2016.02.06 湯西川温泉かまくら祭り(その2)




■ 湯西川温泉




さて湯西川水の郷を出た後は、いよいよ湯西川温泉街のある湯平盆地に入る。現在では観光開発が進んで温泉街も随分と細長くなってしまっているけれど、元々は慈光寺から平家集落にかけての小ぢんまりとしたエリアが中心街であったらしい。




さてその温泉街だが…とにかく道が狭くてクルマを停める場所がないのでいったんスルー。ここは駐車場があってもみな旅館の宿泊客用なので、日帰り客にはあまり居場所がない。以前は雪祭り目当ての観光客はずっと手前の小学校の校庭に誘導されていた。




では筆者はどこに向かってるかと言うと、古民家テーマパークである "平家の里" なのである。ここは水の郷が出来る以前は湯西川で最大の観光施設で、整備されたのが市町村合併以前の栗山村の時代であったので手狭ではあるのだが、一般車両の駐車できるスペースがある。




冬の観光シーズンなのでクルマは一杯だったのだが、ちょうど一台抜けてくれたのでその隙間に入り込んだ。




このとき筆者は始めてアラウンドモニターを使ってみた。…こりゃ便利だねぇ。



 

■ 平家の里で琵琶演奏を聴く




さてそれでは平家の里に入ってみよう。ここは旧栗山村で民家が近代住宅に建て替わっていった昭和の末期に、失われていく村の面影を残そうと茅葺の古民家を移築してつくられたテーマパークである。現在では最後まで茅葺屋根で頑張っていた平家集落も瓦屋根に変わってしまったので、ここに残されている建物が旧来の湯西川のほとんど最後のモニュメントになっている。




受付で 「そろそろ琵琶の生演奏が始まりますよ」 と聞いたのでそそくさと入場(^^;) ちょうど平家物語の弾き語りをやっているらしい。これは聞いておかねば。




そんな訳で途中経路はするするスルー♪  いつもの年なら雪に埋もれるように点在している古民家は暖冬のおかげで春先のような風情になっている。しかしまあ雪国のテイストはそれなりに感じられるので良しとしよう。




ここはかまくら祭りのメイン会場になっているので、即席のかまくらがボコボコ並んでいる。内部では観光客がバーベキュー(要予約)に舌鼓を打っており、内部を覗くことができるのはお食事タイム+片づけが終了する午後3時以降を待つしかない。しかしここもするするスルー♪




琵琶演奏はこの一番奥の建物で行われているらしい。さっそく入ってみよう。



 

■ 琵琶の弾き語りを拝聴する




さて普段は立ち入り禁止の座敷なのだが今日は特別に一般開放されていた。筆者は最近新聞を読まないので気が付かなかったけれど、下野新聞で湯西川かまくら祭りの記事が載り、そこで琵琶演奏の紹介があったので聞きに来たという人が結構いた。筆者のようにたまたまふらりとやってきただけ…という不心得者は少数派であるらしい。いやはや(^^;)




やがて定刻になり琵琶奏者の方が登場した。湯西川温泉のイベントではたびたびお目にかかる桜井亜木子さんという方で、平家に関する催事では平桜子(たいらのさくらこ)を名乗ることもある。普段は琵琶教室の師範をされていて、各種演奏会やイベントでライブ活動中心に活躍されているそうだ。



これが琵琶である。元々は中国渡来の楽器だが、日本で改良が進みいくらか種類が増えている。彼女の奏でるのは薩摩琵琶で、バチが大きめで迫力のある演奏ができ、軍記物の弾き語りや武家に好まれたという。

本日の演目は、平家物語から熊谷次郎直実が一の谷で平敦盛を討った段と、壇ノ浦で二位尼と安徳帝が入水する段であった。いずれも名場面である。




ベベベン…と演奏が始まると、ピンと空気が張り詰める。至近距離で聞く生演奏はやはりいい。

琵琶は単に楽器と言うだけではなく、波の音や戦闘の効果音などもこれ一本ですべて表現する。単なるギターの和楽器バージョンだと思っている人がいたら認識を新たにした方がよいのではないだろうか。長く弾き語りに使われてきただけあって、その表現は実に多彩だ。




さて弾き語りの内容を説明し始めるとこれまたえらく長くなってしまうのでダイジェストだけ(笑)

熊谷次郎直実は埼玉県熊谷市の出身で源平合戦では源義経に従い一ノ谷の鵯越えの第一陣として突撃した武者である。背後から急襲されて沖合に逃げようとする平家の武将にむかって 「勝負せよ」 と呼び止め、それに応えて引き返したのが平家の若武者、平敦盛だった。熊谷直実は敦盛を組み伏せて首を取ろうとするが、顔をみるとわが子と同じくらいの少年であったので驚く。助けてやろうと思った直実であったが既に源氏方の武将が追いついてきたので、他の者の手に掛けるよりはと泣く泣く首をとるというシーンだ。




続いて壇ノ浦の戦いの場面。源氏側の攻撃で次々と討たれていく平家の船団。やはて敗色濃厚となり、幼帝:安徳天皇(享年6歳)とその母:建礼門院平徳子(二位尼)は源氏に捕らえられるよりはと船上から入水を遂げる。入水の直前 「どこへ行くのか」 と尋ねる安徳帝に、建礼門院が 「波の下にも都がございます」 と応えるシーンだ。

のちに "耳なし芳一" (小泉八雲版以前に臥遊奇談(一夕散人:天明二年(1782))がある)で平家の武者の亡霊が聞き入ったとされるのがこのくだりで、芳一のいたとされる阿弥陀時(山口県下関市)は安徳帝の菩提寺である。現在では阿弥陀寺は明治の神仏分離令により赤間神宮となっており、この平家の里の一番奥まったところにある赤間神宮は、そこから分祀された安徳帝の御霊が鎮座している。天皇陵の分祀が認められた事例としてはここ以外に筆者はその存在を知らない。単なる神社だと思っている人は結構多いのだけれど、そのステータスは実はとても高いのである。



さてこれ以外にもおまけとして菅原道真の和歌の弾き語りがいくらかあり、さらには琵琶についての解説も聞けたりして実に文化的なひとときを過ごすことが出来た。

最近ではよく動画投稿サイトにステージ上で演奏される琵琶の弾き語りのムービーが上がっていたりするけれども、琵琶の音色はコンサートホールのような反響のある巨大空間は似合わない。あくまでも大きすぎない和室で、会話ができるくらいの距離感で聞くのがちょうどいいと思う。




■ かまくらと水神様




琵琶で文化的な気分になったところで小休憩。今回はあまり事前に準備をしないまま出てきているので改めて祭りのパンフレットに目を通して見る。本日のハイライトは夜の雪洞点灯なのでそのあたりを一応チェックしておこう。




湯西川のチェックポイントは水の郷から沢口河川敷まで広がっており、3kmほどにも及ぶ。その分やや密度が薄くなった感はあるけれど、まあ慈光寺〜平家の里〜沢口の1kmくらいのエリアが見どころが集中して鉄板といえる。観光パンフレットに夜景が載っているのは沢口の河川敷なのでそこをメインに考えておこう。




休憩をしている間に、かまくら内部の清掃が終わって入れるようになった。どれ中に入って岩窟の修行僧の気分にでもなってみようか(なんだそりゃ)。



それはともかく内部はこんな感じである。本来は七輪を置いて餅を焼いたりするものなのだが、ここでは観光客仕様でガスコンロになっていた。…まあこれは時代的に仕方がないか(笑)

奥まったところに紙垂(しで)が飾ってあるのは神様を祀る意味がある。雪でつくる "かまくら" は発祥が400年ほど昔の秋田なのだそうで、農村に恵みをもたらす水神信仰とむすびついている。もとは小正月の行事だったというから歳徳神とも関係があるかもしれない。ここで子供たちが餅を焼いたり甘酒を飲んだりして楽しみ、そこにやってきた大人たちは一口ご馳走を頂いては神様にお賽銭(という名目の子供たちへのお小遣い)を渡すという、そんな行事であったらしい。




現在日本各地で造られているかまくらは、とりあえず雪があるからつくってみるべぇ的な安直さに満ち溢れていて、こういう民俗行事とは切り離されてしまった。湯西川のかまくらも、まあ観光資源としてして始まっていて土着信仰的な要素はあまりなさそうである。




しかしそれでもちゃんと神様の居場所が造られているというのは、やはり日本文化圏ならではの特色のように思われる。時代や場所が変わっても、こういうところは知らず知らずのうちにちゃんと受け継がれている訳だな。


<つづく>