2020.02.28 コロナウイルス顛末記:前編 (その1)
さて今回は旅と写真のサイトとしてはイレギュラーかもしれないけれども、コロナウイルス騒動についての記録を残しておこうと思う。このテキストを書きはじめたのは2020年の4月上旬で、コロナウイルスの報道が始まってから3ヶ月あまりが経過している。
現在日本では感染者が急増中であり、緊急事態宣言を出すか出さないかという議論がなされている。経済活動は大きく落ち込み、世界は絶賛パニック状態の真っただ中にある。いったい全体どうしてこうなった? …ということで、この間の経過について書いてみよう。
ところでこれだけ世の中がコロナ、コロナ、と大騒ぎしている中でたかが個人ブログで状況をまとめておく価値があるのか……という至極当然(^^;)のツッコミはあると思う。……が、それに関しては 「今、東日本大震災(2011)のリアルなレポートがどれだけ残っていますか?」 と問えば答えは明らかだと思う。
2020年現在インターネットを支配している Google社は 「今、広告をたくさんクリックしてもらえるコンテンツ」 を至上の存在と見ている。それ以外は残念ながらゴミのような(ぉぃ)扱いで、一定数の "上澄み" みたいなコンテンツだけが検索で表示され、その他は足切りされてしまう。コロナに関する情報も鮮度が落ちたものはやがて検索に引っかからなくなっていく。そうなるまえに拾い集めてまとめておきたい、という細やかな試みなのだと思って頂きたい。
■ 最初は小さなベタ記事だった
中華人民共和国の武漢で正体不明の伝染病が発生したというニュースは、2019年(令和元年)の年末に中国発の外電としてもたらされた。当初は小さなベタ記事で、ちょうどクリスマスの時期であたったため、年末年始のレジャー系ニュースにかき消されそうなほどに小さかった。筆者も遠い異国の出来事と捉えて 「ふーん」 というくらいにしか見ていなかった。
厚生労働省の広報資料に 「原因不明の肺炎」 としてこれが現れたのは年が改まって2020年(令和二年)となってからで、年始の休暇が明けた1月6日のことであった。 中華人民共和国湖北省武漢市において昨年12月以降、原因となる病原体が特定されていない肺炎の発生が複数報告されたとあり、1月5日の時点で感染者数は59名、うち重症が7名という状況であった。最初の症例が確認されたのは資料では12月12日とされている。発生場所は武漢市内の海鮮市場とされ、この時点ではヒト‐ヒト感染は確認されていない。鳥インフルエンザかSARSの親戚のような野良ウイルスじゃないの、というのが当初の大方の認識であったように思う。
この第一報では、発生源とされた海鮮市場が1月1日に閉鎖され、それ以降の感染者はいないとされた。これは嘘であったことが後に明らかになるのだが、少なくとも当時の日本政府とマスコミは中国政府の発表を鵜呑みにしていたように見える。
■1月7日以降、情報更新が頻繁になる
しかし正月の間に武漢での感染が拡大し始めたため、1月の第二週からはニュースの更新頻度が上がり始めた。「SARSの亜種か?」 「通常はヒトには感染しない鳥インフルエンザがついにヒトに感染しはじめたのか?」 などという視点で、にわかにニュースバリューが高くなったからであった。相変わらず公式にはヒト-ヒト感染は否定されている。
そして1月9日、世界保健機関(以下WHO)から遺伝子配列解析により新種のコロナウイルスが同定されたとの声明が発表される。この時点では検出されたウイルスは 「本疾患に関係している可能性がある」 という程度の認識で、疫学調査や臨床症例評価はこれからという状況であった。
そして同日、武漢でこのウィルスによる最初の死亡事例が報告された。死亡したのは61歳の男性で、日常的に海鮮市場で買い物をしていたと言う。ここからウイルスの出どころは市場で売られていたコウモリやネズミなどの動物ではないか、との指摘が出たのだが、結局これという決め手になる情報は出ないままにウヤムヤになってしまった。
■1月13日 国境の外に伝播
1月13日、タイ国内で中国人旅行者が謎の肺炎を発症した。これが新型コロナウイルスの外国での報告例第一号となる。
タイ当局が病原体を特定できたのは、中国の保健当局がウイルスの遺伝子情報(ゲノム)を開示したため、発症者から検出されたウイルスの遺伝子配列と比較できたことによるらしい。このゲノム情報の開示が、のちに国際的に感染が広がっていく際の検証作業に大いに役立つこととなった。この点について(だけ)は中国 Good Job と言って良いように思われる。
ただし中国共産党(北京政府)はこのとき肺炎の流行状況を小さく見せかけようとしており、流行の初期に新種のウイルスの可能性を指摘した医師を 「デマを流した」 として逮捕している。またヒト‐ヒト感染に関しても否定的であった。
のちに台湾系のニュースサイトで報道された内容によると、このちぐはぐな対応は中国共産党内の権力闘争の副産物であろうと示唆されていた。同じ中国共産党であっても、中央の北京政府を支配している習近平のグループと、武漢を含む湖北省に多い江沢民のグループでは、官僚同士の仲が悪いのである。
習近平政権は発足以来、"腐敗追放運動" と銘打って地方政府の他派の幹部に難癖をつけては追い落としを図ってきた。このときも中央政府が感染防止の具体的な協力をした様子は見えず、それどころか肺炎蔓延の責任を問う形で江沢民派の武漢市長が解任されている。 この 「意図的な放置」 がどの程度のものであったかは今では検証のしようもないが、ウイルスのゲノム情報開示はどうやら現地の保健当局が行ったもので、北京政府の功績ではないらしい。北京は病気の蔓延を 「隠したい」 というのが本音で、進んでゲノム情報を開示する動機はないから、というのが専らの噂であった。
■1月15日 日本国内で最初の感染者が報告される
この日、日本国内での感染報告第一号が把握された。神奈川県在住の30歳代の男性で、国籍は報告されていない。本人の申告によると正月を武漢で過ごし1月6日に日本に帰国、発熱は1月3日から始まっていたという。厚生労働省が中国での新型肺炎を認識したのが1月6日であるから、気が付いた時には既に国内に感染者が居たということになる。
この国内第一号氏は、帰国後はすぐには医療機関にはいかず、症状が悪化してから診察を受け、肺炎と診断。1月14日になって保健所に状況報告、精密検査を受けたところ翌15日20時45分頃に新型コロナウイルス陽性と診断された。症状が出てからたっぷり12日間、きちんと隔離されない状態で生活していたわけだ。
この患者は事情聴取の結果、武漢滞在時には海鮮市場を訪れていないと発表された。であるからにはヒト-ヒト感染による罹患が濃厚になってくる。 WHOはヒト‐ヒト感染の明らかな証拠は無いとしながらも 「可能性は否定できない」 と微妙に言い回しを変化させ始めた。
……が、それ以上に重要なのは、日本へのウイルスの侵入が武漢での感染拡大の最初期からあったという事実だろう。この時期、春節による中国人旅行客の大量訪日を控えて、日本の観光業界はインバウンド需要の皮算用をしながらホクホク顔であった。現代版イソップ物語があったなら、まちがいなくエピソードのひとつになるような能天気振りだった。
■1月21日
1月21日になると、それまでは武漢に留まっていたウイルス感染者が北京と深センで確認され、武漢以外の都市への飛び火が明らかになった。中国国内の感染者数は198名、死亡は3名になっていた。
習近平主席は最初の報道から2週間余りも経過したこの日、「我々はウイルスと戦う」 との宣言を出し、しかしながら対応は李克強首相に丸投げした。SNS上では中国人市民の声として 「自分の手柄になる(=収束が予想できる)なら習近平本人が出てくるはずだ。今回は李克強に丸投げしたから先はまだ長い」 などと言われている。
この時点になって中国政府はようやく記者会見を開き 「ウイルスが変異してヒト-ヒト感染を起こす恐れがある」 ことを認めた。
中国政府の会見に対し、日本政府の反応は早かった。まもなく春節で大量の中国人が訪日することが予定されている。 本来なら国境を封鎖するのがスジと思われるのだが、このときは習近平主席の国賓訪日が4月に予定されていたことから、政治的に入国拒否は難しいとみられていた。そこで水際対策を強化しよう、という従来型の対策がまず展開されたらしい。
これを受けて空港での検疫が強化された。ただしここでいう検疫とはサーモカメラによる発熱観測と病状の自己申告のみで、SARSのときのやり方をそのまま踏襲したものだった。ちなみにSARSもコロナウイルスの一種で、感染するとすぐに高熱が出るので症状を把握しやすい。
しかし今回の新型コロナウイルスは、症状が出るまでの潜伏期間が最長で12日あまりあって長いため、この方法では見つけることが困難なのである。・・・もっとも、それが分かったのはもっとずっと後になってからのことであったが。
■1月22日
このころから空港の検疫ブースで武漢市からの帰国者に自己申告の呼びかけが強化されはじめた。といっても注意喚起のポスターを貼ってサーモカメラを回しているだけで、自己申告に頼ったザルみたいな対応である。
1月22日に公式発表された感染者状況は以下の通りであった。雰囲気としてはまだ中国国内の問題という状況だが、周辺国は中国への渡航自粛勧告をぼちぼち出し始めていた。
中国 感染 440、死亡 9
タイ 感染 2、死亡 0
韓国 感染 1、死亡 0
台湾 感染 1、死亡 0
米国 感染 1、死亡 0
■1月23日
1月23日、中国:武漢市の封鎖が前触れもなくいきなり発表された。公共交通機関はすべて停止、道路にはバリケードが置かれ、住民は外出禁止を命じられた。昨日までに440名を数えていた感染者(中国国内)は本日は571名となり、どうやら感染爆発が始まったと判断されたらしい。
これでいきなりニュースでの扱いが大きくなった。外国人滞在者に大量の帰国難民が発生したからである。武漢は人口一千万人を超える巨大な工業都市で、外国企業の駐在員も多い。中国当局はそれら外国人の都合などまったく考えずに封鎖を行ったため、駐在員や観光客は事実上の人質状態となってしまった。
それと同時に武漢市内では食料の奪い合いが始まったらしい。中国の公式ニュースチャンネルではこういった混乱風景は一切流れていないが、市民がスマホカメラで撮影した映像がネットにアップされ、それを香港や台湾のメディアが引用する形で情報が広まった。
親中派で有名な2F代議士が 「中国を応援しよう!」 などと言い出して国内のマスクを百万枚単位で送るよう働きかけをしていたのがこの頃のことだ。左巻きで有名らしい兵庫県知事などは県民のために備蓄してあった医療用マスク120万枚のうち100万枚を気前よく提供してしまい、数週間後に顰蹙(ひんしゅく)を買うこととなった。日本国内では中国からの観光客の流入を止めろ、との声がにわかに高まり始めた。
■1月24日 国内2例目の感染者
1月24日、国内で2例目の感染者が報告された。武漢から来日していた旅行者(国籍は公開されていないがおそらく中国人)で40歳の男性である。本人は例の海鮮市場には立ち寄っていないと言っている。来日した時点で発熱5日目で、症状を押して旅行を続け8日目に症状が重くなり肺炎と診断された。
中国本土では武漢に続いて近隣13都市が相次いで封鎖された。わずか2日で湖北省全体がほぼ封鎖された形になり、鉄道も自動車道路も空港も止まった。武漢から日本に飛ぶ航空路線も止まっている。しかし武漢以外の都市から日本に入国することは何の制限もかかっていない。こんな状況で呑気に観光客を受け入れていていいのか、というツッコミの声が高まっていく。
この日、1月24日は春節の連休(中国は旧正月=春節を大々的に祝う)の初日であった。豊かになった中国ではこの時期に海外旅行に出かける人が多い。行先で一番人気があるのは日本である。東京オリンピックを控え、観光業界は来日中国人によるいわゆるインバウンド需要で大いに潤っていた。武漢で広まっている謎の肺炎の流入を心配する声は、この巨大なお金の流れの前で掻き消されてしまったように思える。
しかし観光業者の期待とは裏腹に、このとき中国人旅行者が殺到したのはなんと日本のホームセンターやドラッグストアだった。抱えきれないほどのマスクを爆買いし、国際郵便でどんどん中国に送る姿がニュースに流れていた。実はこのとき既に中国国内では衛生用品が枯渇しており、一般民衆は薬やマスクを入手できなくなっていたのである。
実をいうと筆者もこのときは危機感がなく 「何を慌てて爆買いなんかしているのだろうねぇ」 …などとと呑気に構えていた。筆者の周辺世界が変わったのはこの5日後のことである。
■1月25~28日 国内感染事例が増加を始める
春節の中国人旅行者が流入する中、国内で3例目、4例目、5例目…と感染者が増え始めた。いずれも武漢からの中国人旅行者で、同市の海鮮市場には立ち寄っておらず、来日時にはマスクを着用していた。当初は海鮮市場の動物から感染したのだろうとされていたウイルスは、ヒト‐ヒト感染でなければ説明できない広がり方を見せていた。
そして7例目は日本人だった。奈良県の観光バス運転手で、武漢からの中国人団体旅行客を乗せていた。ツアー客を乗せた期間は1月8日~16日で、逆算するとやはりウイルスはかなり早い段階から日本国内に静かに広がっていたようだ。接触(感染)~発症までの期間が2週間あまりもあって 「潜伏期間がえらく長いウイルスらしい」 という認識がこのあたりから広がり始める。
1月28日の中国国内の感染者数は4515名、死者は106名となった。感染の広がりはタイ、韓国、台湾、米国、ベトナム、シンガポール、フランス、オーストラリア、マレーシア、ネパール、カナダ、カンボジア、スリランカ、ドイツにまで拡大した。ただし中国以外ではまだ死亡者は報告されていない。
中国以外にも感染拡大が進んだことで、WHOの対応ににわかに注目があつまった。本来なら緊急事態として注意喚起を行うべきタイミングであったように思える。しかしWHOのテドロス事務局長は 「まだ緊急事態とまでは呼べない」 「中国への渡航自粛はするべきでない」 などと中国擁護の姿勢を取り続けていた(※)。
※その背景として彼の出身国であるエチオピアが中国による巨額の財政支援を受けており、事務局長選挙においても中国政府による強力な後押しがあったことが指摘されている。
■1/28 国内マスク在庫が枯渇
さてこのあたりで筆者の状況についてもいくらか書いておきたい。だんだん対岸の火事ではなくなってきたため、そろそろ我が家でもマスクの買い置きぐらいしておくか……と筆者は思い立った。ちょうど1月28日の午後8時頃のことである。そして通販サイトのAmazonを覗いて驚いた。
50~60枚入りの箱マスクはこれまではワゴンセールの定番商品で、通常300~500円程度で買えたはず。特にハイテク製品でもなく、ホームセンターやドラッグストアの特売コーナーで山積みで売っているような商品だ。それがいきなり値上がりして10倍以上の値をつけていた。春節で来日した中国人による買い占めと、いわゆる転売ヤーによる買い占めで国内の店頭在庫はすっかりなくなっていたのである。なんてこったい。
この状況は東日本大震災のときの物資枯渇にそっくりだった。既に日は暮れて真っ暗になっていたけれども、筆者はクルマを飛ばして市内のドラッグストアに向かった。女房子供は 「まーたそんなのに踊らされて」 と笑ったけれども、東日本大震災の時にネット上でよく言われた格言?を筆者は思い出していた。
笑われてもXデーに持っている者が勝ち
幸い、筆者の居住する栃木県北部にはまだ箱マスクの在庫はぎりぎり残っていた。閉店間際のドラッグストアに滑り込み、入手できたマスクは65枚入り一箱340円。あとから思えばここで購入しておいて正解だったと思う。翌日にはもう、どこの店舗でも棚が空になってしまったらだ。無くなるのは本当に一瞬のことだった。
さらには、消毒液、ハンドソープ、ウェットティッシュ、それ以外にも除菌消毒に効果のありそうな商品がことごとく棚から消え始めた。トイレットペーパーや紙おむつまで品薄になっていた。
こんなことが、震災から10年も経たずにまた起こるなんてねぇ……
■1/29 武漢から在住日本人救出第一便
1月29日、封鎖された武漢から日本政府のチャーター機で在留日本人の一部が救出された。他の国も自国民の救出にむけて動いているようだが、空港が封鎖されているのでオペレーションは困難を極めていた。何が困難かというと、一機でも離着陸させようとすると空港は職員を出勤させて施設を稼働させなければならないので、なかなか応じてくれないのである。さらに中国政府は空港の稼働を武漢市民に見せたくないようで、チャーター機の離着陸は夜間にこっそり少しずつ実施という隠密作戦で行われていた。
あとで聞いた話では、親中派の2F代議士が中国共産党にゴマをすりまくってマスクの大量献上をしたことでチャーター機の受け入れがスムーズに進んだ……との話もあるが、どこまで真実かはわからない。この後チャーター機は計5回運航され、第一陣の206名を皮切りに計800名あまりの日本人(および現地人の配偶者)が救出された。
※実は筆者の勤務先の関連会社の社員がこの中に含まれていた。あまり詳細を書くと面倒なことになるので控えるけれども、筆者がこの問題に関心を持つようになったのにはそんな背景があることを記しておきたい。
さて日本政府にとってこの800名は宝の山であったらしい。中国政府の感染者発表数が過小なのではないかとの指摘は根強くあり、実態がよくわからない。しかし800人ものサンプルがあれば、統計的に武漢の状況を推計できるのである(※)
※たとえば人口1億2000万の日本でTVの視聴率調査がサンプル数600程度で可能なのは、統計的に無作為にその程度を抽出すれば全体傾向をつかめると判断されているため。
この救出された全員にPCR検査が行われ、陽性が14名出た。ここから得られる感染率はおよそ1.7%。これを武漢市の人口1108万人に適用すると推定感染者数は18万人、湖北省全体の人口5850万人に適用すると約100万人となる。この時点で中国政府の発表していた感染者数は数千人というレベルだったので、意図的な隠蔽だったかはともかくとして、実態が正しく把握されていないらしいことが統計的に強く推察される状況となった。これはどえらいことである。
……で、このとき日本の国会は何を議論していたかというと、桜を見る会で誰を招待したのか……という些末でくだらない論議を延々と重ねて時間を浪費していた。さらにはモリカケ問題の蒸し返しもあり、しかも質問に答える義務があるとして野党は政府首脳を国会に縛り付け、感染症対策に時間を使わせないという戦術をとっていた。
こんな連中が選挙で選ばれて議席をもってしまうというあたりに日本の病理の一端がありそうな気がするけれども、それもまた民主主義とやらの姿であり、筆者的には良いとも悪いとも断ずるつもりはない。選択のツケは有権者自身が支払うことになる旨、指摘するのみである。
ただし今回はそれがキャッシュでもクレジットでもなく 「命」 で支払われるらしい。それが高いか安いかは、日本国民の一人一人がよく考えるべきところだろう。
【つづく】