2007.04.30 那須疏水を尋ねる(その3)




■熊川サイフォン




さて那須東原を潤してきた那須疏水に、箕輪付近で障害物が立ちふさがる。水無し川の 「熊川」 である。川幅はおよそ25m、普段は伏流し降雨の激しいときのみ表層を水が流れる、那須野の水不足を象徴する川でもある。




那須疏水は、この熊川の下をサイフォンの原理でくぐりぬけている。サイフォンとは、理科の実験でならう、あのサイフォンである。液体で満たした導管で二つの水槽を結ぶと、どちらの水面も1気圧の大気圧で水面が押されるので圧力がつりあうように同じ水面水準にになろうとする。この原理を応用して川床に用水を通す工法は江戸時代の初期頃までさかのぼるらしい。ローマ水道のように 「空中を通してしまえ!」 という方向に行かなかったのは、日本人の民族性だろうか(笑)




川床をくぐって、反対側のサイフォン出口。湧き上がる水に押されているのか、壁際にゴミが溜まっているのがちょっと美観を損ねるな・・・( ̄▽ ̄)。とはいえゴミの中身は木の葉や農業用発泡スチロールの破片などで、都市河川でよくあるような自転車やビール瓶などが沈んでいるなどということは無い。

ちなみに那須疏水沿線では、ゴミや生活排水を疏水に流すのは固く禁じられている。この地に入植した人々にとっては、水=命である。それは那須疏水を横切る排水路の構造にもよくあらわれている。




たとえば、旧高林街道の水路はこのように那須疏水をまたいで下流側に流され、混入しないようになっている。

※補足:後日調べたらここは旧巻川用水と那須疏水の立体交差の可能性がありそうです・・・むむむ(大汗 ^^;)




少し進んで箕輪橋。道路排水すら疏水には流さず、区別している。




そんな工夫のうえに、那須疏水の水質は維持されているのである。




■洞島




蛇尾川にほどちかい洞島付近までやってきた。ちょっと大き目の分水路がある。はてこんなの水路図にあったっけ?




水路は乾ききり、使われている形跡はない。分水路の計画はしたものの入植放棄・・・というような感じだな。まああまり余計な詮索はしないでおこう(^^;)


 

■蛇尾川サイフォンを越える




さてそろそろ蛇尾川サイフォンがあるはずなんだけれど・・・




蛇尾川サイフォンの入り口を探すつもりだったが、堰堤工事につき那須疏水沿いの道路は途中から通行止めになっていた。新緑はきれいなんだけれど、迂回路を探すのにちょっと困ったぞ。




ウロウロしているうちに、残雪の大倉山をバックにこんなマターリした景色をみつけた。結構近所のはずなのに、視界の通る良ポイントを見逃しているものだなぁ・・・




そうこうしているうちに、渡河ポイントに出た。うーむ。




そんなわけでいよいよ蛇尾川である。ここは水無し川なので橋などという洒落たものは無い。直接河原を走って渡るのである。川幅はおよそ250mほど。那須疏水は、この熊川のざっと10倍の川幅をやはりサイフォンでくぐりぬけている。




ためしに河原をX-Trailで爆走し、工事事務所脇の土手を徒歩で越えると、蛇尾川サイフォンの入り口がみつかった。基本構造は熊川サイフォン同じだ。




渡河した先でぐるりと林を回りこみ、湧き上がるサイフォン出口を見ることができた。周囲にゴミが散見されるが、まあこれは管理作業者が引き揚げたものっぽいので 「美観上、さっさと片付けてちょうだい」 と念じつつスルーしておこう(^^;)。

湧き上がる水の勢いはドォォ・・・という感じで力強い。大気圧は偉大だなぁ。




ちなみにこれが明治時代のオリジナルのサイフォン跡である。現在のサイフォンの30mほど横に残っており、みると切石でホームベース型の導水路断面を形成したらしい。なかば土と落ち葉に埋まっているが、湧き出し口は現在と同じように四角い遊水プールになっていたようだ。

案内板によるとここのサイフォン構造の工事は 「トンネルを抜いた」 のではなくて、河原に深い溝を掘ってそこに石を積み、最後に埋め戻すという工法だったらしい。大水の後などは川床が削られてサイフォン導路が露出するようなこともあって、維持管理もなかなか大変だったようだ。




ところでサイフォン出口からほどちかいところに分譲地のような一角があった。案内板の水に関する記述にはちょっと注目したい。「水の供給無し」・・・いまだに那須野にはこんなところがあるんだなぁ。




そんな土地に滔々と流れゆく那須疏水。・・・いよいよ、ここから先は那須西原である。


<つづく>