2013.03.20 鉄と日本刀を訪ねる:備前長船編(その4)




■鍛錬場




さて展示館を出て、次は実演スペースに行ってみよう。・・・といっても、今日は職人さんがほとんど居ない。どうも間のあまり良くない日に来てしまったようだな (´・ω・`)




まあ気にしても仕方が無いのでウロウロと歩いてみる。ここは鍛錬場で、実演スペースの花形となる場所である。




今日は実演日ではないので誰も居ないのだが、せっかくなのでセルフ見学させてもらおう。




壁には神棚があった。本稿の冒頭でも触れたと思うけれども、製鉄あるいは刀の鍛錬というのは神事でもある。祭られている神様は地方によってまちまちなのだが、中国地方では製鉄の神=金屋子神が祭られることが多い。



これが炉である。思ったよりコンパクトで、このアングルでは見えにくいが火力を稼ぐための鞴(ふいご)の空気を送り込む穴が開いている。燃料は松炭が主に用いられるという。

それにしても…近代製鉄の工場設備などの写真を見てからこの鍛冶場を見ると、一種のカルチャーショックを受けるなぁ…(´・ω・`) 正直なところ 「こんな設備や材料でよく最高級の鋼製品を作ったな」 と思わざるを得ない。




見れば、炭にしても砂鉄にしても、鞴(ふいご)にしても、藁灰にしても、千年以上前からごく日常的に身の回りにあるものばかりである。それをどんな順番で加熱し、叩き、折り返し、伸ばし、冷やせば良いか…という加工ノウハウを極めて、一本の刀をつくりあげていく訳だ。




まさにマテリアル・エンジニアリングここに極まれり。…スゴイものだな(´・ω・`)




さて鍛冶屋の仕事場というのは初めてみるので、筆者は金床についても少しばかりじっくりと見てみた。「金床ってナニ?」 …という方は、赤熱した刀身を鍛えていく作業台みたいなものだと思って戴ければよいだろう。金床は刀鍛冶の間では "鉄の神様の頭" とされていて、刀を打つぶんにはいくら叩いても良いけれども、直接金床に金槌を振り下ろすのはタブーとされている。

聞けば床上に出ているのはほんの一部で、見えている部分の何倍もの土台が地中深く埋まってガッチリと固定されているらしい。これをいかにしっかり頑丈に作るかというのが、鍛刀場を建てる際の肝のひとつになる。そして一度作ったら、滅多なことでは更新しないのである。




そしてこちらの重そうな金槌が、金床の上で刀を鍛えるもの。現代の刀工さんは日常の作業はエンジン付きのスプリングハンマーでこなすそうだけれど、昔はこれを腕力で一日中振り回していた。持ってみると結構重く、昔の刀鍛冶というのは実は筋肉ムキムキのマッチョメンだったのではないかと思えてくる。




さらにこちらは泥水の器。こんなものを何に使うかというと、熱した玉鋼の表面にかける一種のコート剤として使用するのだという。鉄を裸のまま炉にくべて熱すると、芯が温まる前に表面ばかりがどんどん溶けていってしまう。それを防ぐために泥水をかけて均一に熱が分布するようにするらしいのである。




改めて思うけれど、こういう一見するとどこにでもありそうな材料を組み合わせて刀剣を作り上げるのだから仲々にスゴイ。最初にこれを考えた人はどうやって発想したのだろう…(´・ω・`)




 

■ その他の作業場など




さて誰も居ない鍛錬場にあまり長居をしてもアレなので、もう少し先に行ってみよう。




・・・といっても、やはり人がいないので少々寂しい(^^;) …というか、人の居ない仕事場というのは、風景としては猛烈に地味で殺風景だ。




・・・まあ、それでもせっかくなので少し覗かせてもらおう。




中に入ってみると…おや、彫刻場らしい作業机に、作業中の豪壮な刀がある。




近づいて見てみると、見事な龍と剣の彫り物であった。剣は三鈷杵を柄にしており、不動明王をあらわす倶利伽羅(くりから)の紋様である。倶利伽羅は刀剣の彫刻として古くから好まれたモチーフのひとつで、しかし複雑で彫るのが大変なことから 真/行/草 といくつかのグレードに省略されながら施された。ここに彫ってあるのは一番精密な "真の倶利伽羅" で、美術刀剣としては最高級にちかいもののように思える。

※実戦に使う刀にはもっと簡略化したものが彫られ、線彫りで剣だけとか、梵字で不動明王を表わしたものがよくみられる。あまり深く彫ってしまうとメカ強度が下がってしまうので精緻なものは儀仗様とか美術刀剣用である。千年後くらいの評論家が見れば昭和20年代を境界に美術刀剣が増える様子が、彫刻を通して伺えるかもしれない(^^;)



 

■砥師さんと出会う




さてふらふらと徘徊していると、ようやく仕事中の職人さんを見つけた。この日の実演コーナーにいた唯一の "砥ぎ師" の中の人である。「今日は人が居ないんですねぇ」 と尋ねると、砥ぎ師さんは 「あー、ちょうど広島でイベントがありましてネ、主な人はそちらに出かけているのですヨ」 と教えてくれた。

…つまり筆者は非常に運の悪いめぐり合わせでここを訪れたらしく、普段ならもっと職人さんが大勢いてにぎやかな筈だったのだ。…なんてこったい( ̄▽ ̄)




ちなみにそのイベントとはこういうもの(↑)であった。うーむ…筆者としては日本刀に関する催事というのはもう少し保守的で硬派なものであってほしいのだが(笑)、いまどきの世相はどうやらあっち(どっち?)の方面に流れつつあるようで、そのテイストは限りなくアニメチックで軟らかい。




「最近はこういうノリのほうがお客さんが集まるんですよ〜、時代の流れですかね」 …と言って、職人さんはイベント資料のファイルをぱらぱらとめくって紹介してくれた。えーと…戦国BASARAって、頭の悪そうな伊達政宗が6本刀を振り回しながら剣術そっちのけの超能力技で大暴れするゲーム…でいいんだっけ(あれ? ^^;)

最近はアニメや漫画、ゲームと組み合わせた企画が特に外国人にウケているのだそうで、海外の展示会などもこの種の催し物は盛況であるらしい。どんな人が見に来るのか筆者にはちょっと想像できないけれども、「オー、ジャパニーズ・ニンジャ!サムライブレード!」 …とかそんなノリなのだろうか。

…願わくば日本の伝統が誤ったイメージで広がりませんように…南無南無(核爆)




…で、それはともかく、せっかく来てくれたのに人が居ないのは申し訳ないとのことで、本物の脇差に触らせていただく機会を得た。おお…これが日本刀の実物か〜♪(´・ω・`)

鉄の塊なのでもっと重いのかと思いきや、持ってみると案外軽い。白鞘に収まっているとヤクザ屋さんのドスそのもので、もちろんこんなものを町の中で振り回したら銃刀法違反に問われてしまうのだが、しかしガラスケース越しに見るのと違って実際に持ってみると "これは美術品という以前に道具だ" ということが実感される。

※白鞘は本来は刀身を保管するためのもので、実戦用の拵えは別に用意する。




刃先の状況はこんな具合であった。いわゆる横手がなく切先部分がなめらかに細っていく形状で、菖蒲の葉に似ていることからこの形式は菖蒲造りと言われる。脇差や短刀によく見られるタイプの仕上げ方だ。

刀身の中ほどにスジのように見える山の部分は鎬(しのぎ)といって日本刀の特徴のひとつである。刀身の断面はこの鎬の部分で一番厚みが大きく、前後が細い。つまり断面は菱形になっている。単純な楔形ではなくこういう形にすることで、固いものに斬り付けても摩擦で刃が止められることなく、断ち切りやすくなるのだそうだ。

なおこの形は刀匠が刀を鍛える過程で打ち伸ばして整形するもので、削りだしやプレスによるものではない。日本刀は芯/皮構造になっているのでそもそも切削とかプレスには向かず、あくまでも叩いて伸ばすことで層構造を維持したまま刀身を作っていく。素延べ初期には15〜20cmくらいの角コンニャクみたいな形だった鉄の塊が層構造を崩さずに均一に伸ばされて整形されていくわけで、決してテキトーに叩いているのではない。このあたりに、刀鍛冶の鉄師としての技術が現れている。




砥ぎの作業中は刀身は裸になっていて、こんな状態である。砥ぎでピカピカにするのは目に見える部分のみで柄に収まる中茎(なかご)はあまりゴリゴリと研ぐことはない。この部分には一般に刀匠の銘が切ってあり、研ぎすぎると潰れて読めなくなってしまうのである。




さてその他にも色々とお話は伺ったのだが、全部書いていくのは分量的にも内容の深み的にも筆者の力量的にも飽和してしまいそうなので(笑)、これ以降は省略しようと思う。

それにしても思うのは、日本刀は刀身が打ちあがって以降の工程が予想外に長くかかり、多くの人が関わるのだな・・・ということであった。願わくば、ちゃんと実演者の充実した日程でこの博物館を訪れてみたいものである。




…ということで、本日は他の実演コーナーもほぼ無人だし、展示館はここまでとして、この先は周囲の史跡をいくらか散策してみることにしよう。


<つづく>