2015.11.11 烏山:那珂川に遡上する鮭を見る(その2)



 

■ 河原に降りてみる




さて河原をみると結構クルマが降りている。ここは夏場には簗(やな)が営業していて鮎飯や鰻飯が食べられたりするのだが、現在はオフシーズンなので店舗施設は無い。

この時期に河原に降りているというのは、彼らはみな鮭が目当てなのだろう。写真の画角には入っていないけれど左側の茂みの奥にも駐車場があり、車高のひくい2WD車がさらに10台ほど停まっている。こうなると筆者も行ってみなければなるまい♪




そんな訳で河原に向かってゴゴゴゴ…♪




ということで難なく到着。河原は卵大~拳大くらいの玉砂利で、川の中央くらいまで同じような砂利層であった。 思ったよりマイルドな河原で、これなら四駆でなくても降りられそうな気がする。ファミリーで川遊びをするのにはちょうど良さそうなところだ。




ここから見る境橋は、背景の紅葉と相まってなかなか男前な写りである。色の乗り具合からみると紅葉の最盛期は来週くらいのような気もするが、 今の状態でもまあ悪くはない。静かないい環境である。




ところでさきほど "卵大~拳大" と書いたけれども、この砂利のサイズは実はとても重要である。というのも鮭は産卵床(30cmくらいの穴)を掘って産卵、受精した後でまたそこを埋め戻すのだが、 あまり細かい砂のような砂利では孵化した稚魚が出てくるスキマがなく、ただの "生き埋め" になってしまう(^^;) また大きすぎる石では穴を掘るという行為がそもそも成立しない。

適度に粗くて隙間があり、かつ親鮭の魚体(尾ヒレ)で穴が掘れる砂利のサイズと言うのがちょうどこの "卵大~拳大" で、 鮭の産卵場所を探すときに川相を判断するひとつの目安になる。つまらない雑学だけれど知っているとちょっとお得な気分になれそうだ(^^;)




さて河原から水中をみると…おお、いたいた、ほんの5~6m先に鮭がいる。




不思議なことに、彼らは人が至近距離まで近づいてもあまり逃げようとする素振りは見せない。まるで何かを悟ってしまったかのように産卵床を掘ることに集中している。




本来ならその様子を動画で撮りたかったのだが、残念ながらタイミングが合わずスチル写真で申し訳ない(^^;)  これ(↑)が尾で河床の砂利を掘っている瞬間である。よほど体力を使うのか、いったん砂利堀りの動作をすると4~5分くらいは休む… というサイクルでゆっくりと時間をかけている。掘る動作は一回あたりほんの数秒といったところだ。




その脇で、さらに上流にむかって泳いでいく鮭がいる。この個体はここで留まらずにさらに上を目指すらしい。まるで記録に挑むアスリートのようだ。




一方でこちらは、やせ細って相当にくたびれた様子の個体である。ここまでボロボロになるともうこれ以上水流に逆らっていく体力は無さそうで、 流れの緩やかな橋桁の陰で静かに漂っていた。あるいは既に産卵活動を終えて、短い余生を過ごしているのかもしれない。



 

■ 色は匂へど散りぬるを…




さてこちらは大役を果たし終えた鮭の御一行の行く末である。絶食のうえ自らの筋肉を分解しながら川を遡ってきた彼らは、産卵を終えるともう体を維持することが出来ず、わずか数日で力尽きてその生涯を終える。河原にはその亡骸が大量に打ち上げられていた。




ちなみに北海道ではこういった産卵後の鮭をホッチャレと呼ぶ。無理矢理に漢字を当てはめれば 「放捨れ」 あたりが妥当だろうか。栃木県では用済みの品を捨てるという意味で 「ちゃある」 という方言があるので、栃木県人である筆者はこの言葉の語感がなんとなくわかる気がする(^^;)




意外に思われるかもしれないが、かつてアイヌの鮭漁はこのホッチャレを主に獲るものであった。もちろん食用にするものなので死骸ではなく産卵後まだ生きている弱った個体を主に獲るのだが、脂の抜けきったパサパサの肉は食味は落ちるものの腐りにくく、わざわざ塩を使わなくても長期保存できる利点があったので重宝された。




そういえば6月に北海道に旅行に行った際、資料館でアイヌ民家のセットに吊るされていた鮭の干物がやけに貧相で 「なんだこりゃ」 と思ったのだが、今にして思えばどうやらこれがホッチャレであったらしい。消耗しきった魚体から腸(はらわた)を抜いて干すと、こんな風になってしまうのだな…




そんな性質もあってか、打ち上がっている鮭の遺骸は意外なほどに腐敗臭がしない。筆者はこれまで生魚=すぐに腐るという固定観念を持っていたのだが、どうやらそこに例外規定を追加しなければならないようだ。

北海道の原野ではこれが越冬前の野生動物の貴重なタンパク源になっているという。自然界はうまくできているもので、死してなお鮭は他の生物相に恵みを与えているというわけだ。




とはいえ原野よりは文明世界に近い烏山(ぉぃ ^^;)では、これらを喰らい尽くすほど大量の野生動物はいない。おかげで鮭は鳥についばまれることもなく、原形のままゆっくりと朽ちていく途上にあるようだった。




…まあ、ひとまずお役目ご苦労様。安らかに眠ってくれ給え。



 

■ 暮れゆく中で鮭を眺める




さてそんな訳で、特に気の利いたひねりもなくこのあたりで今回のレポートは終わるのだが、最後に鮭の回帰率についていくらか書いておきたい。

従来筆者が聞いていた鮭の回帰率は天然もので0.1%、放流ものを含めて1%内外の数値であった。しかし最近は水質の改善と放流事業の試みがうまく合致して3%くらいに回復しているという。特に本州ではここ10年くらいで遡上量が急増しており、いつのまにか河川の環境は良い方向に転がりはじめているらしい。




これだけ工業化の進んだ国で今頃になって環境改善が進展するというのはちょっと意外な感じもするけれど、まあ良い傾向であることは確かなので素直に喜びたい。筆者的には、アユだけではない那珂川の姿が見えたことに感慨を覚えている。




そのまま、缶コーヒーを片手に日が落ちるまでゆったりと河原で過ごした。

辺りには川の流れる音がひたすらに単調に響き、ときどき鮭の跳ねる音が加わってアクセントとなる。だた黙々と為すべきことが為されていく、静かな時間。




ありきたりな表現になるけれども、シンプルで美しいと思ってみた ヽ(´ー`)ノ


<完>