■2005.11.19 晩秋の奥州街道を行く(その2)






道の駅のすぐちかくに那須神社がある。



那須与一の故事(屋島の合戦における戦勝祈願成就)によるものか、ここは旧日本軍とも関係した碑をみることができる。軍馬慰霊碑は陸軍、また起源2600年に合わせて参道入口に建てられた記念碑題字は海軍大将有馬良橘(明治神宮宮司でもあった)によるものだ。戦後、会津では白虎隊の慰霊碑が進駐してきた米軍に削り取られたりしたことがあったが、ここは目立たない立地のおかげかその種の破壊行為からは免れている。ところでそこの朝日新聞の関係者、お前らはとりあえずここには近寄るな(爆)



それはともかく、参道は古色蒼然としてとても静かだ。



「八幡宮」の額のかかった楼門。那須周辺の神社には珍しい?唐風の造りとなっている。楼門の建築当時は仁王像があったようだが現在では失われ、奥にあった随神像が見えている。



こちらが本殿。質素というより殺風景に近いかもしれないが、それでも創建は1577年の天正年間。信長の頃の時代である。銅版葺きだった筈の屋根も現在ではトタン葺きになっていたりして微妙に寂しい。創建当時は朱と漆と金箔で装飾された壮麗なものだったようだ。



那須与一ゆかりだけあって弓が備えられている。御神体は鏡のようだ。



蕎麦でまったりタイムを過ごしてしまったため、もう西日が傾いてきている。少し先を急ごう。



奥州街道の本筋はこの先はR294とほぼ重なる。伊王野に向かって黒羽の市街地を抜けていく。



そして伊王野。ここにも道の駅があるがもう蕎麦はいいので霞ヶ城跡に立ち寄った。ここは鎌倉時代に那須家から分家した伊王野氏が居城を構えたところである。



といっても現在は山の上に土塁が残る程度で、なにか施設が残っているわけではない。



クルマで上まで上れるので行き止まりまで行ってみた。紅葉は盛りを過ぎたのか、赤や黄の色はあるもののなかば茶色にくすんでいる。まさに気分は晩秋だ。


<つづく>