2006.06.24 埼玉飛行場跡地を行く(その2)




■構造物の遺構など




さて↑これは記念碑の見取り図に方角を合わせて現在の本部付近を見取り図にしたもの。衛星写真から起こしたものなので田畑と家屋位置はほぼ正確だ。本当は写真を重ねたいのだけれど著作権の関係で略図にせざるを得ないのが残念だ。




これに記念碑の見取り図を参考に当時の施設位置を重ねてみると↑こうなる。講堂付近は道路が消失しているので農地の土手の繋がり方から想像して配置した。建物サイズの情報はないので大雑把なものだが、まあ詳細は戦史を扱っているサイトにでもお任せすることにして、ここは雰囲気を楽しむくらいの意気込みでいこう。




さてここが飛行場の正門跡である。門柱などは残っていないが、当時の飛行場の正門から奥に進むメイン通路は現在でも主要な幹線道路として立派に機能を果たしている。門だと思ってみれば、たしかに大規模施設の門にみえてくるから不思議だ。ちなみに守衛所は現在は小学校のプールになっている。




飛行所の司令部(記念碑では本部と記述)は埼玉小学校のグラウンドになっており、兵舎跡には校舎が建てられている。誰の発案かはわからないが、本部跡を学校にしたのは正解だと思う。宅地や農地にしてしまうと後世に痕跡が残らないが、学校にすればそれは一種のモニュメントとなるからだ。




下士官食堂付近は団地になってしまっており当時の面影はない。ただしすぐ隣には建物の痕跡が残っていた。




これがその痕跡。道路との位置関係からみて落下傘講堂ではないかと思われる。生垣の向こうは民家になってしまっており、ここは駐車場代わりに使われている。整地がいい加減?だったことが幸いして礎石部が残存したようだ。




礎石の西側に、一部コンクリートの床面が残っている。こちら側が入り口だったようにみえるが、確信まではもてない。ちなみに奥がわの草地は昨年までは雑木林だったが、地主氏の相続税関係の事情で伐採され更地として売りに出されている。新たに建物ができるような事態になれば、残っている礎石も撤去されてしまう恐れもありそうだ。残念ながらこれを 「残そう」 という機運は全然地元にはない。




飛行場内のメインストリートから第2格納庫(奥の草地)方面を望む。格納庫跡地付近は地面が突き固められて掘り起こしにくいせいか、戦後も耕作地にはならなかった。最近になってラーメン屋(奥側)が建ったが、基本的にずーっと空き地のままで、小学校で運動会などがあるときに臨時の駐車場になるくらいである。




その手前の杉林のなかに、構造物の痕跡を発見した。直径7〜8mほどの円形のコンクリート礎石である。




記念碑の見取り図では何も書いていない部分だが、ロータリーか池の跡のようにみえる。土面の高さは内側のほうが高いので、盛り土をして花壇にでもしていたのかも知れない。そうなるとロータリーっぽいな・・・


<つづく>