■2005.09.11 桑名〜伊勢神宮(その5)




■ 本殿以外の施設など




さて復路は荒祭宮(あらまつりのみや)経由で戻ることにする。荷物を預けている関係上、時間厳守で戻らねばならないのがちょとアレだけれども、見られるものは見ておきたい。こkでは全部を紹介するのは大変なので、印象に残ったものをつまみ食い的に紹介しておきたい。




まずは 御稲御倉(みしねのみくら)である。神田から収穫した稲穂を納める倉庫で、典型的な神明造りの構造になっている。天照大御神の鎮まる本殿も基本構造はこれと一緒である。(上に載っている鰹木の数が違ったりするのだが ^^;)




自然崇拝の信仰を反映しているのか、屋根が苔蒸したり草木が芽吹いたりするのはまったく問題にはされていない。まさに古色蒼然。・・・しかしこんな状態であるから、二十年ほどで建て替えるというサイクルが回っているのかもしれない。




こちらは外幣殿(げへいでん)である。古神宝を納めてある倉庫で、建物の構造もほぼ一緒である。縄文人の住居である竪穴式住居との最大の違いは 「高床式」 であることで、これは大陸南方の文化といわれる。

縄文の "穴の文化" はたとえば農家の土間構造にその片鱗を残しつつ後世まで継続したといわれるけれども、貴族の邸宅はいちはやく高床式に統一され、それがやがて庶民にまで広がって日本家屋の形式をつくりあげた。そのもっとも原初の姿がこの神明造ということになる。筆者は建築史にはあまり明るくないけれども、建物形式に着目してゆっくりと見て回れば、伊勢神宮というのはとてもおもしろいフィールドなのではないかと思ってみた。




さてこちらは荒祭宮(あらまつりのみや)である。古神道では神霊の姿には穏やかな状態である和魂(にぎみたま)と、神威を発現する荒ぶる状態である荒御魂(あらみたま) があるとされる。ここは天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祀る宮だ。天変地異などの自然災害を古代人が理解するためにこんな概念ができたのえはないか・・・と言われているそうだが、筆者にはそれをうまく説明する知見はまだない。ただこの宮が独立しているということは、災害対策の祭祀や祈祷を行うためのニーズが少なからずあったのだろう。

ちなみに魂の状態には他に幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)があり、あわせて四魂などと呼ばれる。この4つが合わさって一霊となり、人の精神をかたちづくるらしい。時間があれば、そのあたりを掘り起こしながらゆっくり見てみたいところだ。



■ 俗世への帰還




さて時間がなくなってきてしまった。最後は池のほとりを通ってふたたび宇治橋に戻った。




ちょっと路地を抜けて五十鈴川側に出てみるとこんな風景がみえた。お祓い町の裏側は、こんなところだったのだな。




神ながらの里とはいってもそこには人の生活空間がある。お祓い町のメインストリートはいかにも観光向けの顔をもっていたけれども、こちら側はすっかり普通の町のように思えた。いくら "キングオブ門前町" といっても、人は宗教空間のみで生きている訳ではない。こういうところを時間をかけて巡ってみるのも面白そうだな。

・・・ ここで時計を見ると午後4時であった。頑張ればHit&Awayで夫婦岩を回れるかもしれないけれど、駅の手荷物預かり所は5時で閉まってしまうので実質的にタイムアウトである。このあたりが、撤退の潮時だろう。




本日の "本来の目的地" である桑名に戻ったのは日も暮れた頃であった。恐ろしいほどに寂れ果てた町であったが、仕事の話はしてもつまらないので本日のレポートはここまでとしたい。

・・・それにしても、やっぱり半日観光というのは結構忙しいな(^^;)





■おまけ:




そういえば衆院選の投票日だった本日、なんでも反対戦法で牛歩だ審議拒否だ・・・とよくわからない迷走を続けていた民主党は、どうやら国民に見捨てられた模様であった。とりあえず、何でもいいから景気が良くなってくれるといいなあ。


<完>