2009.03.28 那須基線:縦道を行く(その2)






さらに進んで四区町に入った。




それにしても、理屈ではわかっていても鴫内山に向かってあまりにもビシッと道路の直線性が保たれているのを見ると感心してしまうな…。




そろそろ那須疎水本幹が近い。昭和40年代の総合開発事業で随分水利が改善したとはいえ、本幹を越えた山側に至るともう潤沢な水は使いにくくなる。那須西原ではこのあたりが水田耕作のできるぎりぎりの地区といえるだろう。




煙草屋のある十字路を越えると、そこから先の縦道はセンターラインのない田舎道となった。




みると観象台(北端側)跡までの道標がある。那須疎水分水堰までが同じ距離なのは、どちらも同じ位置にあるからである。那須疎水本幹の掘削工事は、当時ほぼ唯一の "目立つ目標物" であった観象台の櫓を目標に進められた。筆者には土木の素養はないのであくまでも想像になってしまうが、本幹16kmを5ヶ月という当時としては驚異的なスピードで掘削できたのには、もしかするとそのような利便性(→測量の手間が省ける?)が絡んでいたのかもしれない。




さて四区町の北端=東北自動車道の高架が見えてきた。よく見ると高架の向こう側にゲートがみえる。




これがゲートである。ここから先は農水省管轄の 「畜産草地試験場」 の敷地になっており、一般車は通行できない。
ここは草地試験場になる前は馬事研究所が置かれており、昭和16年頃にオリジナルの縦道が敷地内に取り込まれてしまったらしい。

未舗装になっているのは草地試験場がアスファルトを剥がした訳ではなく、もともと未舗装だったものだ。現代の感覚だと道路はアスファルトで舗装されているのが当然のような感覚を持ってしまうけれど、日本の道路の舗装率は戦前は大都市部を除くと1%程度でしかなく、当然縦道も未舗装であった。

※舗装についての薀蓄はこちらヽ(´ー`)ノ




■観象台(北端)




草地試験場は抜けられないので多少回り道をしてみた。実は1kmほど北上した位置にある那須疎水に隣接する道路には一般車両もある程度は入れるので、そこで縦道に再合流できる。そんな訳でいったんR400に出て、那須疎水沿いに第四分水堰に入ってみると…




おお、ちょうどそこに縦道が抜けてきているヽ(´ー`)ノ




那須疎水から草地試験場正門方向をみるとこんな風景である。矢印のあたりが観象台(北端)の跡で、すぐ向こう側をR400が走っている。縦道は観象台跡からは20mほど西側で終端となっており、草地試験場の正門に接続している。

南端側と同様に、ここでも観象台の櫓(やぐら)は測量終了後すくなくとも数年間は取り壊されずに残存した。そのため道路のほうが櫓を少し避けるような形で横に寄ったらしい。




この付近の地理を図で示すと↑のようになる。地図上で縦道の終点と那須疎水、R400が重なっているが、これは単なる偶然ではなく、いずれも工事を行う際の目標物として観象台(北端)の櫓を利用したためにこうなったと言われている。

※R400が 「く」 の字型になっているのは三島の碁盤の目からいったん赤田山(丘みたいなものだが櫓よりは大きい)を目印に道路を開削し、その後観象台を目指したのではないかと筆者は想像している。塩原渓谷の入り口にあたる関谷からは直接観象台を目指したようで、その区間の道路の直線性はやはり見事である。




さてこれが草地試験場正門前にある観象台(北端)の跡地である。塚の下には現在も測量基準となった標識が埋まっている。R400に隣接しているのでクルマからもよく見える位置なのだが、正直なところ意識して見ないと記憶には残らないかもしれない。そのくらい地味な史跡である(^^;)




塚の傍らには礎石が置かれていた。案内板によると、以前はここから50mほど南東にあったという水準標らしい。水準標とは標高を測る際の基準点で、「不」 の字型のマークの横棒のところが標高を示す。本来こういった標識は動かしてはいけないものだが、陸軍の設置したもの(その後の正式な測量の基準)ではないためこうした形で処理されたとようだ。




ここにいつ頃まで観象台の櫓が建っていたのか、筆者がにわか調査した限りでは明確な記録はみつからなかった。昭和16年頃には "発掘" が必要なほど状態が悪くなっていたと言うから、どこかの時点で必要性が薄れて櫓 (やぐら) は自然倒壊したか取り壊しとなったものと思われる。

明治も中期を過ぎると、陸軍による相模基線を基準とした三角点が着々と増え地図が整備されていった。また那須野ヶ原でも主要道路と疎水がひととおり開通し土地の境界も定まった後は、もう何kmも離れた所から観象台を目標に土木工事を行うというシチュエーションはなくなった。観象台の櫓は、そのころにはひっそりと役目を終えていったのだろう。

<つづく>