2016.05.17 震災の熊本城を歩く(その4)




■ 城郭の東側へ




さて天守閣の西側は一通り見たので、今度は東側を見てみよう。…といっても、もう延々書いて4ページ目なので(^^;)、あまり長くならないようにさらっと紹介するに留めたい。出発点は加藤清正公の銅像からとし、堀沿いに東進していく。




まずは堀を兼ねた坪井川の状況である。ここは石垣の高さもそれほどではなく、派手な崩壊はみられない。




ただ構造的に弱そうな板塀はちょこちょこと倒れていた。




清正公像から400mほど歩くと、やがて旧・須戸口門の櫓がみえてくる。瓦がバラバラと落ちているところをみると、いくらか損傷を受けているらしい。




カメラを望遠鏡代わりにして観察してみると、瓦が落ちているのは板塀の部分であった。安普請(=葺き土に載っているだけ)なので地震で簡単に落ちてしまったのだろう。




一方で漆喰固めや釘止めを多用している櫓の瓦屋根はビクともしていない。こうしてみると、やはり施工方法の違いが如実に耐久性の差に結びついている。こういう部分は、ケチってはいけないのだろうなぁ…(^^;)



 

■ 熊本稲荷神社




やがて厠橋を渡る。本来、須戸口門はここから入るのだが、現在は立入禁止なのでスルーして、奥の神社スペースの方に行ってみることにしよう。




まずは熊本稲荷神社である。地震で石畳が若干波打ってしまってはいるが、建物そのものは無事なようであった。




…が、灯篭やらお地蔵様がスクラップになっていて諸行無常の沙羅双樹。神仏習合時代の名残なのか神社の境内にお地蔵様がいたりする訳だが、でもちょっとこの扱いは無いんじゃないの的な(^^;)




■ 熊本大神宮




さて稲荷神宮のひとつ奥側にある熊本大神宮は、ちょっと被害が深刻そうであった。背後にある熊本城(本丸の北壁)の石垣が崩れて、神社境内に土砂が流入していた。




こりゃちょっとしたスペクタクルだな…(´・ω・`)




崩落した石垣の石には、ナンバーが振られていた。聞けば文化財的な価値を維持するため、石の一個一個を識別して元の位置に積み上げなおす…のだそうで、新聞によればこの途方もない3Dパズルの修復費用は所要350億円也、期間は10年超…と見積もられているらしい。




ところで素朴な疑問なのだけれど、①構造的に脆弱性があり、②崩れた実績のある石垣を、③時間と費用をかけて元の脆弱な姿に復元する、というのは防災的観点から見て正しい選択なのだろうか…?(´・ω・`)

熊本市には天守閣を鉄筋コンクリート仕様で "復元" した実績もある訳で、石垣パズルに血税を突っ込むよりも耐震性を高める観点を優先したほうがいいんじゃないの的な気がしないでもない。…はてさて、どうなんだろう。




■ 加藤神社裏




さらにぐるりと回って加藤神社の裏手のほうにも行ってみた。道路側から見えるのはこのあたりが限界のようで、警備のおっさんに 「この先はいけないよ~」 と追い返されてしまった。なんてこったい(^^;)




それはともかく、これが加藤神社…で、いいのかな。裏側からなのでいまひとつ確証が持てないのだが、このあたりが神社(石垣の上)の筈である。




それにしても、やはり隅石の部分はかなり頑張って持ちこたえていて、平面部分から崩れている。つまりこういう崩壊パターンを示すのが、地震に遭ったときの石垣の共通的な性質であるのだろう。




崩れ落ちた建物は痛々しい。…が、古い建築物の構造を見るのには良い機会かも…と思いつつ、残骸を写真に収めてみた。ものは考えようで、歴史的建造物をぶっ壊す…なんてことは普通はできないのだから、得られたチャンスはポジティブに解釈しておきたい。

※たとえば時代小説を書くような人が今の熊本城をみれば、建物構造に関して描写に厚みがでるかもしれない。




■ 宮本武蔵住宅跡



その後は、宮本武蔵の住居跡なども見てみたのだが、標識がひとつ建っているだけなのでほぼスルー(^^;) じつはここが東回りルートをとった密かなゴールだったのだが、ちょっと肩透かしになってしまった。




その宮本武蔵亭跡に隣接する歩道橋から天守閣をみると、痛々しいアングルで大天守と小天守のコンビがみえた。うーむ、こうしてみると小天守の棟部分も実は結構崩れかけていて、微妙に危なかったんだなぁ…(´・ω・`)




さてもういい加減長いので、このあたりで総括といこう。

熊本城の様子はこれまで見てきたとおりである。今後しばらくは入場はできないだろうけれども、遠くから天守を望むことはできる。傷んだ状態もまた現実の姿なのだから、これはこれで名誉の負傷と思ってみるべきなのだろう。

また多少ヒネた物言いになるけれども、こうして被災した熊本城を観察することで、素人目にも "有効な耐震対策とは何ぞや" …ということが何となく見えてきたのは収穫だった。いずれにしても百聞は一見に如かず。2016年の熊本の記録として、これを残しておくこととしたい。



 

■ 灰色のエピローグ




さてそんな訳で、出張ついでということもあり、これといった盛り上がりもないけれどもここでレポートは一区切りとしたい(^^;) この後筆者は一週間ほど熊本に留まって灰色の労働生活を送ったのだが、業界人でもなければ読んでもつまらないであろうから、そこは省略である。

深夜にホテルに返ってくると、繁華街に出ても営業しているのは飲み屋かラーメン屋くらい。筆者は 「もう豚骨ラーメンの連続攻撃はノーサンキュー(笑)」 という気分になって任務を全うした。

…ともかく、熊本の早期の復興ならんことを。

がまだせ、熊本! ヽ(´ー`)ノ


<完>




■ あとがき


さてあとがきです。関東/東北ではいまだに東日本大震災の記憶がまだ生々しいところで、熊本で久方ぶりに地震と復興の風景を見て、当時のことを思い出しては 「そうだよなぁ」 などと思いながら過ごしてみました。

現状では熊本市街地ではかなりインフラ復旧も進み、東日本大震災とくらべると水やガソリン、食糧等も迅速に供給されて、都市機能は迅速に回復しつつあるようです。大混乱がいつまでも続いていた東日本大震災当時(2011年)と比較すれば、政府や熊本県の対応は学習効果が働いてかなりうまくいっている印象を筆者は持ちました。反面、現地復興の足を引っ張っているのはいわゆる大新聞で、悲惨さや危険さを煽るような記事ばかり書いているので観光的には大ダメージだそうです(何やってるんでしょうねホント)。




震災関連のニュースは地元の熊本県民TVを見るのが一番詳細のように思えました。情報量も豊富でしたが特徴的なのはニュース構成で、トピックスの半分くらいが 「○○の支援(応援)があった」 「○○が復旧した/する目途がついた」 「○○の慰問イベントがあった」 というポジティブな内容で、支援活動への感謝と、希望をもって頑張ろうというテイストに満ちていました。仮設住宅の入居募集などもキメ細やかに流れており、地元のローカルメディアがしっかりしていると非常時には本当に役に立つものなのだな…と筆者は改めて思いました。こういう点では東京キー局なんて何の役にも立っていません、結局のところ地元を一番知り、愛しているのは地元民なのです。




これから熊本に旅行にいく方に何かアドバイスすることがあるとすれば、ファミレスとファストフード店は休業しているところが多いので食事処には地元の定食屋を目指した方が良いということと、工事関係の長期滞在者が多いのでコインランドリーの競争率が猛烈に高い(深夜でも満杯)ので下着類は日数分用意した方が安全ということを申し添えておきたいと思います。それと流しのタクシーはなかなか捕まらないので、営業所に電話して配車してもらうようにしましょう(※)。バス路線は特に熊本城周辺に通行止め区間があって臨時路線になっているので要事前確認。

…とまあ、そのくらい気をつけていれば普通に旅行に行くのは全然OKだと思います。筆者は街の中で台湾人旅行者を多く見ました。期間限定(?)と思われる復興グッズなども出回っているので、この際ですから地元にお金を落としてあげる伊達購入もよろしいのではないかと(^^;)

※タクシーが逼迫しているのは住宅修理に関連して保険業者が大量にチャーターして巡回しているためです(個人宅を訪問するので土地勘のあるタクシー需要が多い)。レンタカーは充分に余裕があり普通に借りられます。

※ボランティア学生が引き上げた5月末になるとホテル需要も緩和して、部屋がずいぶん取りやすくなりました。筆者も最初は転々と移動を繰り返していたのですが最後の一週間は同じホテルで延泊できています。



ありし日の熊本城への追憶


さてあまりあとがきを引っ張りすぎてもアレですので、ここで在りし日の熊本城の姿をいくらかご紹介して終わりたいと思います。撮影は2001年9月で、カメラはカシオのQV-3000(時代を感じるなぁ)を使っています。



まずは天守閣から。改めてみると白と黒のコントラストの明瞭な美しい造形ですね。屋根瓦が所々白く見えるのは漆喰の補修をした跡と思われます。鯱(しゃちほこ)もちゃんと載っています。




これは天守閣に登って二の丸公園方面(震災後でもここまでは入れる)を見た絵です。右側に写っているのが宇土櫓になります。一説によると最初期の天守ではないか…と言われている建物で、ここは今回の地震でもしっかりと生き残りました。これからも熊本城のシンボルのひとつでありつづけるでしょう。




そしてこちらは辛島町方面。今は崩れてしまった大天守の瓦と熊本の市街地です。

天守閣の入場制限が解かれてふたたびこのアングルで風景を眺められるようになるまで、どのくらいかかるのか現状では分かりませんが、いつの日かまた同じアングルで見ていたいものです。


<おしまい>