2013.02.11 中部北陸:雪国紀行 〜白川郷編〜 (その5)




囲炉裏のある風景




さて世界遺産とは言っても基本的に古民家の居並ぶ山村風景なので、あちこち見て回っても血沸き肉躍るようなスペクタクルなカタストロフィ…というのは無い(^^;) ひたすら静かな風景が広がっているだけである。(※意図的に画面から外している観光客の群れは別として ^^;)




…そんな訳で、この白川郷編も特に疾風怒濤の超展開が待っていることもなく、このあたりで終わるのだが、最後を締めくくるにあたって囲炉裏の風情について少しばかり触れておきたい。

ここに移築されている古民家は江戸時代築のものが多い。エアコンやファンヒーター、ましてや電磁調理器(!!)などない時代であるから、どこの家にも居間には必ず囲炉裏がある。…これが、実にノスタルジックでいい雰囲気なのである。




これは休憩所として使われている家だが、火の入っている囲炉裏があって自由にくつろげるようになっていた。せっかくなので筆者も少しばかりあたっていくことする。

幸い、さきほどの寺と違って一般民家の囲炉裏は玄関を入ってすぐの土間脇にあり、適度な明かりが入って密室感というのはあまり無い。

※これが進化して櫓と掛布団を装備すると掘炬燵(ほりごたつ)になるのだが、白川郷の古民家では従来型の囲炉裏のみでコタツになっているものは見かけなかった。




坐してみれば、炭火の控えめな熱が囲炉裏端をほんのりと温めており、古そうな鉄瓶が湯気を燻(くゆ)らせながらちりちりと静かな音を立てていている。…これが実にいい。

なにが良いかといえば、始まりもなく終わりもない(本当はあるのだが気分的に ^^;)というこのマターリ感なのである。キッチンタイマー式に 「チン!」 と決まりきった時間で何かが区切られるわけでもなく、炭火はずっと静かに赤熱していて何かを急(せ)かされることはない。




かつて農閑期の囲炉裏端は、家族の集まる団欒の場でもあった。雪に閉ざされた季節には外ですることもなく、さりとて内ですることもなく、時間はいくらでもあり、黙々と、或いはゆったりと、他愛もない話や内職仕事などをして過ごした。

炭はいちどくべると長く赤熱しつづけるので鉄瓶などを載せて湯や茶を沸かしていた。冬季は一日中火を絶やさず、夜間は室内を照らす照明を兼ね、寝るときには灰をかけておいて翌朝の煮炊きの火種としてつかった。永遠とも思える平凡で偉大なる日々の繰り返しは、この囲炉裏を中心に回っていた。…おそらく、日本人が一番幸せだった頃の日常は、そんな風景とともにあったにちがいない。




残念ながら現在ここに展示してある古民家では、常時人が詰めている休憩所以外では囲炉裏に火は入っていない。茅葺屋根の建物は火災になると一気に燃えてしまうので、火気厳禁の原則がかなり厳重に適用されている。火の入らない囲炉裏はなんとなく小奇麗に整備されすぎて、まるで出来過ぎの映画のセットのような雰囲気に見えなくもない。




しかし昔の写真をみると、これがまた全然違ってみえるのである。何が違うかと言えば "人が居る" というただ一点なのだが、それが劇的なまでに囲炉裏端の雰囲気を変えている。一言でいえば、空間が 「生きている」 のである。

こんな時代の白川郷を、筆者はみてみたかった。もし今、こういう場面に加わって茶飲み話のひとつもしようと思えば…はて、囲炉裏のある民宿にでも泊まればチャンスはあるのだろうか? 可能であるなら、電燈を消して囲炉裏の炭火だけでゆらゆら照らされる中、昔話のひとつも聞いてみたいような気がする。




■ふたたび荻町集落側へ




さて閉館時間が迫ってきたので、吊り橋経由で荻町集落に戻った。




にわか勉強ではあったけれども、生半可な知識を仕入れたのちに改めて集落を見回してみると、さきほどの民家園と実際の市街地の違いが再認識される。

こちら側ではやはり合掌造りの建物の多くは売店や喫茶店、民宿などに改装されて、いわゆるレトロファッション路線に舵をきっているのである。これについては景観保存の観点からツッコミどころもいろいろありそうだが、白川郷の人々も霞を食って生きている訳ではなく、いつまでも囲炉裏と養蚕の暮らしを強制する訳にもいかないので難しいところだ。




ここから導き出せるのは、"町は生きている限り変わっていく" …という当たり前の原則のように思える。白川郷の場合、特に店舗になっている物件は、観光客の求める幾分ファンタジー気味の嗜好にすり寄っているようだった。それはマーケティングの観点からは正しいけれども、文化財保護の観点とはおそらく相容れない。




観光化の進んだ区域と、「合掌造り民家園」 のようなテーマパーク型の保存区域が分離していった理由は、おそらくそんなところにあるのだろうと筆者は思ってみた。

ユネスコ的視点からみれば認定対象の "保存" こそが優先で、過度な観光化は歓迎されないのが建前である。…が、「生きている町としてはどちらが自然な変遷か?」 という観点からみれば、また別の解答が存在し得る。唯一絶対の八方美人的な答えなんてものは存在しない。

…で、筆者はというと、この地域には直接的な利害関係にないので、どちらの味方もしないのである(ぉぃ^^;)。そのへんは自治の原則に則って、白川郷自身が決めなけれなならない。


 

…ということで、腹も減ったので特産の飛騨牛定食でも食ってエネルギーを補給し、そろそろ白川郷に別れを告げるととしよう。

 


夕景




…と言いながらも、実はまだちょこっとだけ寄り道をしている(ぉぃ)。本来ならもう次の目的地=高山にむけて出発しなければならない時間なのだが、たまたま休憩所で雑談をしていた折、相手の方(暇人カメラマンらしい)が 「ここまで来て夕景を見ないのは人としてどうよ?( ̄▽ ̄;)」 と力説なさるので(笑)、すこしばかり滞在時間を延長してふたたび展望台に登ってみたのである。

時計をみると、ざっと 17:30 …この時間だと、もうミーハーな観光バスはやってこない。自家用車組の暇人のみが、氷点下の寒さの中でこの駐車場でぼーーーっと日が落ちるのを待っている。停まっているクルマは筆者も含めて5台あまり…この程度の人数なら、カメラポジションの競争もなく、平和なものである。




それにしても、改めて周囲を見回してみるのだが…本当に静かなとろだな。

見上げれば、風もなく、低い雲だけがゆっくりと流れていく。時が止まったような…という表現は、まさにこんな風景を形容するのに相応しい。




やがて、家々の明かりが、ぽつり、ぽつりと灯って、イイカンジになってきた。

合掌造りの建物にどこまでリアルに人が住んでいるのかは良く分からないが、ここから見える物件は民宿として使われているものが多いそうで、いずれも明かりが灯って稼働率はよさそうだった。今回は旅の日程をかなり直前に決めたのでビジネスホテル主体でここでは宿を取らなかったけれども、ああいう古い民家で過ごす夜というのも、なかなか味のある体験かもしれないな。




そのまま、小一時間ほども暮れゆく風景を眺めていた。観光客が去った合掌集落では通りを歩く人も無く、売店は早々に店を閉めて、古民家の明かりが静かに闇に浮かびあがる。田舎の山村の正しい夕景である。

「…いい風景ですなぁ」

…と、ふと隣で暇人カメラマン氏がつぶやいた。筆者に向かって言ったのか、独り言としてつぶやいたのかは定かでない。が、筆者は特に深く考えるでもなく、やはり似たようなセリフを返した。

特に理由はない。ただそうするのが自然のような気がしたのである。


<完:高山編につづく>