2008.05.18 金精峠に道鏡の巨根伝説を追う:下野編1 (その3)




■鶏頂山神社(子安神社)




さて川治温泉の旧集落(金精神のある付近)から川をはさんで南側の一帯は "高原" と呼ばれている。現在ではむしろこちらが温泉街としては賑わっているような感があるが、ここは山を降りた高原宿の住民が移り住んだ一角である。彼らは集落の裏山に、かつての村社であった鶏頂山神社(里宮)を建立した。ここにも金精神の痕跡を見ることができる。




それにしてもクルマで入っていくには非常に勇気の要る道幅だな…(^^;) ひとまず中腹にある公民館のあたりでクルマを降りて、後は歩いて上っていくことにした。




この付近は川治平方山園地と称するらしい。




しばらく登っていくと、鶏頂山神社の鳥居が見えてくる。かなり無理な斜面に頑張って立てた感があるな…( ̄▽ ̄)




これが鶏頂山神社の本殿である。急斜面に造られているせいか拝殿はない。

鶏頂山神社は由緒書きによれば神亀三年(726年)の創建とある。鶏頂山そのものの開山は1700年前とされており、額面どおりなら弥生時代であって、大和朝廷の勢力がまだ及んでいない頃ということになる。日光開山=782年と比べてもこちらのほうがざっと500年ほども古い。なるほどこれは霊峰だな。




鶏頂山の頂上には記紀神話に登場する猿田彦が道祖神として祀られている。天孫降臨の折、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を日向の高千穂まで道案内したのが国津神である猿田彦であった。このことから猿田彦には道を司る神=道祖神の性格が与えられている。その風貌は日本書紀によると "鼻長八咫背長七尺" とされ、鼻の長い天狗の姿の原型ともいわれている。温泉地で金精神の代わりに天狗像が置いてあったりするのは、こんな繋がりがあってのことかもしれない。




さて本稿のテーマである金精神はというと、同じ敷地内に鎮座する子安神社(こやすじんじゃ)にその痕跡が見られる。子安神社は子宝祈願/安産/子育ての神社として全国に見られる神社である。 興味深いのは、道祖神というカテゴリでみるとオーバーラップしてもよさそうな金精神と猿田彦が、ここでは習合しきらずに二社並立となっていることだろう。力関係からみれば山そのものが御神体である鶏頂山神社の神威が強すぎて、路傍の道祖神=金精神が従となり、互いにアイデンティティを壊さない範疇で共存した…といったところだろうか。




しかしそのアイデンティティもここでは微妙に変革しつつあるようで、子安神社側では静かな革命が進行していた。なんと本来の御神体が、本殿の脇に追いやられていたのである。


代わりに現在、御神体の地位にあるのは幼い子供を抱いた木彫りの人型像なのであった。顔が隠れてしまって見えないが、おそらくは子安観音と思われる。

…ここに見えるのは、男根型から人型へと変貌していく途上の道祖神の姿なのだろう。"淫祠廃止" の嵐をかいくぐって平成の世まで生き残った金精神がまたひとつ姿を消していくその過程を、いま我々は見ているのかもしれない。



・・・と、感傷に浸りながら周囲をみてみると、おお、そこには社殿にこそ収まっていないが、にょっきりと独立した金精神の雄姿があるではないかヽ(@▽@)ノ ひとつだけでは無かったんだなぁ。



もうひとつ、さらに立派な金精様が・・・ヽ(@▽@)ノ うっかりしていると気がつかないのだけれど、探せばあるものなんだなぁ…w




とりあえず、世代交代の波にさらされてはいるものの…ここの金精神はまだしばらくは生き続けてくれるのではないかと前向きに考えてみることにした。がんばれ金精様!




■日向




さてここから南=鬼怒川温泉と西=川俣温泉のどちらを目指すか少々考えて、西=川俣方面に向かうことにした。鬼怒川温泉にはかなり妖しい系の "秘法館" があるのだけれど、今回の一連のシリーズは割と真面目に金精神を追いかけているつもりなので、ショーアップされた見世物はカットしておこう。




川治からr23を西行すると、山また山の景色のなかに日向(ひなた)と日蔭(ひかげ)という集落が現れる。日当たりの加減がそのまま地名になったような素朴な山村である。




おそらく唯一の小学校だったであろう日向小学校は、廃校になっていた。…これも少子化という時代の流れなのかな。




その向かい側にあるのが、子安地蔵尊である。名称からみて、ここもかつては金精神を祀っていたように思われるが…現在ではどうなっているのだろう。




失礼して中を覗いてみると、さきほど見た子安神社の行く末を案じさせるような光景だった。かつて金精神だったであろう御神体は、すっかり地蔵尊に置き換わっている。民間信仰では往々にしてこういうことが起こる。金精神を追いかけている身としては残念だが、まあこれも地元の人の決めたことなのでとやかく言う筋合いのものではない。

一体だけ、右から2番目の石仏が少々趣が異なるが、これは地蔵菩薩ではなく如意輪観音のようだ。十九夜講といって月例19の月の夜に女性が集まって深夜まで語らう風習(庚申講の女性版)があるが、如意輪観音はその守り本尊だ。安産祈願の対象でもあったそうだから、多少の拡大解釈が許されるなら、この如意輪観音がかつての金精神の性格を受け継いでいるともいえるだろう。




■川俣




さてここでいよいよ川俣湖にアプローチする…のだが、残念ながらこの日は所用があって時間切れとなり、目指す川俣温泉:ホテル清和園の露天風呂には届かなかった。ここにはかなり立派な金精神が祀られていると聞いていたのだけれど…まあ仕方がないか _| ̄|○ 休憩して一息ついたら引き返そう。




しかし、神は筆者を見捨てなかった模様である。湖畔のドライブインに、それはあった。




もう日没も間近の川俣湖。




よくみると湖畔にはツツジが咲いていたりして超望遠で狙えば面白い写真が撮れそうだ。




そんな湖畔のドライブイン(…といっても自販機しか無い)の一角に、なにやら雑多なものが祀られている。一言でいうと、物凄く妖しい。しかし堪能している時間は無いので、とりあえず缶コーヒーでも飲んで…

…と、思った瞬間に目が合ってしまった。



本日最強のインパクトで登場した金精神。まさか顔が彫ってあるとは…_| ̄|○

由緒などは一切記されていないので、ここになぜ金精神があるのはよくわからない。漢音様とセットというのも意味不明である。…たぶん意味を見出そうという試みそのものが無意味な気がする(^^;)




真面目な探訪の筈なのに、シュールなオチがついたところで今回はおしまい( ̄▽ ̄)

…次回はちゃんと道鏡のその後を取り上げる予定です。

<完>




■あとがき


本来ならこの取材をしてから挑みたかった "奈良編" とは前後してのレポートになりました。それにしても、普段は気にも留めないシロモノではありますが、金精神の痕跡というのは意外と残っているものだな…というのが正直な感想です。今回紹介したのは誰でも見られる比較的パブリックなものを中心に探ってみましたが、これ以外に個人宅で祀ってあるもの (感覚としては庭先の稲荷社みたいなもの?) もあり、全体数がどのくらいあるのかは筆者にもわかりません。

山岳部ではなく平地にあるものとしては宇都宮市街〜鹿沼付近に比較的多く見られると言われますが、あまり実例収集に深入りしすぎてサイトの方向性を見失ってもいけませんので、ほどほどに切り上げて旅と写真のサイトのスタンスに戻りたいと思います(^^;)