2013.03.24 鉄と日本刀を訪ねる:関編:後編(その3)




■ 刃物会館で包丁を眺める




さてそうこうしているうちに時間が経ってしまった。実はこの日、折り返し鍛錬は2回実施されることになっており、勢いでその2回目まで見てしまったので(笑)あとの時間割が厳しくなってしまったのである。




気が付けば使える時間はあと2時間を切っている。フェザーミュージアムも見てみたかったけれど、移動の手間を考えるとこの後立ち寄れるのは刃物会館と元重の碑くらいがいいところだろう。ここからはダッシュモードでしゅるるる〜んと行ってみたい。




そんな訳で次の見学先は刃物会館である。

ここは商工会議所の宣伝部みたいな位置づけの施設で、現代の関の刃物産業のアンテナショップになっている。建物には日本輸出刃物工業組合と岐阜県関刃物産業連合会が同居しており、一般人は売店部分にしか入れないけれどもいろいろな商品をまとめて物色できる。

ちなみに関の産業組合は全部で7つの会派があり、まとめて岐阜県関刃物産業連合会を形成している。大雑把にいえばかつての鍛冶座の末裔みたいなものと思えばいい。




内部はこんな感じで、一般的な土産物店とあまり雰囲気は変わらない。ちょっと風変わりなのはお客さんと店員氏が刃物談義でずいぶん長話をしているところで、そういう意味ではややマニアックな人が集うところなのかもしれない(^^;)




日本刀はさすがに真剣は売っておらず(笑)、模造刀だけ。

…とはいえその模造刀の国内シェアは関市が最大なのだそうで、今回の旅に先駆けて筆者の購入した模造刀も実は関市で造られたものだった。

ちなみに模造刀には、飾って楽しむだけの安価な美術刀と、実際に振り回すことのできる居合刀がある。通販サイトで1万円以下で売っているようなものはほぼ美術刀と思って良く、下手にブンブン振り回すとミシっ…と逝ってしまうので注意されたい(^^;)




ところで筆者は今回 "日本刀" の切り口で関を訪れている訳だが、現代の関にあっては売れ筋の中心は包丁やナイフである。店舗内ではちょっと高級な包丁の展示が多かった。



包丁に関する薀蓄(うんちく)は日本刀の作り方に通じるところが多い。量産性を上げるために型はプレス抜きしているようだが、鋼材は種類の異なる金属を積層しており、折り返し鍛錬された鋼をイミテートしている。それってどちらかというと近代ダマスカス鋼じゃないの的なツッコミはまあ置いておくとして、国内シェア55%というのは何とも堂々たるものである。




よく鍛錬されて造られた包丁は、地鉄の文様が面白く浮かび上がっていた。日本刀とイコールではなく、あくまでもモドキ的な作り方になるけれども、その独特の風合いから人気は高い。




筆者も伊達と酔狂で一本欲しくなったのだが…さすがに道楽旅行も5日目となると財布事情は厳しく、ここはグっと我慢(^^;)   ちなみに価格帯は1万円〜5万円ほどで、売れ筋は2万円前後の三徳包丁であるようだった。ネットの口コミ評価を見るとユーザーの満足感は高いらしい。




製作途中の実物が展示されていたので聞いてみると、鍛造から刃付けまで全部一人でこなす職人さんの加工サンプルだった。今では関鍛冶も分業が一般的になって、すべての作業を自己完結できるのは齢八十のこのご老体しかいない。

昔の鍛冶(野鍛冶は特に)は一人であらゆる作業をこなした。しかしそういう時代はもう過ぎ去って久しい。そのかわり、細分化された仕事を、工作機械を駆使してそれぞれの専門家が手掛けている。良くも悪くも、近代工業というのはそういう流れの中にある。




両者を隔てるのは "工芸" と "工業" の違いそのものだ。何が違うのかといえば、工業はひたすら実用本位、それに対し工芸には文化とか伝統といったレトロチックな付加価値がつく。

もとは一体だったものが、機械加工技術の進歩や世相の変化によって分離していき、ある時代に工業だったものがやがて工芸になっていく。そして後継者が絶えたのちは、運がよければ博物館に収まって歴史の一部となり、そうでなければ静かに消えていく。…世の中で圧倒的に多いのは、実は後者である。




いまこうして店頭に置いてある販促サンプルも、そのプロセスの一部としてみると感慨深い。関の刃物産業は近代工業としてこれからも続いていくのだろうけれども、ここに注がれたある世代のノウハウはやがて失われていく。誰にも止めることのできない小さな栄枯盛衰の輪廻が、ここでは静かに進行しているようだった。


<つづく>