2008.10.04 姥ヶ平 (その2)







姥ヶ平を見下ろすと、やはり一面の赤。今年の那須は大当たりだな・・




既に先客はたくさん降りているようだ。




牛ヶ首からどの程度写るものだろう…と、縮尺1:1で中央部分だけトリミングで抜き出してみた。
おお、さすがは12M pixcel…かなりはっきりと個人が識別できる。




朝日がだんだん高くなってきて、尾根の西側にも差しはじめた。




鮮やかだなぁ…ヽ(´∀`)ノ




さて、では降りてみよう。




前項でも説明したが牛ヶ首と姥ヶ平の位置関係はこんなカンジである。秋から冬にかけての季節風は主にMapの左手前→右奥に吹き、姥ヶ平はちょうど吹き溜まりのような位置になっている。この風と地形が、周辺地域で最も早い秋と遅い残雪を生むのである。




しばらく降りて振り返ると、噴気孔がイイカンジで視界に入ってくる。紅葉樹林帯〜ハイマツ帯〜地衣類帯〜砂礫帯が非常に狭い範囲で遷移している植物相の見本市のような場所である。噴火で焼き尽くされてはまた再生する輪廻の地相ともいえる。




足元には、ここにもささやかな一刺しの赤。こんなに小さくてもちゃんと紅葉しているんだなぁ…(´・ω・`)



向こう側に見える流石山〜大倉山の稜線下も紅葉でうっすらと染まりつつあるのが見える。まだ向こう側は若干見頃には早いかもしれない。




さてそんな訳で砂礫の広場に降りてきた。

標識こそ建っているけれど、ここは人間が整地したわけではなく荒天時に周囲の斜面を流れ下る沢水が作り出した臨時の "遊水池" である(普段は水は地下に浸透)。樹林の中にぽっかりと開いた空間は、視界を邪魔するものがないため格好のビューポイントとなっている。




そのビューポイントから見るこの時期の定番の構図 ヽ(・∀・)ノ やはりコレを見ないと那須の紅葉は始まらない。

会津中街道が健在であった江戸時代後期は、那須(白湯山)といえばこちら側の斜面が表の顔だった。明治維新以降、会津の没落によって交通の要衝は国道4号線(奥羽街道)側に移り、そのまま表裏が逆転して現在に至っている。このあたりの事情は項を改めてどこかで特集してみたいけれど、長くなるのでここではカットしておこう。




姥ヶ平付近は広葉樹が多く鮮やかさが映えるが、ひょうたん池方面に移動するとハイマツの割合が増えてくる。明治時代の噴火で立ち枯れた木々も混在し、また表情が違ってくる。



さていつもならここからハイマツ原を横断していくところだけれど、微かに残っていた踏み跡が今年はかなり強固な藪になっていて、どうしても越えられない。しばらく粘ってみたが距離にしてわずか50mばかりの難所を抜けるルートが見出せず、やむなく牛ヶ首方面に戻ることにした。うーん…残念 orz




・・・といっても、まったく同じ道ではつまらないので降りてきたコースの一本隣の沢筋を登ることにする。




色づきはやはりイイカンジだな…ヽ(´∀`)ノ




一見、人の踏み跡のように見えるのだけれど、この道のようなものは枯れ沢である。雨が降ったときだけ出現する臨時の沢筋で、人はその自然の砂礫の道筋を借用しているに過ぎない。




途中から、本道に復帰。日のあたり方が良くなってきたせいか、まるで極楽のような色づきの木々が見られる。総合的に見て、今年は大当たり判定して良さそうな感じだな♪

<つづく>