■2005.09.11 桑名〜伊勢神宮(その4)
やがてジンジャーグッズ販売所・・・というか社務所が見えてきた。
実は筆者は初めて知ったのだが、ここには "おみくじ" というものがない。そのココロは 「伊勢神宮は毎日が吉日だから吉凶を占う必要がない」 というものらしく、つまりここを参拝した人は皆ひとしく運勢が最大最強にチャージされるということになるそうだ。願わくば筆者の運勢もMAXチャージして頂きたいな・・・(^^;)
隣には神楽殿があった。お祓いや祈祷を行う建物で、一般的な神社では単に舞台があるだけだけれどもここは造りが立派で門と回廊に囲まれている。
見れば金具の意匠もずいぶんと凝ったものになっていた。面白いのは菊の文様で、パスポートにあるような放射状に記号化された菊(皇室のシンボル)ではなく、なかなか写実的なデザインとなっている。神宮としてはこちらが本来の図柄なのだろうか。由来についての説明があると面白いのだけれど。
神楽殿を過ぎると、参道には巨木が目立つようになる。樹齢はいったいどのくらいになるのだろう。樹種は檜(ひのき)のようで、大きいものは直径2m以上ある。ちなみに神宮の周辺は現在は国立公園(※)になっており、樹木の伐採は禁止されている。
※昭和21年11月20日指定。もとは志摩国立公園として計画されていたが、敗戦後進駐してきたGHQによる神宮解体を危惧して急遽伊勢が追加され、"伊勢志摩国立公園" が成立している。
※では式年遷宮の木材はどうやって調達しているかというと、木曽山地の国有林から調達している。伊勢神宮の神領でも植林事業は行われており、数百年後(^^;)には自己調達が可能になるよう気の長い努力は続けられている。
余談になるけれども、神宮の社殿の木材は、かつて王朝時代の頃にはこの神域で賄われていた。しかし鎌倉時代に武家が台頭すると朝廷の力が落ちて荒廃が始まり、また戦国時代には北畠氏による神領の収奪が進んで式年遷宮もできなくなった。
現在の姿からはちょっと想像しにくいけれども、中世の伊勢神宮は不遇の時代が300年あまりも続いてながらく生息吐息だったのである。
それが一転、江戸時代になってお伊勢参りが盛んになったのは、財政難を賄うために神宮側がさかんにプロモーションを行って参拝客をあつめた営業努力がある。
その結果として国内人口の1/6もの参拝客が集まる一大ムーヴメントが起こり、笛や太鼓でチャンチキ、チャンチキ・・・とやる太神楽のパフォーマンスが広まった。この路線変更は大成功であった。おかげで伊勢は国内有数の観光地となって江戸時代の宿場町も隆盛にも多大なる寄与をすることとなり、現代につづく伊勢地域の隆盛の起爆剤となった。
ちなみに有名な十返舎一九の 「東海道中膝栗毛」 は弥次さん喜多さんがお伊勢参りをする話である。旅行系の物語は主人公の旅立つ理由を説明するのに結構な苦労をするものだが、「お伊勢さんに行く」 と言うことにしておけば誰も文句をつける余地はなかった。
ちなみに伊勢太神楽として各地の祭りなどで行われているのは、神楽と名はついても曲芸にちかいものが多い。日本神話と天照大御神のイメージとはずいぶんかけ離れたイメージだけれども、これは中世の荒廃から立ち直るための試行錯誤の結果ともいえる。これはこれで、日本の祭り文化のひとつの要素なのだ。
※写真はWikipediaのフリー素材を引用
さて話を戻すけれども、そういった近世のプロモーション活動を除いた、原初の信仰としての伊勢神宮を鑑みると、日本古来の自然崇拝にたどりつく。神の鎮まるところは人の手の加わらない原初の森であるべき・・・という思想が根本にあって、日本各地に分布する神社群はそれを小さく切り取って再現したような空間になっている。
■ 本殿
一番奥まったところまで来ると、参道はほぼ直角に曲がって、高台に向かう石段が現れる。神宮の正殿は、その上にある。
ここは伊勢神宮の中でも唯一、撮影禁止のところである。現代にあっても伊勢神宮の本殿は "畏れ多い" 存在で、写真でその姿を映しとるのは禁忌であるらしい。新聞や雑誌で紹介される伊勢神宮も正面から本殿、拝殿を写した写真は用いられない。この石段の下から見上げるアングルがぎりぎり許されるもので、ゆえに筆者もそれに従うことにしよう。
ただし拝殿越しに肉眼でそれをみることは出来るので、筆者は神様に敬意を表しながら拝見させていただいた。その造りは近世様式の神楽殿などとは違って、唯一神明造(※)となっていた。簡単に言えば弥生時代の高床建築そのものである。これを見れば、日本古来の信仰のルーツが弥生時代にあることがわかる。西洋の大聖堂建築のようにゴチャゴチャとした装飾はなく、堀田小屋の屋根に鰹木が乗ったシンプルなものだ。
※一般に 「神明造」 といわれる形式は、伊勢神宮の本殿を若干簡略化したものになる。ゆえに伊勢神宮の本殿は他に同じものが並び立つことはなく、唯一神明造と呼ばれる。
ここでは家内安全とか商売繁盛といった "個人的な願い" を祈ってはいけないらしい。天照大御神は国全体をあまねく照らす存在だから・・・などとも言われているが、ここに正式に参拝できるのは本来は天皇ただ一人で、祈願する内容も国家安泰のようなスケールの大きなものなのである。
では神楽殿で受け付けている祈祷は何なのかと言えば、あれは分類としては神楽(かぐら)あるいは御饌(みけ)に相当している。いずれにしても参拝者が直接神様にお願いをする訳ではなく、神職さんを通じて間接的に神様に願いを伝えていただくという形式をとる。・・・なかなかに面倒ではあるけれども、それでもかつてに比べればかなり開放的になっているのではないだろうか。
■ 式年遷宮御敷地
さてひとまず最重要ミッションである本殿参拝をクリアしたので、少し余裕をもって周辺を散策してみることとしよう。
正殿を下ってすぐ隣に、「式年遷宮御敷地」 と書かれた場所があった。式年遷宮とは20年に一度、社殿を取り壊して建て直す催事で、天武天皇の頃に始まって1300年ほど続いている。伊勢神宮では同じ面積の敷地を2つ用意して交互に使用するかたちで行われる。次の社殿は平成25年に建てられることになっている。
その式年遷宮御敷地から、本殿の屋根がみえた。このアングルで写真を撮るのはOKだそうで、筆者にとってはほぼ唯一の神宮本殿の写真となった。
<続く>
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