■2005.09.11 桑名〜伊勢神宮(その2)




■ おはらい町を歩く




伊勢神宮へは周遊バスが30分毎に出ている。ちょうど時刻が合ったのでタクシーは使わずにバスで内宮を目指した。平日と週末では停車する位置が異なっており、日曜日である今日は 「お祓い町」 の入り口で降りることになる。




お祓い町は内宮の門前町として発達した集落である。案内書によるとここには明治の初め頃まで御師(おんし)という神職の代理人のような者が多数存在し、神宮に替わって神楽を奉納していたという。・・・といっても、それらは半ば観光客向けのイベントのようなノリで行われていたようで、いわゆる "御伊勢参り" で大量の参拝者が訪れた江戸後期〜明治初期の頃は、こうした「民活」でシステマチックに参拝者の対応が為されていたのである。

お伊勢参りがどうしてそんなに隆盛したのかといえば、世の中の善男善女が一斉に宗教意識に目覚めた・・・という可能性もない訳ではないのだが(笑)、「お伊勢様に願掛けに参ります」 と理由を立てれば街道の関所の通過が容易になったという事情によるところが大きい。つまりは旅行に行く際の大義名分として、使い勝手がよかったのである。




内宮は、そんなかつての善男善女たちが訪れたというおはらい町を抜けた先にある。ひとまず筆者も、そこを歩いてみよう。




おお・・・参道に沿って古い町並みが続いていて、なかなかに趣があるな。




一軒一軒が、まるで映画のセットのようなかなり風格のある建物だ。明治期以降の建築に混じって、江戸期から続く建物も混在する。




どこからともなく太鼓の音が聞こえてきたので路地の奥に抜けてみた。見れば小さな広場があって、太鼓の演奏会が開かれている。これは 「神恩太鼓」 というらしく、専用の舞台で1時間毎に演奏が行われるものだという。




こちらは笛のお姉さん。演奏者と客席の距離は1〜2mくらいしかなく、これだけ近くで聞くとかなり重厚な迫力がある。・・・やはり生演奏というのは、いいものだな。




一通り演奏を聞き終えてから参道にもどり、ふたたび神宮に向かって歩く。内宮が近づくにつれて、だんだん人通りも多くなり、賑わいも増してくる。

よくある若者向けのチャラチャラしたアイドルショップ的なものはなく、王道どまんなかといった感じの街並みがいい。




沿道の建物の意匠は、江戸時代というよりは明治〜大正の頃の商家の屋敷といった感じだろうか。比較的新しい建物も混じっているけれども、昔ながらのスタイルで統一されて街並みの雰囲気はノスタルジックにまとまっている。




途中で人だかりのある乾物屋さんを見つけたので覗いてみた。なにやら限度を知らない果敢な乾物屋さんらしい。なかなか面白いな。




さらに進むと、神宮鎮座二千年記念の碑があった。

余談になるが記紀神話と実際の歴史とのクロス時期には諸説あって、皇紀などは神武天皇即位を紀元前660年と定めているけれども、実は史学的、考古学的な根拠はない。これは推古天皇が斑鳩に都を定めた西暦601年からの単純な定数引き算で計算している。

その定数とは、辛酉革命の思想から 「1260年に一度大革命が起こる」 というもので、神武天皇の即位は国家的な大事件だから、同じく国家的な事件である斑鳩遷都から1サイクル戻ったところとして捉えよう、という論理で導かれたものなのである。こういう理屈付けで初代天皇の年代を決めてしまったものだから、存在の確実視されている雄略天皇(第21代)より前の天皇は年齢計算が合わなくなってえらく長命(160歳とか^^;)になっていたりする。

まあ、そもそも神話の中のある一点を 「歴史と結び付けよう」 という試みそのものに無理があるので、このへんは細かいことにこだわってはいけないだろう。伊勢神宮の成立時期は、学術的には3〜6世紀頃とみられているようである。

<続く>