2014.07.26 塩原化石探訪:前編(その2)




■ 妙雲寺




さて大黒岩を見た後は、R400に乗って塩原温泉郷を目指していく。温泉街中心部のランドマーク、妙雲寺を訪ねるのである。




ここは今から800年の昔、壇ノ浦から落ち延びた妙雲禅尼が草案を結んだところで、現在の温泉街ができる遥か以前から持仏堂がありそれが後に禅寺となったところである。



しかし今回は源平合戦の話はまったく関係がない(^^;) 有名な戊辰戦争のときの焦土戦の話もさっぱり関係がない。とりあえず門をくぐって中に入り…




本堂を眺めた後は、裏側の牡丹園につづく回廊の方に歩いていく。




すると、風変わりな庭石が置いてあるのを目にすることができる。




なんと、この庭石は貝の化石なのである。




さきほどの大黒岩よりは数段貝も大粒で、形状も綺麗だ。ここに置かれたのは戦後になってからのことで、寺の由緒とは直接感はなく単に珍しいからということだったらしい。

…それにしても、化石という切口で塩原を探訪する人がどれほどいるのかよく分からないけれど、仮にそんな人がいたとして、まさかお寺の庭石になっているとは思うまい(^^;)




もちろんこの化石は地元産である。表記によれば二千万年前のものとあり、さきに見た大黒岩よりも倍くらいは古い。この時代は東日本の一帯はその多くが海底で、出てくる化石も貝類が多い。

筆者はこの出所を住職さんに尋ねようと思ってきたのだが、あいにく不在のようであった。説明書には奥塩ノ湯と小太郎ヶ渕の地名がみえる。このうち奥塩ノ湯というのは範囲が広すぎて場所がピンと来ないのだが、小太郎ヶ渕はよく行くのでちょっと確かめてみよう。…あんなところに化石なんてあったっけ…という印象なのだが(^^;)




■ 小太郎ヶ渕




そんなわけで小太郎ヶ渕に向かってみる。塩釜温泉から甘湯沢を遡ることになるのだがそれほど奥地に行くというほどでもない。




ただし峠をひとつ越えていくことになるので少々のアップダウンはある。




…おお、避暑スポットであるだけに、先客が結構来ているようだな。




甘湯沢はその名のとおり甘湯温泉の脇を流れる川で、ここを遡っていくと温泉があるのだが、化石探訪とは関係がないのでとりあえずおいておくとして・・・付近の岩盤をみても、化石がびっしり…という感じはない。




自然に化石層が露頭するのは、よほど開けた砂漠や海岸でもなければほとんどが川による浸食崖ということになる。小太郎ヶ淵はほとんど一枚岩のようなところが浸食されてできた渓谷で、緑の豊かなところなので岩盤が目にみえるのは水の流れる周辺に限られる。しかしやはり簡単にはみつからない。



こんなときはひとまず休憩して、草団子でも頂きながら思案してみよう。…ということで、茶屋に寄ってみることにした。付近で化石が出るなら、普段からここにいる茶屋の中の人に聞いてみるのが手っ取り早い。




ということで凄いところに建っている休憩所に入ろうとしたところ…ん?




なんと、化石が置き石として使われている…(^^;)




というか、無造作にゴロゴロ転がっているではないか。




「これはそのへんの崖で取れるのですか」 と中の人に聞いてみたところ、店主さんの祖父にあたる方が周辺の山で拾ってきたものだという。妙雲寺にあるのはその祖父の方が寄贈したものとのお話だった。

聞けば甘湯沢のひとつ隣にある鹿股川を遡ったところに化石層の露頭があるという。場所も伺ったのだがクルマでちょいといけるような場所ではなく、歩いて2時間くらいかかるとのことだったので今回は現地探訪は断念(うーむ…軟弱な ^^;) でもいろいろ面白い情報は聞けたので、あとで自分なりに整理してみることとしよう。




さてここで名物草団子に加えておでんも頂いて小休止。午後は木の葉化石園で石割三昧の予定なので、栄養を補給しておきたい。

ちなみにこの草団子はTVの旅行番組でしばしば取り上げられるている。付近の渓谷美とあわせて絵になりやすいというのもあるが、きな粉と練り餡がたっぷり乗って生茶菓子としては結構イケていた。(その割にコーラとセットなのは、暑かったので筆者が希望したものであるw)




苔むした化石を肴に渓谷の茶店で一服…というのがここでの正当な過ごし方かどうかはよく分からないけれども(笑)、博物館のガラスケースに行儀よく収まっているばかりが化石ではない。そんなあたりまえのことを知るのには、この茶屋は面白いところかもしれない。


<後篇につづく>