■2005.10.13 那須山頂で紅葉はじまる (その2)




■ 巻き道を行く




山頂駅からは、茶臼岳を巻いていく。起伏は少ないので歩きやすいコースだ。




この付近は、ロープウェイができるまでは殆ど人の往来のないところだった。だから地名がない。名無しの、荒涼とした砂礫の斜面が、延々と続いている。




もう高山植物帯なので背の高い樹木はない。見上げると茶臼の溶岩ドームが見える。




那須の山々の歴史は室町時代以前については霧の彼方にある。山麓の殺生石(湯元温泉)は古くから知られていたものの、そこから奥が開発されることは長いことなかった。




時代が遥かに下り、江戸時代になって湯元よりも山奥にぽつぽつと新温泉が発見され、山岳修験者がじわりと侵入してからは信仰登山がおこなわれるようになったが、湯元から牛ヶ首に伸びる行人道と三斗小屋方面が主要なフィールドで、茶臼岳の東麓側は捨て置かれた。理由は、単純に傾斜がきつくて登りにくいからだったにちがいない。




お蔭でいま、こんな手つかずの亜高山帯が残っているわけで、硫黄鉱山として人為的に採掘されまくった西麗とはずいぶん趣が異なっている。ひとまず筆者的には、この風景に名無ヶ原とでも名付けておこうかな(笑)




■ 進出する落葉広葉樹




さてよくみると、ところどころに低木の紅葉がちらほらと見えた。これらはツツジの仲間で、高山植物が繋ぎ止めたわずかな表土を拠り所に進出してきた、落葉広葉樹の先兵みたいな連中である。これが平地ではなかなか見られないタイプの紅葉をみせている。




そんな先兵の様子を、登山道の途中でカメラマン達がじっと見ていた。




彼らの視線の先は、森林限界ぎりぎりの稜線に広がる紅葉だ。何十年もかけて少しずつ登ってくる落葉広葉樹の前線が、この季節になると赤い帯となってみえてくる。




後に続く本隊は、それは見事な赤色の軍団になっている。まるで武田の赤備えみたいだ。




もう少し登山道をすすんで撮影。




行人道が合流してくるあたりで、赤い木々と巻き道が交錯する。樹林帯の上限ぎりぎりなので、木の高さは1〜2mくらいしかない。しかしこれらは決して若木ではない。気候が厳しいために成長することができないだけで、みな結構な老木だったりする。




そうこうしているうちに、牛ヶ首に到着した。…が、見ればすっかり枯れ草色。うむむ。

<続く>