2007.09.08 塩原の古代を歩く:前編 (その2)
■塩原盆地と八郎ヶ原
やがて温泉街に到着。断崖絶壁を遡った先にある温泉街は、意外にもゆるやかな地形の中に展開している。実はここは昔は湖の底で、V字谷を掘り込むような侵食を受けず、変わりに土砂が堆積してゆるやかな盆地を形成した。
塩原盆地は周囲の山岳地から多数の河川が流れ込む "水の集中ポイント" である。ここには氷河期の終わり頃、温泉街から上流側およそ6kmにわたり大きな湖が存在した。ダムの壁に相当する "水止め" 部分は現在の畑下〜塩釜(温泉街の南端)付近にあり、活火山である富士山の噴出物で谷が埋められたものだったらしい。
地質学者の間ではこの湖は "塩原化石湖" と呼ばれている。湖時代の堆積物の中には非常に保存の良好な植物の化石が含まれることから "木の葉石" として有名である。ダム部分は数万年かけて箒川に侵食され、湖面はゆっくりと低下していったらしい。現在では湖底は干上がって細長い盆地となり、人の営みの場に変わっている。
※塩原化石湖のエリアを外れてより上流側の周辺河川に入っていくと、そこには再び深い渓谷が展開しており写真スポットもたくさんある。
その"元"化石湖の湖底を西行し、もみじライン方面に抜ける。えらく前振りが長かったが(笑)、ここから古代の話をはじめよう。
古代とは歴史区分でいうと縄文時代から平安時代までをいう。ただし塩原に関して文献上の記録が残るのは806年の元湯発見以降のことだから、実質的に平安時代、それも末期の源平争乱の頃が記録が主となる。
さて塩原を支配した勢力のうち、もっとも記録の古いのは地名の由来ともなった塩原氏である。時代は12世紀半ばで、藤原氏の系列に属する塩谷氏の分家だったらしい。1156年頃の所領は横川、三依、塩原の付近である。
この付近の街道としては、近世では現在の会津西街道に相当する男鹿川水系沿いのルート、そして途中までは同じ経路で高原付近から分岐し塩原を経由して上三依に抜けるルートがある。平安時代、どちらが主要路であったかはわからない。ちなみに塩原〜上三依のルートにある峠を尾頭峠というが、その由来は "関東の尾と奥州の頭の接するところ" という意味らしい。
さてその塩原氏だが、領国経営の拠点としては盆地である塩原を選択した。ただし最初の拠点(館)は盆地の底ではなく、現在八郎ヶ原と呼ばれている台地に建てられた。この館は統領の塩原八郎家忠にちなんで "八郎館" と呼ばれている。塩原八郎家忠はのちにより盆地に近い崖の上にさらに堅固な "要害城" を築き、これが後世まで塩原の領主の城として使われることになる。
この時期、箒川を下って那須野ヶ原方面に抜けるルートも存在しているが、これは裏口のようなもので、幹線道路としてはまだ十分には機能していなかった。理由は下流側の塩原渓谷が険しすぎるためである。那須野ヶ原方面の関谷に抜ける道が整備されるのは鎌倉時代、会津の長沼氏がこの地を支配してからのことだ。
さてそんなわけで、もみじラインから分岐して八郎館跡地を目指す。現在は八郎ヶ原は牛の放牧場として使われているが、一般にはあまり知られていない。観光客などはまず絶対に来ないであろう地味〜なダートを抜けていくと・・・
突然、、映画にでも出てきそうな広々とした牧草地が出現する。ここが八郎ヶ原である。
放牧場として使われているのは66haほど。この面積でこの牛の数・・・なんとも贅沢な環境だなぁ。
ここには細いながらも沢水もあり、地形はなだらかで周囲のみ切り立った崖という天然の城砦で、なるほど拠点を築くには良い立地といえる。元湯温泉は向こうの森を下ったあたりで、直線距離で約2kmほどの距離だ。
八郎館の跡と伝えられるのは、放牧場のほぼ中央にあるこんもりと茂った杜(もり)である。ここは一般に開放されている場所ではなく、今回は牧場の管理人氏の許可を頂いて入らせていただいた。
これが八郎館跡地である。周囲には土塁の跡らしきものがわずかに残るが、注意しないと見逃してしまう程度のものだ。放牧場にあってこの一角だけは柵で囲われており、一応現状の保存がされている。館の敷地は東西90m、南北110mほどあったというが、保存されているのはそれより一回り狭い区域のようだ。
塩原氏配下の一族郎党は200〜300名と伝えられており、この付近にはちょっとした町並みのようにそれらの家々が並んでいたことだろう。
遺跡を象徴するのは、現状では実質的にこの小さな祠ひとつということになるのかな・・・。由緒を示す説明碑の類は一切ないので、予備知識なしでここを訪れてもその価値に気づくことはおそらく無いような気がする。
今はただ、広々とした放牧地で牛が草を食(は)むのみである。
<つづく>
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