■2005.09.11 桑名〜伊勢神宮(その3)




■ 神域に入る




約800mほどのお祓い町の参道を抜けると、大鳥居と五十鈴川に掛かる宇治橋が現れる。




鳥居の脇に、内宮の由来についての説明があった。二千年前に皇居をお出になり・・・とあるが、それ以前の天照大御神は天皇家の氏神として屋敷内に祀られていたという。

それが崇神天皇の代に疫病対策として祀り所を変更することとなり、宮中から外に出されることとなった。皇族の姫のひとりである倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に大物主神が憑依して、祀り所を移すように託宣したのだという。その後九十年あまりの放浪(※)の末にこの五十鈴川のほとりが最終的な神の座所となっている。

※現在の地に鎮まる前に転々とした場所は "元伊勢" と呼ばれて各地に伝承が残っている。




では 鳥居をくぐって、宇治橋を渡ってみよう。ここから先が、内宮の神域だ。




橋から見る五十鈴川。結構、水量は豊かなようにみえる。川幅は約100mほどある。




昔は宇治橋を渡った先に神宮を守る封戸(神人)の集落があったという話もあるようだが、現在は橋の先は完全な神域になっている。




橋を渡って右折すると、一面に玉砂利の敷き詰められた参道が延びていた。とにかく広い。




まもなく火除橋(ひよけばし)が現れる。奥に見えるのは一の鳥居だ。・・・あれ? ではさっきの宇治橋のところの鳥居は正規の鳥居として数えないのか・・・というと、数えないらしい。ちなみに橋の鳥居は式年遷宮で撤去された神宮本殿の柱をリサイクルして作っているそうだ。




おお、見れば手水舎(てみずしゃ)があるな。一の鳥居をくぐるまえに、ここで手と口を漱いで清めなくてはならない。




水はとても冷たかった。五十鈴川から引いているのか支流の島路川から引いているのかわからないが、水道ではないように思える。聞けばかつては五十鈴川にドボンと浸かってガンジス川の沐浴のように身を清めたそうだが、だんだん簡略化が進んで手先と口元のみ清めればOKということになっているらしい。




一の鳥居を過ぎると参道は左に折れる。歩いていくと、やがて二の鳥居が見えてきた。


<続く>