2015.03.28 早春の茶臼岳に登る(その3)



 

■ 崩壊する溶岩




休憩しながら、溶岩塊の様子などを眺めてみた。筆者が今いるところは山頂全体が巨大な溶岩塊で、一体ものの土饅頭みたいなものだ。それが600年余りの経過の中で徐々に風化し、表面が崩壊しつつある。

ここに示した写真はその途中の段階がおもしろく見えているものだ。高さにして6〜7mほどありそうな溶岩隗が、風化によって幾筋もの亀裂を生じて崩壊しかけている。放っておけばそのうち崩れて、石を積んだケルンのような状態になることだろう。




これは季節あるいは昼夜のサイクルで繰り返される寒暖差による風化だそうで、特に溶岩に浸み込んだ水分が冬季に凍結することで、徐々に亀裂が広がるという。こういう崩壊しかけの溶岩隗は山頂付近に無数に転がっている。




ちなみに寒波が到来したときの様子(実は4月後半 ^^;)はこんな感じになる。山頂の気温は厳冬期には-15℃くらいまで下がるので、この気象的な冷却と地熱の綱引きによっても、崩壊は促進されているのかもしれない。

この茶臼岳山頂の風化溶岩の面白いところは、ドームが出来たのが室町時代前期(1408 〜 1410) で年代が明瞭に特定できるところだ。その後の噴火は山頂ではなく西側側面の無間地獄(現在の噴気孔)の周辺になるので、山頂の溶岩崩壊はほぼ600年分の風化作用の結果と考えてよい。こういう綺麗に定量化できる風化サンプルというのは、実はとても珍しいのである。



 

■ お釜の周辺




さて携帯食のアンパンはあっという間に胃袋に収まってしまったので、山頂を極めた後はリターンフェーズに入りつつ旧火口の周辺を歩いてみることにしよう。この写真で眼下にみえているのが旧火口である。




ここは登山道と呼べるほどのきっちりとした道は整備されていないのだが、地図上には周遊コースなるものが書かれていて、そのラインのとおりに歩くと一周はおよそ600mほどになる。




ところで一般に火山の火口は "お釜" と呼ばれることが多いのだが、最近できた標識では "お鉢" という表現になっていて、ちょっと違和感を感じる方もいるかもしれない。

実は富士山でも似たようなことがあり、火口は "お釜" なのだが、その周辺を回るときは "お鉢巡り" と称している。これはどうやら山岳修験の名残であるようで、火口を仏陀の坐する蓮の花に例えたものらしい。蓮の花は花弁が八枚あって仏教ではこれを八葉蓮華(はちようれんげ)などというのだが、ここから転じて "お鉢" なのだそうだ。




つまりここをぐるりと歩くのは、即席の山伏となって大日如来の神様パワーをいただく儀式をしているのと同じということになるらしい。残念ながら筆者は信心が足りないようで霊験あらたかなパワースポットを訪れても超能力とか強運を授かったためしがないのだが(^^;)、まあそのあたりは気持ちの持ちようと理解することにしよう。




さて足元の雪は、地熱具合を反映しているのか、ところどころシャーベットのような状態になっている。柔らかいかと思えばつるつるのアイスバーン状態になっているところもあり、なかなかに歩きにくい。



そんな斜面を少し下って、お釜西端のやや雪の残るところから大倉山方面を見てみた。やはり雪山は美しい。なんだか絵に描いたような風景だなぁ…ヽ(´・∀・`)ノ




筆者的には那須の山々を歩くのは紅葉の季節が多く、実は雪山に上る頻度は少ない。でもこういう風景を見てしまうと、やはり冬山(実はもう春山なのだが ^^;)もいいものだと思う。

こんな景色の良いところに楽に登ってこられるのは観光インフラとしてのロープウェイが整備されているからで、さらに遡っていえばここに硫黄鉱山が開かれた幕末にその端緒を求めることができる。そう考えると、歴史の集積というのはなかなかに偉大なものであるな。



 

■ 雪渓




さてお釜をめぐりながら、登ってきた時とは逆方向から火口の底を覗いてみた。底の部分は即席の池になっている。雪解け水が溜まっては、夜間に凍る…というのを繰り返しているものらしい。




池の氷は、表面が割れて流氷みたいな外観になっている。もしかすると諏訪湖の御神渡(おみわたり)のミニチュア版のような感じでこうなったのだろうか。




火口内ではもう一段高いところにも池ができているのだが、こちらは凍結というより半シャーベットという感じだった。五月連休の頃には無くなってしまうであろう薄命の水辺である。




実はこのシャーベット池は、火口北端側のピークから流れ出す短い雪渓によって作られている。




長さにしてせいぜい100mくらいの小さな雪渓は、その先端部分でこれまた小さな水の流れを生じていた。ここから全長30mばかりの小さな川の流れが生まれ、さきほどのシャーベット池に注いでいる。おそらくそこで地下に浸透してしまうのだろうけれど、もしこれが火口の底ではなく山の外側の斜面であったなら、那須野を潤す雪解け水の一滴となっていたかもしれない。




川の始まりというのは、こんな山のてっぺんに積もった雪が原資となっている。いったん地下に浸透してしまうものもあるが、やがてそれらはふたたび湧き出して、沢となって山を流れ下る。その最初の流れは雪解けの頃だけ水の流れる枯れ沢のような体裁で、やがて下流側で常時水の流れる沢となり、それらが集合して川となっていく。

…春の農作業で使われる水は、そうやって里に供給されるのである。




その流れる様子は、地形図を3D可してみれば一目瞭然となる。山から下る谷筋は小さなものも含めてほぼすべてが水の流れによるものだ。こんなにもたくさんの河川に潤されて、那須高原の緑の野は維持されている。その源が目に見えるのが、ちょうど今頃の山頂の風景ということになるのだろう。



 

■ 撤収




さて筆者はぐるりとお釜の周辺を歩いたのちに、峯の茶屋経由で降りようとした。・・・が、そちら方面から登ってきた人に 「雪の具合はどうでしたか」 と聞くと、「結構あるねぇ」 とのこと。特に中の茶屋跡のあたりが深いらしい。うーん…




しばし逡巡し、ここは強行突破は断念してロープウェイで降りることにした(^^;)

なにしろ今回は、足回りが普通のトレッキングシューズである。雪の崖っぷちコースを行くのは少々まずかろう。次回は幾分かの装備を整えるとして、今回は撤収するべきだ。




そんなわけで、雪の多そうなところは避けて、登りと類似のコースで溶岩ドームを下っていくことにした。ここはまだお釜の中。




折口の分岐点(ペンキで矢印が書いてある)から、山頂駅に向かうコースをとる。




途中、雪の上をスタスタと歩いていく登山者を見る。そこ、登山道じゃないんですけど…とツッコミを入れつつ、まあ Let it be 式に見送る。ちゃんとアイゼンを装着していればこういう芸当もできるわけだ。




さてこの先は登りと同じ説明するのもアレなので省略。




まだ十分日も高かったのに少々勿体ないと思いつつも、まあ山頂に立つ目的は果たしたので贅沢は言わないことにしよう。

…結論としては、"雪山はやっぱり風情があっていいねぇ" …ということで♪ ヽ(´∀`)ノ


<完>