2016.05.17 震災の熊本城を歩く(その3)




■ 奉行丸前




さて階段を上りきると奉行丸と呼ばれる区画の手前に出る。しかしここから先は石垣が崩れていて立ち入り禁止である。




ということでここは転進するしかない。一般客が入っていけるのはこの先、二の丸方面だけである。




途中、奉行丸の東端にひときわ高い石垣と櫓があった。城彩苑から見えていたのがこれで、正式名称は未申櫓というらしい。これだけ急角度で高く積み上げられた石垣なのに崩壊していないのは、やはり隅石が高精度にきっちりと積まれているためだろう。




ただよく見ると石垣には若干の緩みも見え、震度6クラスの余震がもうあと数回来たらここも危なかったかもしれない。




ところで屋根の部分をアップで見てみると、櫓の屋根が崩壊しなかった理由の一端が伺えた。屋根全体の瓦は漆喰(しっくい)で念入りに固められており、さらに釘でガッツリと打ちつけられている。民家の屋根よりもよほどしっかりと作られていて、見事なものだ。




その櫓を回り込んでいくと…やや、すぐ後ろ側の石垣が崩壊しているな。




望遠300mmで拡大するとこんな崩れ方だった。手前は櫓の足の部分で、角に置かれた隅石が頑張って持ちこたえた様子がみえる。奥の崩壊した部分は隅石構造がなく、のっぺりとした石垣がかなりの急角度で積まれていたので、ついに崩壊してしまったようだ。




■ 二の丸公園




さらに進んで二の丸公園に入ってみる。




ここは大型駐車場になっていて、巡回バスの停留所にもなっている。公衆トイレと売店らしい建物が見えるが、屋根が壊れて閉鎖中であった。




この屋根の壊れ方は、熊本の瓦屋根の崩壊パターンを考察する際にとても有用なヒントをくれる。東日本大震災でもそうであったけれども、瓦屋根は一番高いところ=棟(むね)の延(の)し瓦とかがんぶりと呼ばれる部分から壊れることが多い。ここは互いに重なりながら並んでいる屋根瓦をその頂点で押さえているところで、一般に建物は高いところほど大きく揺れるのでここがまず崩れてしまうらしい。




壊れた部分を拡大してみると、城の櫓よりもかなり簡易な構造になっていることがわかる。粘りのある漆喰はお化粧程度にほんのちょこっと乗っているだけで、大部分の瓦は粘土とサンドイッチ状に重なっているのみ。この粘土は "葺き土" といって、瓦は接着剤や釘で止まっているわけではなくこの土の上に載っているだけだ。

実は一般の民家の瓦屋根も同じ構造になっている。といっても手抜き工事という訳ではなく、安上がりに仕上げるための仕様上の工夫(…と、瓦屋さんは主張する)である。この頂上部分の強度差が、今回の地震で屋根の被害の大小ととして表れているように筆者には思えた。

※東京圏では関東大震災(大正12年)で瓦屋根の破損が相次いだことから、ツメと釘穴のついた引掛瓦を使う工法が普及している。しかし西日本では旧来の土葺き工法のまま変わらず、阪神大震災(平成7年)以降は徐々に固定方法の強化が図られているものの、主流はいまだに旧来式のままであるらしい。

※ついでに言うと、阪神大震災以降、建築基準法が改正(2000年6月)されて屋根だけではなく全体的に耐震構造化の水準が高くなった。今回の地震で倒壊した建物の多くは築50年以上の古い建物だそうで、高度経済成長期以前のものが多い。




さて駐車場を超えて奥に入ると、広々とした芝生空間があった。ここが二の丸跡で、現在は建物は残っていない。一般人が入れるのは残念ながらここまでとなる。




広場からは大天守(右)、小天守(中)、宇土櫓(右)の3点セットが見渡せる。手前の石垣の長塀は薄壁に重い瓦屋根が乗っていてパタリと倒れてしまっているが、天守や櫓はほぼ原形を留めている。TVや新聞で崩壊が著しいとさかんに取り上げられているのは大天守(写真右)だが、瓦は破損しているものの建物自体が大きく損傷しているようには見えなかった。

ちなみに大天守、小天守のオリジナルは西南戦争で焼け落ちていて、現在の建物は昭和30年代に鉄筋コンクリートで再現されたレプリカだ。創建当時のまま残っているのは写真左の宇土櫓だが、なんと400年前の木造建築の方が被害が少ないという興味深い状況となっている。




その宇土櫓をアップで見てみよう。激しい揺れをうけて引き戸が外れていたりはするものの、木造ゆえのしなやかな構造のおかげか目立った損傷は見られない。屋根部分にはしっかりと瓦を留める工夫がされている。棟瓦は太い金具と針金で補強されていて、その他の部分も漆喰と釘で念入りに固定されている。ちゃんと補強さえしておけば、重い瓦屋根でもそう簡単には崩壊しないらしい。




小天守も基本的に瓦の固定はしっかりできている。ただ最上部の棟部分は崩れかけていて、鯱(しゃちほこ)が傾いていた。もう少し余震が続いていたら、ちょっと危なかったかもしれない。




一方で瓦の損壊の大きかった大天守では、頂上の棟瓦と鯱が消失していた。素人目線であまり断定的なことを書くわけにもいかず、感想みたいな物言いになるけれども、ここは建物が一番高いということもあって、最上部のメンテナンスが行き届いていなかった可能性は…まあ、あるかもしれない。

だとすれば、固定の甘さから棟瓦が真っ先に崩れて、重い鯱(しゃちほこ)と共に落下し、周囲の瓦を巻き込んで破壊しながら転げおちていったのではないか。…そんな印象を、筆者は持ってみた。大天守の中層以下の瓦は比較的きれいな状態なので、頂上付近の崩壊さえ防ぐことが出来たら随分と状況は改善されていたように思う。

まあいずれにしても、壊れてしまったものは仕方がない。瓦を葺き直したら、以降は再発防止策に万全を期してほしいところだな…(´・ω・`)




そんな熊本城ではあるけれども、公園を散策する人々はのんびりしたもので、激甚災害指定を受けていることが嘘みたいな平和な風景であった。 …何なのだろう、このギャップは。


<つづく>