2021.01.01 初詣:境の明神~乃木神社
コロナの新年に初詣を敢行して参りました (´・ω・`)ノ
令和三年の年明けに境の明神、次いで乃木神社に初詣に出かけたのでその顛末をレポートしてみたい。昨年=令和二年=2020年はコロナに始まりコロナに終わる……という災厄の1年であった。果たして今年はどうなるのだろう。
実はこの年末年始はとてもエマージェンシーな社会情勢にある。昨年1月から世界を巻き込んで猛威を振るっている新型コロナウイルスの流行は、日本国内では4月、8月のピークを迎えていったんは終息に向かったようにみえた。
しかし経済活動の再開を目論んで政府が打ち出した旅行振興政策=GOTOトラベルが裏目に出て全国的に感染が拡大し、現在のところ3度目のピークが到来している。4月に大騒ぎした緊急事態宣言を軽く5~6倍ほどもブッちぎって、日本国内では一日に4000人を越える陽性者が出ており、不要不急の外出どころか年末年始の帰省すら自粛が呼びかけられる始末である。
そんな訳で、筆者もあまり大人数が集まりそうなスポットは避けて、比較的落ち着いた雰囲気の神社をチョイスすることにした。そこで候補に上がったのが境の明神なのである。ここは平安時代中期に関東~奥州の境界に建立された二社一対の神社で、陸奥国側が住吉神社、下野国側が玉津島神社となっている。
ちなみに領土の境界を守る神社には一般に境界の内側=女神、外側=男神とする原則があるようで、関東側の玉津島神社には稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の女神が、奥州側の住吉神社には底筒男命、中筒男命、表筒男命の男神が祀られている(※)。
※興味深いことに奥州側からみると住吉神社と玉津島神社は逆転し、陸奥国側=玉津島神社、関東側=住吉神社という認識になるらしい。
■ 境の明神への道
とまあ前振りもほどほどに、早速出かけてみよう。すこし余裕を見て大晦日の午後10時頃に家を出て、ゆるゆるとR294を北上して県境を目指していく。
この時間、クルマはほとんど走っておらず、最近出来たらしい電光掲示板には外出を控えるよう促すメッセージが点滅していた。筆者的にはコロナの死亡者の平均年齢が79.3歳ということから 「それって大雑把に見て天寿を全うしていると言って差し支えないのでは?」 と思ったりしているのだが、世の中に大騒ぎをする人がいる限り、注意喚起が止むことはない。
さて県境のささやかな峠が見えてきた。こうして見るとせいぜい10mもあるかないか……という程度のゆるやかな起伏にしか見えない。しかしここを境界にして川の流れる方向が南北に分かれている。つまりこんなところであっても歴とした分水嶺なのである。
大和朝廷が律令国の国境を定めたとき、その多くは河川の分水嶺に沿った。近代的な測量技術がなかった時代でも、人々の暮らしの単位が河川の水系毎に大雑把なグループを形成しているという原理原則は知られており、それらを区切りのよい単位でまとめて "国" という行政単位を決めたのである。明治維新以降に成立した都道府県もこの律令国の国境を受け継いでおり、現在この峠は栃木県-福島県の県境となっている。
余談ながらこれ(↑)は旧奥羽街道=R294を伊王野~境の明神~白河までトレースしながらその断面を見てみたものだ。境の明神を境界に起伏のトレンドが変わっており、これによって川の流れる方向も真逆になっている。ここを境界にして、河川を媒介してつながる文化圏は異なるグループに分かれている。
現代を生きる我々はクルマや鉄道でひょいと県境を越えてしまうためあまり実感が湧かないけれども、境の明神が守護する奥州と関東の境界というのは、古代人にとってはきわめて重要なランドマークであり、文化圏の境界でもあったことは覚えておきたい。
■ 玉津島神社
さてそんな訳で境の明神の下野国側の社、玉津島神社にやってきた。
……が、誰もいない(ぉぃ!)
うーむ。見れば一応紙垂や注連縄は新調されており、氏子が最低限の新年の準備をしていることは見受けられる。しかし年越しの祭祀を行うべき宮司の姿はなく、氏子もおらず、二年参りをしようという参拝者もいない。天喜元年(1053)建立と伝えられる千年近い歴史を持つ古社にして、この閑散具合はいったいどうしたことだろう。それだけ新型コロナウィルスが恐れられているということなのだろうか。
境内に入ってみると、やはり人っ子ひとり居ない。道路の反対側から社殿を照らすライトがあってなんとか真っ暗闇にだけはならないようになっているけれども、ちょっと寂しすぎるなぁ。
それはともかく、来たからには神様にご挨拶はしておかねばならない。年明けまでまだ30分ほど残しているけれど、十二時辰でいえば既に子の刻であり初詣は成立する。お賽銭を献上して二礼二拍手一礼、武運長久とコロナで減ったボーナスの復活を祈り、ついでに日本の敵の滅亡を祈ってみた。
見上げれば月が出ている。ほぼ満月で天頂付近から神社を照らしている。気温は氷点下5℃、寒くて静かな年越しのひとときだな。
■ 住吉神社
さてそれでは奥州側に渡って(といってもわずか30mばかりだがw)、境の明神のもう一方の社、住吉神社を訪ねてみよう。……といっても、こちらもまったくの無人で初詣の雰囲気はない。
境内に登ってみたけれども、中は真っ暗で気分は心霊スポット(笑)の探索みたいだ。
さすがに照明無しでは厳しいので一発フラッシュを焚いてみた。紙垂は更新してあるみたいだけど、この雰囲気では年越しの儀式はなさそうだ。もし何かあるとしても夜が明けてからだろうな。
真っ暗な中、神様に敬意を評して二礼二拍手一礼。祈願の内容は以下同文。
……それにしても、通り過ぎるクルマもないとは、本当に寂しいものだな。
■ 乃木神社へ
さて境の明神の状況があまりにも過疎過ぎていたので、急遽第二志望に向かってみることにした。近隣には他にも神社仏閣はいくつもあるけれど、那須周辺で一番集客力のある初詣スポットは乃木神社である。こがダメなら他の神社も期待できない。
そんなわけで時間の制約もあるのでダッシュで移動開始。幸いR294は田舎道で信号で止められることはない。それいけびゅわーん。
そんな訳で乃木神社に到着。時刻はちょうど午前0時になるところだった。こんな形で令和三年を迎えることになるとは全く予想していなかったが、まあそんな年もあるさ……と理解することにしよう。
おお、人出はいつもの1/4~1/5くらいしか無いけれども、ちゃんと出店も出ているし参拝客もいる。ここでこのくらいの人口だとすると他の初詣スポットの不景気ぶりが目に浮かぶようだが、新年を祝う心意気をもった人々がちゃんと居るというのは喜ばしい。
さて境内はというと……いわゆるソーシャルディスタンスとやらで間隔をあけて順次参拝という興を削ぐ状態となっていた。といっても全国的にこういう手法をとらないと非難轟々という雰囲気なので神社側としては真面目に対応せざるを得ない。ちなみに写真には写っていないが鳥居の前には消毒用のアルコールスプレーが置かれ、手水舎は使用禁止となっている。
何十年か後にこの世相を振り返ったとき、いったいどのような評価が為されるのだろう。1918年に始まったスペイン風邪は終息までに約3年を要し、日本国内では約38万人が死亡した。それにくらべれば現在の状況はかなりコントロールされた状況下にあり、2020年1月以降確認された国内の死亡者数は3459人である。……やれやれ。
※ちなみにこの3459人というのは例年のインフルエンザの死亡者数とほぼ同水準で、これでGDPが3割も消し飛ぶような自粛が必要なのかというツッコミもまあ当然のように出てきている。筆者は感染症の専門家ではないのでその妥当性についてはよく分からないが、「もう少しマシなやり方はなかったの?」 という素朴な感想は持っている。
おや。見れば乃木将軍ご本人もフェイスガードをご装着とな。
…狛犬。お前もかw
さてそんなこんなで筆者にもようやく順番が回ってきた。世間はろくでもない状況で制限ばかりが多い新年だけれども、まあ気を取り直して頑張っていこう。
そんなわけで筆者自身の武運長久と給与ボーナスの安泰(というか勤務先の事業存続そのものが怪しいのだがw)、さらに日本国の平和とその敵の滅亡を祈って二礼二拍手一礼。
ともかくゆるゆると肩肘張らずにやっていこう。 今年も宜しくお願いいたします♪
【完】