2020.02.07 蔵王の樹氷と温泉の神
蔵王で樹氷と温泉を巡って参りました(´・ω・`)ノ
さて今回は樹氷で有名な蔵王を歩いてみた記録について書いてみたい。…といっても実際に訪れたのは昨年の同じ日付で(ぉぃ)、レポートを書き始めて途中で放置していたものを手直ししたものだ。今年は新型コロナウイルスが蔓延して冬の旅もしにくくなっているので、ちょっと古いネタだけれどもまあ細かいことは気にせずに書き起こしてみよう。
この季節の蔵王といえばとにかく樹氷(アイスモンスター)が有名である。筆者は何度か蔵王を訪れたことはあるのだが、いずれも夏で樹氷の世界というものをよく知らない。そんな訳でこの機会に見てみようと思ったのである。ついでながら温泉に浸かって、さらにそのついでに温泉神社にも参拝して古い蝦夷の信仰の痕跡などを見てみようとも思ってみた。温泉と古い信仰いう切り口でみるとここは筆者の地元の那須とよく似ているので、面白いものが見つかるかもしれない。
その蔵王山の周辺はこんな状況になっている。蔵王山は熊野岳、苅田岳、地蔵山などの峰々の集合体で、蔵王山とというのは山塊全体の総称である。樹氷は主に大陸からの寒風にさらされる西側斜面に出現する。
山域は宮城県側、山形県側の双方からアクセス可能になっているのだが、今回は樹氷の形成されやすい山形県側からアプローチしてみることにした。クルマで到達できる再奥地のランドマークとしては蔵王温泉を目指し、そこから蔵王山域に登ってみることとしたい。
■ 蔵王への道
そんな訳で準備もそぞろに出かけてみる。出発は午前3時、移動はいきなり高速道路である。筆者は本来、ゆるゆるとシタミチであちこち寄り道しながら行きたい派なのだが、今回は連休を見込んでいた建国記念日が会社の都合で出勤日になってしまったので日程に余裕がない。そんなわけで、浮世の都合でびゅわーんと時短コースを走っていく。
東北自動車道を北上して福島JCTから東北中央自動車道に入り、米沢市街地を過ぎると南陽高畠ICで高速道路は尽きる。この先はまだ高速道路は工事中で、並走する r13 に降りてさらに北上していく。
ちなみに東北中央自動車道が全線開通すれば、那須ICから山形上山ICまで一気に高速道路のみで到達することが可能になる。そうなれば筆者の自宅から95%が高速道路で到達可能という、便利ではあるけれどなんとも味気ないドライブコースの完成だ。旅情的には微妙な気もするけれど、交通事情の進歩には常にこういう変化がつきまとう。むむ。
やがて夜が白々と明けたころ、蔵王山域に入った。山形盆地からr21(蔵王ライン)に入り、しばらく行くと蔵王山神社の一の鳥居が見えてくる。空は曇り基調で山体もよく見えないけれど、とりあえずここから先が神域だ。
写真では雲がかかっていて見えないのでMAPで状況を説明しておこう。本来ならこうして目前に蔵王山塊がどーんと構えている筈なのである。いくつもの峰々が集合して東北地方を縦貫する巨大な山脈(奥羽山脈)が形成されているうちの一部で、日本海側気候と太平洋側気候を分ける境界線にもなっている山だ。
蔵王ラインからは山形盆地らしき風景がみえた。まだ日も昇らない時間帯で、朝靄に煙る町並みがなかなかに趣き深い。
ちなみにこの付近には縄文草創期から旧石器時代に至る遺跡が点在している。弥生人がコメの文化を伴って渡来してくる以前、日本列島の人口はその多くが東日本に偏っていて、山形盆地もその一部であった。のちに蝦夷と呼ばれることになる人々は、大和朝廷が成立するよりはるかな古代からこの地に割拠していたらしい。
平地からずんずん登っていくと、やがて積雪深度が増してきた。
といっても雪の深さは 50cm に届くかどうか……といったところである。暖冬だとこんなものなのかね(^^;)
さて山岳道路である r21 の界隈は、大鳥居を過ぎて稲荷明神のあたりで人家は尽き、あとはひたすら山林の中を行く。このr21に沿って蔵王温泉から流れ下るのが酢川だ。読んで字のごとく温泉水に由来する酸の川で、魚は生息できず水生昆虫もいない。
付近には湧き水が点在し、下流域にはそれを利用した田畑もまま見られる。ただし火山地帯という因果によって、場所によっては水には塩分や重金属が混じる。それら飲用や農業用水に向かない水を避けて、山形盆地の住環境はモザイク状の濃淡を示している。
■ 蔵王温泉
さらに登っていくと、突如として集落が出現した。ここが蔵王温泉である。かつては修験者の集まる一大霊場であり、現在は温泉とスキー場で一大観光地となっている。高速を使うと意外にあっさりと到着してしまうものだな。
なにはともあれ、まずはスキー場のロープウェイ乗り場に向かってみよう。
蔵王温泉は温泉街とスキー場が事実上一体化しており、これがまた結構な広さがあって主要なロープウェイ線が3本、小規模なリフトは32本もある。樹氷を見るなら地蔵山(一番標高の高いところ)に向かう山麓線に乗る必要がある。実をいえば筆者が朝一番で乗り込んだのは、この駐車場の争奪戦に勝利するためなのであった。
……が、そんな筆者の気合を華麗にスルーして、現実の駐車スペースは実にのんびりとした雰囲気の中にあった(笑)。 うーん、もっと混んでいると予想していたのになぁ。
駐車場の管理人氏に 「何時に稼動するのですか」 と聞いてみたところ午前8時半だという。時計を見るとまだ6時半……2時間ちかくあるではないか。
これなら温泉街を散歩して一風呂浴びるくらいは出来るだろう。 とにかくクルマさえ停めてしまえば後顧の憂いはない。 そんなわけで、そぞろ歩きと洒落込んでみよう。
■ 早朝の温泉街を歩く
ところで蔵王温泉と蔵王山の立体的な位置関係について説明していなかったので、簡単にMAPを載せてみたい。蔵王山というのは熊野岳、苅田岳、地蔵山などの集合した山塊全体を指す呼称で、蔵王温泉はこのうちの地蔵山から下る斜面の途中にある……というのは、最初に述べたとおりである。
これを立体地図でみると、勘の良い人は温泉街がまるでクレーターの底みたいな場所にあることに気づくだろう。実はここは7万年ほど前に活動していた火山の底にあたっている。もともとここには巨大な峰がそびえていて、それが噴火に伴う山体崩壊で西側斜面に大規模な土砂崩れを起こしたのである(※)。現在の蔵王山の主要火口=御釜は、この山体崩壊ののち約3万年ほど前から活動を始めた新参者だ。
※地質学の世界では酢川泥流と呼ばれている
そんなわけで、現在の蔵王温泉はこの旧火口の底にある。周囲の峰々はカルデラの外輪山みたいなものと思えばよい。
町の中を歩くと、幾筋もの湯の川が流れているのがみえた。環境省の資料(蔵王温泉国民保養温泉地計画書)によると地区内の源泉は47ヵ所あるという。みな硫黄泉で酸性は pH1.6前後、もちろんこんな環境では魚や水生昆虫は生息できないが、薬用泉としてみれば強力な殺菌力が期待でき、湯治場として極めて優秀であった。
単純線や塩化物泉のような 「なんとなく血行がよくなって気分が和らぐ」 のと違って、殺菌力のつよい硫黄泉は感染症や皮膚病、化膿した傷の回復等にはっきりとした効果が現れやすい。独特の臭気と相まって、硫黄泉が 「なんとなく効きそうなイメージ」 を抱かれやすいのはそのような背景による。
さて近代リゾート風の街並みを抜けていくとやがて 「温泉街 →」 と書かれた標識があり、その方向に折れるとややレトロ風な街並みが現れた。……おお、これぞ正しい温泉街。
蔵王温泉は今でこそ大型リゾート地になっているけれども、観光が盛んになったのは大正期以降のことで、元々は一番大きな源泉付近にこぢんまりと展開する小さな集落だった。江戸時代以前は山伏の滞在先として栄え、それが明治維新で廃仏毀釈がおこると行者(山伏)の急激な減少で寂れ、大正期以降になって近代観光に路線変更した。
現在のようなリゾート型観光地になったのはクルマで登って来られる道路が整備されて以降のことで、ざっと戦後の高度成長期以降のことになる。
おや。見れば川から湧き上がる湯気の量が増えている。……ということは、やはり温泉の中心地に向かっているということで良いのかな。
こんな捨て湯みたいな流れにも、湯の花が大量に含まれている。そのまま掬い取れば商品化できるくらいの品質なのに、これを川に流してしまうなんて、なんと贅沢な使い方なのだろう。
やがて足湯が現れた。これがまた、贅沢にもホドがあるでしょう的なつくりなのである。実は奥の柵のあるところが源泉で、ここに沸く湯は足湯に使っただけでそのまま左側の川に捨てられている。なんてこったい。
柵越しに源泉を見るとこんな感じで、地面から直接コポコポと湯が湧いている。……凄いな。日本の温泉はたいてい源泉をコンクリート壁で厳重に覆って隠してしまうのに、ここではフルオープンなのか。
……と、驚くのも束の間。駐車場を挟んで10mくらい隣には、柵すら無い素っ裸の源泉が湧いていた。こんな道端にポコっと裸の源泉があるなんて、こんな風景いままで見たことがないぞw
あまりにも凄いので思わず手を突っ込んでみた。十分な温度があり、そのまま湯船に引けば入浴できるレベルだ。 おお蔵王温泉、凄すぎる…!!
■ 川原湯共同浴場
さて先ほどのフリーダム源泉からさらに20mほど離れて、「川原湯」 なる共同浴場があった。ここは地面から湧き出す源泉が直接湯船になっているというウルトラ贅沢な温泉で、筆者は樹氷を見る前にここで一風呂浴びていこうと思った。ちなみに入浴料は¥200也。
源泉は48度とかなり熱い。泉質をみると当然ながら硫黄泉で、pH 1.45 とあるのはもしかしてこの温泉街最強レベルの酸性度ではなかろうか。 ちなみにレモン汁が pH 2 前後、食用酢が ph 2.5~3 くらいで、この温泉のほうが酸性が強い(※)。
※酸性度の指標である pH は常用対数で表した水素イオン濃度のことで、1~14の値をとり、7が中性(飲用水など)になる。7より数値が小さいと酸性、7より数値が大きいと塩基性(アルカリ性)で、7から離れるほど酸性または塩基性は強烈になる。
入浴時間帯は午前6時から。時計をみると7時をちょっと回ったくらいで、もう入ることは可能だ。先客はおらず、というからには筆者の独占ということになる。これもまあ役得というか早起きは三文のなんとやら。
なお湯船の右側からチョロチョロ注いでいるのは冷水で、さすがに48℃だと熱すぎるのでいくらか湯温調整をしているらしい。
それでは湯船に浸かってみよう。熱いには熱いのだが我慢できないほどではない。硫黄の香りが心地よい、なかなかに粋な温泉である。
ここで水中コンデジ Nikon AW110 を取り出して水面境界を1枚♪ ちょっと仕様が特殊すぎてあんまり活躍の機会のないカメラだけれども、こういうのを持っているとちょっと遊べる。
※ちなみに水中コンデジは冷水中で使うとレンズが曇るトラブルが頻発するけれども、湯船くらいの温度ではまったく問題は起こらない。
さてこれが湯船の底である。いかにも硫黄泉らしく黄色い湯の花が付着している。板を組み合わせて簀子(すのこ)状にしてあり、この下に源泉が湧いている。
よくみると画面がいくらかゆらゆらしているのが分かると思うが、これは加水して人が耐えられる程度の温度にしているところに熱い源泉が下から湧いてくるので、屈折率のゆらぎが出ているものだ。湯の花の粒子も漂っているのだが、ちょっとカメラではとらえにくい。
ただそれでもフラッシュを炊くと浮遊する湯の花の粒子がボワっと大量に映る。まあこれはお遊びのようなものかな(笑)
そのまましばらく、湯を堪能した。いきなりこんなにリラックスしちゃっていいのだろうか、などとセルフツッコミを入れがらも、まあせっかくの機会なので楽しんでおこうと思いなおす。
いいじゃないか、いつも誰かの都合で拘束されている人生で、こんな時間があったってね。
そろそろロープウェーに戻った方がよさそうな時間帯になって、湯船から上がった。湯屋の裏側にまわってみると、源泉がはみ出してプール状になっている。
ほほう、なるほど確かにこれは川原の湯だな。今は周辺がブロック石やらアスファルトで固められてしまっているけれども、元々は本当に川原のような石原が広がっていて、そこから染み出すように湯が沸いていたのだろう。
これをみると、筆者の地元にある古湯、鹿乃湯なども発見当時は河原からこんなふうに湧く野趣あふれる温泉だったのではないかと想像が膨らむ。温泉は、やはり 「開発しすぎない」 程度の状態がいい。
湧き出した湯は、そのまま再利用されることもなく流れ下っていた。……なんという贅沢。ここでは湯の花を採取して商品化しようなどという発想すらない。いったん湯船を満たしたら、そのまま川に流してしまう。「掛け流し」 などという言葉が陳腐に思えるほどの 「当たり前」。
なんとも、凄いところではないか。
<つづく>