2015.06.27 日本最北の城下町、松前を訪ねる:前編(その3)




■ 松前国道を行く




さてそんな訳で寄り道ツアーのタイムスリップから戻ってきた。ここままだ木古内である。まだ出発していなかったのかよ!…とツッコミがありそうだが(^^;)まあ急ぐほどのことでもないのでゆるゆると行こう。




松前までのルートはR228、通称:松前国道を行く。風速20m近い暴風雨の中で旅情なんてどこかに吹っ飛んでしまっているんじゃないの感が漂うけれども(笑)、まあそこはそれである。

ところで筆者は木古内から松前まではずっと海岸沿いを走っていけるものだとばかり思っていたのだが、そこは北海道の凄いところで、そもそも道がないことを知って驚いた。開発の進みすぎた首都圏を基準に 「海岸は基本的に道路で繋がっているものだ」 などとと思っていると、ちょっとしたカルチャーショックを受けることになる。




カルチャーショックと言えば、北海道の道路にはほとんどガードレールが無いというのもちょっとした驚きだった。クルマはみな時速100kmくらいでカッ飛ばしており、速度制限なんてほとんど意味を成していない。おお、なんというマッドマックスな世界…(´・ω・`)




しばらく行くと知内の山中に至り、福島町との境界になっているトンネルに差し掛かる。ここは福島峠といい、初期の松前藩にとってはアイヌに攻められたときの絶対防衛ラインだったところだ。いまではトンネルでほんの30秒くらいで抜けてしまう。




やがて福島町に抜け、ふたたび津軽海峡に面した道路に出た。ここからは、ずっと海岸沿いを行く。…というか、それ以外のルートは無い。

途中、珍しく本州でよく見かけるタイプのガードレールがあるな…と思ったらボコボコに痛んでいて、北海道民が日頃どんな運転をしているのかがよく理解できるオブジェとなっていた。モヒカン頭でヒャッハーな連中が近づいてきたら、なるべく関わらずにやり過ごそう(違)




■ 崖っぷち空間の一次元世界を考える




ところでこのR228を走ってみて気が付いたことがある。ここは本当に奥行きの無い一次元世界なのである。木古内や知内はまだ砂地の平地が幾分かあって、住宅くらいは立てる余裕があった。しかし函館湾から離れた途端、環境は非常に厳しいものになる。

ここは福島漁港の周辺である。海岸ぎりぎりまで崖が迫っていて、現在は近代土木の恩恵として幅10m級の舗装道路が通っているけれども、基本は岩礁地帯で近代以前には住宅を建てる余地はなかった。いま住宅が一列に並んで立っているのは道路工事に伴って埋め立てられた磯の上なのである。




近代以前にはもちろんこんな埋め立てスペースはなく、重機で崖を削って通した道路もなかった。人が住めるのは河口に生じたわずかな三角州で、隣接集落への移動はおそらく船によったのだろう。




その船も、浅い岩礁地帯であるから大型船は接岸できない。実は今でもこの付近の漁港は防波堤すら持たない古い時代の河口港の痕跡を残している。地元の人はこれを正式には "港" とは言わず、"船揚場" と呼んでいる。普段は船は陸(おか)に上げておいて、必要な時だけ造船所の進水式よろしく水に滑り込ませるのである。この港の構造は松前の風土を考えるうえで地味に重要なので覚えておきたい。




やがて人家も尽き、長いトンネル区間が現れた。近代以前には道すら通っていなかった断崖地帯である。こんな区間が4kmほども続き、松前はその向こう側にある。

※函館戦争の進軍MAPをみるとあたかもここに道路が通っていたかのような図になっていることが多いが、ここに道路が通ったのは昭和43年のことである。ではそれ以前はどこを通っていたかというと、白神岳を越えた山二つほど奥にある吉岡峠というところを越える山道があった。現在でも通ることが出来るという話もあるが、実際に確認した訳ではないのでここでは話半分くらいに触れるにとどめたい(^^;)




…それにしても、観光という切り口では松前は函館と一緒くたになって 「道南」 というカテゴリでまとめてホイ、といった感じで扱われているけれども、環境の厳しさをみればとても同列には考えられない。 函館平野でひろびろとした土地を支配していたコシャマインらアイヌ人の空間的豊かさに比べたら、和人地のまったく奥行きの無い崖っぷち感というか、余裕の無さ具合はまさに絶望的ですらある。

今から500年以上前、何のインフラも整っていなかった最初期の頃にやってきた渡党の連中は、この風景をみてどう思ったのだろう。「…さあ一旗揚げてやるぜ!」 と前向きに思えたのだとしたら、その精神的タフさには驚くしかない。



 

■ 白神岬




トンネル地帯を通過していくと、やがて行政上の松前町のテリトリーに入り、白神岬を経由する。この岬は北海道の最南端となるところだ。筆者も、せっかくなので立ち寄ってみた。




・・・といっても、波しぶきのかかりそうな展望台は叩きつける雨の中で水没しており、ロマンのようなものは感じられず(^^;) 一方で1トン以上はあるはずのクルマは風でぐわんぐわんと揺れて、ちょっとヤバイんじゃないの感すら漂う。




本来なら向こう側に下北半島と津軽半島があって、対馬海流の最後の尻尾みたいな黒い帯が見えたはずなのだが…本当にもう、今回はスペクタクル感満載だな… ( ̄▽ ̄;)




岬を回りこんで松前湾側の展望台(実はもうひとつ展望台がある)に来ると、岬で風がブロックされるためかクルマから降りられる程度の状態になった。雨は降り続いているけれども、なんとか海岸に寄って写真くらいは撮れそうだ。

海岸線は、まだまだ岩礁地帯が続いている。岬を回りこんでも地形の基本基調はまったく変わらない。そしてこれが、松前の城下…どころかそのずっと向こう、江差付近まで続いていくのである。


<つづく>