていなのだが、まあそこはそれ。なかなかに楽しい作業で、出来のよい品はラッカースプレーで表面を剥離止めすればちょっとした記念品になりそうな気がした。



 

■ エピローグ:塩那スカイラインより化石湖を望む




そんな訳で今回のにわか化石探訪は一応の終了である。

最後に筆者は化石園から少しばかり塩那スカイラインを登って、塩原盆地を眺めてみることにした。現在では化石湖はすっかり干上がっているけれども、昔の様子を想像しながら景色をみるのもオツだろうと思ってのことである。

標高約1000mから見下ろす塩原盆地は、現在は県内屈指の温泉街として観光客で賑わっている。温泉が発見されて以来1200年、人の営みとしては、まあそれなりに古い歴史といえる。




戯(たわむ)れに、この風景にかつての湖を想像して合成してみると、こんな絵になった。

この湖底に化石層が形成された時代は、ネアンデルタール人(20万~2万年前)の出現よりも古い頃で、湖はすくなくとも2回の氷河期を経験し、やがて消滅していった。日本列島に人が住み始めたのはウルム氷期の終盤頃(~2万年前)と言われているから、この湖を見た人というのはおそらくいない筈である。…というか、人の歴史に比べてあまりにも時間スケールが違いすぎる。

…そんな風景の中で、静かに、静かに、木の葉が湖底に沈んでいった。それはとても地味な営みで、すこしずつ沈殿する土砂の厚さはやがて50mを超えるほどにもなり、30万年という途方もない時間を経て、やがて化石となったわけだ。




「今から30万年後」 という世界がにわかに想像できないように、「今から30万年前」 という世界もなかなか簡単には思いが及ばない。…それがこうして化石という形で掌(てのひら)に収まっているというのは、なんとも不思議な気がする。


【完】





■ あとがき


さて今回はあまり頭を使わなくてすむテーマとして化石探訪などを取り上げてみましたが如何でしたでしょうか。栃木県内ではこのほかに矢板、烏山、高久、小川などで化石層の露頭があります。大谷石の採掘場にもありますし、意外(?)な所としては宇都宮の八幡山公園(市街地のど真ん中)などもそうです。いずれも貝の化石が多く、時代は新生代第三期のあたりで東日本が海底だった頃の遺物です。(県南に行くと古生代の頃の石灰岩層があり珊瑚の化石がみつかったりもします)

木の葉石はそれよりはかなり新しく、高原山の火山活動と連動して湖が生成し、やがて消滅していった過程でつくられました。旧塩原町の領域はこれらが割と狭い範囲で点々と露出していて、今回紹介しなかったローカルな露頭もいくつもあるという点で面白いところといえます。(あまり小規模なところは乱獲されそうなので掲載しません)

※塩原化石湖は湖の規模としては中禅寺湖(2万年前に形成)とほぼ同等で、当時は中禅寺湖はありませんから栃木県域では唯一最大の湖であった可能性が高いです。

それにしても不思議なのは、博物館で綺麗に整理されてガラスケースに収まった化石と、実際に野外でみつかる化石の存在の重さの差です。河原に転がっている化石は本当にただの石ころみたいなもので、それをきちんとトリミングして展示室に飾ると途端に "標本" になって 「なにやらスゴイもの」 になってしまうんですね。いわゆるラッピング効果というか、これはそれを見る人間側の意識がそうさせるのかもしれませんけれども。




さて自然の風景のなかにある化石というと、思い出すのは先月に訪れた沖縄県の久米島です。ここは珊瑚の島なので海岸部がまるごと珊瑚と貝殻の化石の塊みたいなところです。ちょっとした岩場に行くと、もうそこらじゅうに化石の露頭がある訳です。でもあまりにも当たり前すぎて、誰も関心を払いません。本土から出掛けて行った観光客もまったく興味を示さずに踏んで歩いているくらいです。

上の写真の見事な珊瑚化石も、公園から海岸に降りていく途中にあって、誰の目にも触れやすいところにあります。もしこれを2x2m角くらいで切り取って本土の博物館で展示すればそれなりの価値を見出されることになるのでしょう(筆者は賛同しませんけれども)。しかし現実には、無関心のなかで放置され、風雨でゆるやかに浸食されながら風化の途上にあります。




その化石の転がっている海岸をややロング気味に撮ると、こんな風景です。砂以外、岩のように見える部分はほとんどすべてが化石の塊…。それが、延々と広がっています。

筆者はこれを見て、なんともいえない美しさを感じました。箱の中に綺麗に収まってるよりも、こんな広々とした風景の中で泰然(たいぜん)として在るのが、きっと化石の本来の姿なのでしょう。これらはみな、自然の作用のなかで形作られ、やがて風化して消えていきます。

とある時代を生物が生き、死して石と化してその姿を留め、やがてそれも朽ちていく…。その第二の人生は途方もなく長いわけですが、しかし永遠というほどでもない。人間はその長い長いプロセスのほんの一瞬を眺めているだけです。こうして地球史的なスケールの営みを見ていると、やはり謙虚になるべきなのは人間のほうであろうと思えてきますね。


<おしまい>