2008.06.08 松子神社/籠岩神社に山の神を訪ねる (その1)




近くにありながら未踏の神社をゆるーりと巡ってみましたヽ(´ー`)ノ




しばらく更新をサボっている間に、世間はすっかり梅雨入りしてしまった(^^;) ウィークデーはずっと雨模様だったが今週末は土、日とも日が差してイイカンジである。そんな中、今日はあまり遠出をせずに近くのローカルスポットを巡ってみることにした。松子神社と板室の大日堂、籠岩神社である。地域に祀られる "山神" を尋ねてみようという趣向だ。




■松子神社




松子神社は那須街道の中頃にある古い村落 "松子" の村の鎮守である。松子は松尾芭蕉の奥の細道にも登場する村落で、芭蕉は高久からここまでを馬で送られ、その先は徒歩で殺生石まで往復した。現在の真っ直ぐ舗装された那須街道と平行して旧街道と思われる曲がりくねった細道が残されており、松子の集落はわずか10軒ほどの慎ましさでその面影を現代に伝えている。

水がなく不毛の土地であった那珂川西岸(那須野ヶ原→明治期に開拓)と異なり、東岸のこの付近は中小の沢が流れて水の供給があったことから幾つもの小集落が点在していた。街道の行き先は殺生石のある湯元温泉で、奈良時代に湯治の記録があることから、街道の歴史も同じくらいまで遡ると思われる。




現在の松子神社付近は、大河の脇筋に取り残された三日月湖のような立地にあってほとんど忘れ去られたような状況にある。上の写真で奥の方にチラリズム的に見えているのが松子集落である。

すぐそばを通る那須街道は天気のよい週末などは観光客で渋滞するが、ここはそもそもクルマが入ってくることがほとんどない。…まあ、入ってきたところですれ違うこともできない細い道筋ではあるのだけれど(^^;)




集落から神社までは家3軒分ほど奥に入る。舗装はなく、本当に地元の人だけが通る裏道のような印象だ。




これが神社の入り口である。"村社" とあるのは村の鎮守という意味だろう。外敵や疫病から村落を守り、五穀豊穣をもたらす呪術的安全保障施設であり、規模の大小はともかく昔はどこの村落にも必ずあった。ここでいう村落とは家が数軒〜数十軒集まった集落レベルのものだ。



松子神社そものに何か特別な由緒があるかというと、実はあまりない(^^;)。今回ここに来たのは、少なくとも芭蕉の頃までは遡れる古社で、いわゆる国家神道の洗礼をあまり受けていないであろう村の鎮守様クラスの典型的な姿を見てみよう、というくらいの意識によってである。

実際、ここは時々草刈くらいは行われているようだが観光案内に載るわけでもなく、教育委員会が史跡としての案内板を立てているわけでもない(だから成立の由緒もわからない)。でも意外とそんな "ほどよい無関心さ具合" というのが民俗的には貴重な情報を後世に伝えていたりするのかもしれない。




さて拝殿を見てみよう。確かに観光パンフレットに載るような壮麗なつくりという訳ではなく、トタン葺きで築20〜30年といったところだろうか。でも氏子の戸数(それほど多くないであろう)から考えると、飾り気のないこんな建物(失礼 ^^;)であっても地元ではそれなりに結構な負担を負って建てているように思われる。境内は割りと小奇麗に整備されていて、ちゃんと村社として維持管理されているようだ。


拝殿奥にある本殿。扉は閉まっており由緒書もないので、残念ながら "なにごとのおはします" かはわからない。一般的には田の神とか山の神が祀られるように思うのだが・・・




その山神は、本堂脇に別途こんな形で祀(まつ)られていた。ただの石碑じゃん、とツッコミを入れたい人もいるかもしれないが、日本の神様は "依り代" つまり憑依するなにかシンボリックな物体(人間でも良い)があればそこに降りてくることになっているので、これで十分に事足りるのである。拝礼する村人はべつに石碑を拝んでいる訳ではなく、そこに降りてきた神様の神霊にむかって五穀豊穣や家内安全などを祈願するわけだ。

山神は一般的に女性の神であると言われている。日本の農村ではかつて山神は田植えの頃に山から下りてきて田の神となり、秋の収穫が終わると再び山に帰っていくという信仰があった。ここでいう山とは、那須連山のような大きな山塊である必要はかならずしもなく、里山の小高い丘陵地などでも充分条件を満たした。この松子神社の立地する小高い丘陵も、あるいはそのような位置づけであったのかもしれない。




神社にはその他にもいくつかの小社が並立している。"諏訪様" と書いてある社は長野県の諏訪明神を勧請したものだろう。龍神信仰や農業神としての性格も併せ持つので、農村の鎮守様の境内にともに祀られたようだ。



その中で一風変わっているのが、この ”オニワタチ権現” である。筆者はこの神様については知識がない。オニ→鬼と解釈すると三鬼権現あたりが相当するのだろうか。三鬼とは空海(弘法大師)が山中で勧請したという追帳鬼神(大日如来)、魔羅鬼神(不動明王)、時眉鬼神(虚空蔵菩薩)を指すのだが、手がかりもないのに無理やり結びつけるのもナニなので、ここで何らかの結論を出すのは避けておこうヽ(´ー`)ノ




しばらく周辺の様子を観察してみたが、素人調査ではこれ以上の面白いものは発見できなかった。もうちょっとツッコミどころがあると面白いレポートになったのだけれどなぁ・・・(^^;)

しかし那須地域の農村に於ける鎮守の神の典型例として、この松子神社はその古い形式を非常によく保存していることはわかる。民俗学的には面白い題材といえそうだ。

<つづく>