2006.06.24 埼玉飛行場跡地を行く(その3)




■コンクリート床面など




さてここは埼玉小学校と黒磯南高校の中間地点。ちょうど第一格納庫のあった付近である。ここはコンクリートの床面が比較的良好に残っている。知らない人が見るとただの 「手入れの良くない駐車場」 にしか見えないかもしれないが、ここは正真正銘の飛行場時代の床面である。




床面は50〜60m四方ほどを残してその先はコンクリートが剥がされ、牧草地となっていた。




道路を挟んで東側、器材庫のあったであろう付近は杉が植林されているが、その中になにやらコンクリートの構造物が見える。さてなんだろう。




ときどき枝打ちくらいはしているようだけど基本的に放置のようなので、ちょっと失敬して足を踏み入れてみた。ずいぶん土をかぶってしまって草ぼうぼうだが、ここもコンクリート床である。




謎の構造物は、アンカーボルトでなにか重量物を支えていたかのような形状だ。これが10基くらいならんでいる。屋根を支えていたのかクレーンでも取り付いていたのか、建築には疎いのでにわかには結論づけるのは難しい。




こちらも何かを載せていたような礎石(台座?)だ。なんだろう。




これはクレーン類のような重量物ではなく、普通の建物の礎石のようだ。これ以上は藪の中なので確認するのは諦めた。




目に見える範囲を 「ふーん」 と見渡した程度ではあるが、↑こんな位置関係で飛行場時代のものと思われる痕跡があることがわかった。器材庫?付近の藪の中を発掘すればもっといろいろ出てくるかもしれないが、人様の土地なのでこれ以上何かを物色するのは控えておこう(^^;)



 

■滑走路後を歩いてみる




本部付近から今度は滑走路方面を見てみようと思い、清掃センターを目指した。ここは飛行場時代には貯水池になっており、官有地であったことから清掃センター建設の候補地となったらしい。現在では貯水池は埋立てられている。




その清掃センターの前に、50m間隔で2本の道が平行して走っている。ここが滑走路の跡である。




滑走路の位置を地図で示すとこうなる。飛行場跡地は一辺が200mの正方形の区画にわけて道路が通されたが、滑走路(幅53m)の部分だけはその左右端が道路となったという。




現在では滑走路は雑木林もしくは住宅地になっている。地盤が固いせいか田や畑には使われていない。




これは滑走路上につくられた墓地(!)。ここに眠るホトケさまたちは、自分の墓の置かれた場所を知ってか知らずか…うーん(^^;)




それにしても、かつての飛行場もわずか半世紀で草木に埋もれてしまうとは、樹木の生命力のなんと旺盛なことか。




そして今では、樹木の勢いをはるかに超える速度で宅地化の波が押し寄せている。かつての飛行場はこうして住宅街の海に沈んでいき・・・やがて、どうなっていくのだろう。そんなことをふと思った休日だった ヽ(・ω・)ノ


<おしまい>