2019.02.07 蔵王の樹氷と温泉の神(その3)
■地蔵山頂を散策してみる
さてくどいようだが、現在筆者は主峰:熊野岳(1840m)より一段低い地蔵山(1736m)のロープウェー山頂駅にいる。 この付近は樹氷の眺めが最も良いところで、スキーコースの最上端部でもあり、ランドマークとしては江戸時代に建立された蔵王地蔵尊がある。
せっかく来たのだから、その地蔵尊に拝謁してみることにした。 ロープウェーの山頂駅脇に標識があり、それに従って100mほど歩けばお地蔵さまが鎮座されている。
おおこれがお地蔵様♪ 冬季なのでほとんど首まで雪に埋もれているけれども、本来は高さが2.4mほどもある大きなものだ。 解説板によれば安永4年(1775)の建立で、修験の山では遭難事故が多かったため、安全を祈願して地元の庄屋様が37年かけて設置したという。 地蔵山の名はそれにちなんだものだ。
地蔵尊が置かれた位置がここであった理由は、おそらくスキーコースがここから下っている理由と同じと思われる。 その心は、山麓の温泉地=人の滞在できる拠点からなだらかな傾斜でつながっていて、一息つけるわずかな山頂の平地があり、ここから先はまた蔵王山に向かって登り坂が続くという休憩所としてちょうどよい立地にあったためだろう。 山中で迷わないための目印として、ここは遠目からもわかりやすい。
そしてもうひとつ、ここは酢川神社の領域の外延部にあたっており、実は仏教寺院のテリトリーはこの嶺より北西側に広がっているのである。これは山に足跡を残した順番に依存しており、ぶっちゃけた話、仏教僧たちがやってきた時代がいくらか遅かったので一等地を取り損ねたという側面がある。
さて地勢的には地蔵岳は溶岩ドームである。 蔵王連峰は火山の集合体で、ここはかつてはいくつもある火口のひとつだった。 そこからあふれ出た溶岩が山体を流れ下り、いまではスキー場になっているなだらかな斜面を形成した。 やがてそこは修験者の通り道となり、のちに熊野三山に見立てた3つの霊場を擁するに至る。
三つの霊場とは蔵王山神社、瀧山神社、酢川神社のことで、熊野信仰の特徴である三社一宮、つまり 「三ヶ所の聖地でひとつの神域を構成する」 に準じたものだ。 このうち蔵王山神社は昭和になってからややミーハーな理由で改名したもので、元は熊野神社といった。
ここで 「あれ? 吉野出身の蔵王権現はどこに行っちゃったの?」 と突っ込みを入れた方はなかなかに鋭い(笑)。 実は蔵王権現が祀られたのは蔵王連峰のうち宮城県寄りの刈田峰神社で、山形県側とはちょと違う吉野修験のテリトリーなのである。
仏教との関係でいうと蔵王権現は吉野系≒真言宗の仲間で当山派修験道、熊野三山はそのまんま熊野系≒天台宗の仲間で本山派修験道ということになる。 奥羽山脈を挟んで陸奥国側と出羽国側できれいに勢力圏が分かれているのは、 蝦夷に最初に修験者が分け入ったとき、太平洋側を北上したのが主に吉野系の人々で、日本海側を北上したのが熊野系の人々だったという事情による。
調べてみると蔵王山に最初にたどり着いたのはどうやら吉野系の人々のようで、白鳳八年(679)に刈田嶺神社に蔵王権現を祀ったとの伝承がある。熊野神社はやや遅れて和銅元年(708)もしくは天平年間に覚山なる修験者が建立したという伝承が最古らしい。
その結果、ほとんど同じ高さの尾根でつながった山塊に、陸奥国側には刈田嶺神社、出羽国側には熊野神社が並び立って、まるでパレスチナとイスラエルがエルサレムを取り合うような状況が生まれてしまった。 しかしちょうど時代が律令国としての出羽国の成立時期と重なって領域がきれいに分割されたので、大きな問題には至らなかったようだ。
それはともかく、このへんの事情を知っていると、熊野系として成立したはずの熊野神社が近代になって吉野系っぽい 「蔵王山神社」 を名乗ってしまったのが猛烈に無節操な気がしないでもない。まあ観光振興の観点からは 「寄らば有名ブランドの陰」 ということで、現代的な日和見と理解しておくべきであろう事象なのであろうが(…って、フォローになってない!笑)
さて脱線が長すぎた。ちょうど雲が抜けて青空が見え始めたことだし、小理屈は脇に置いて樹氷の姿をもう少し楽しんでみよう。
改めて眺めてみると、地蔵尊の北側は風あたりの強い場所で樹氷の成長もなかなか良い。
しかしさらに風あたりの強そうな三宝荒神山では樹氷は成長しすぎて隣接するもの同士が連結し、さらに雪にすっかり埋もれた状態になっている。 こうしてみると状態のよい樹氷ができる環境というのは案外狭いパラメータで構成されているようだ。
そんな埋もれ樹氷に寄ってみた。…おお、かなりワイルドにゴツゴツとしている。
ついでに表面をアップで。うーん、この氷の芸術感は、お決まりのアングルの観光写真ではちょっとお目にかかれない。……こういうのは、やはり自分の足で現地に立って、じっくり眺めてみないことには分からないものだな。
調子に乗ってホイホイ登っていくと、ザクっという踏み抜き音とともに足が沈み、芯となっているトドマツの枝が現れた。
もうひとつ、ズボっ……と(笑)
……おお、これは面白い。 アイスモンスターは芯まで氷が詰まっているわけではなく、葉の表面に成長した霧氷が互いにくっついてカニの甲羅のような構造になっているのだな。 中空になっているというのは初めて知ったぞ。
中空構造…という雑学を得て改めて中途半端な樹氷を眺めてみると、 なるほど成長途中にあるアイスモンスターは変身途中の特撮ヒーローの如く部分装甲状態になっているようだ。
100点満点に完成されたアイスモンスターではこういう雑学はわからない。これはなかなか、おもしろい時期に登ってきたと思うことにしよう。
■ 山を下る
さて一通り樹氷を堪能してまったりと時を過ごすうちに、もう午後になってしまった。本日はもうひとつ、蔵王温泉の鎮守である酢川神社に寄っていく予定がある。名残惜しいけれどもそろそろ切り上げ時だろう。
一緒に登ってきたスキー客は、もうあらかた滑降していったらしい。かつて修験者たちが登ってきたであろう道は、今ではレジャーの場となって町に観光収入をもたらしている。思えば不思議なものだな。
・・・などと思っているうちに次のスキー客の一団が上がってきた。さて筆者は降りるとしよう。
そんな訳で、それゆけ~、ごんごんごん~~
振り返ると、樹氷の分布状況がよく見えた。ざっと見て標高1500mくらいのところに境界線があるようだ。地蔵岳山頂から高さにして200m分くらいしか樹氷は形成されていない。やはり今年は暖冬だったんだな。
途中、望遠でいい感じの樹氷原をとらえてみる。まあベストではないかもしれないけれど、ベターオブベターなショットにはなったと思う。やはり、思い切って現地入りしたのは正解だった。
山麓駅付近まで降りてくると、登るときには見えなかった三宝荒神山の頂上部が見えた。山頂駅からは200mくらいしか離れていないので夏場なら簡単に歩いていける筈だが、中空状態の樹氷を踏み抜きながら踏破するにはちょっとハードルが高そうだ。
もう一度くらい、夏に来てみるのもよさそうな気がするな。
<つづく>