2015.03.28 早春の茶臼岳に登る(その2)



 

■ 溶岩ドームを上る




さて砂礫の斜面を上っていくとやがて溶岩ドームのガレ場に差し掛かる。本日の筆者の目標は、山頂に到達して景色が見られればOKという単純ミッションである。もともと軽装であるし、ドームから外れると雪が深くなってしまうのでそもそも自由度は少ない。ここは今川義元の首を狙った信長を見習って、余計な誘惑には乗らずに一点突破でゆるゆると(…それじゃ信長的とは言えないのだがまあ ^^;)いきたい。




ところでこの溶岩ドーム=の土饅頭のような地形は、応永15年(1408)〜応永17年(1410)の噴火の際に粘性の高い溶岩が盛り上がって形成されたものだ。火山の時間スケールでいえば600年というのはかなり至近で、まだ出来立てのホヤホヤといっていい。

※応永噴火の直前に九尾の狐伝説で有名な玄翁和尚による殺生石済度(石を割った伝説の元になった催事)があり、関連を調べるとなかなかに面白かったりする(^^;)




ここは地熱が高いので雪はあまり積もらない…というのは先に述べたとおりだが、温度分布はまだらなので雪はマーブル模様状に分布している。登山道の正規ルートは残念ながら雪の多い部分を横切っていて歩きにくい。

ただごらんのとおり視界はよくきくので、今回はルートから多少外れても雪の少ないところを縫って行くことにする。





ちなみに雪の少ないところには小さな噴気孔が無数にあって、高温の水蒸気が噴き出している。勢いは大したことはなく薬缶の湯気くらいのものだが、これがあるお蔭で雪が積もりにくく、軽装でもアプローチできる訳だ。この点、火山の神様には素直に感謝しておきたいと思う。




周囲を見渡すと、もう登山道(…というほどのちゃんとした道にはなっていない ^^;)はほぼ無視して、皆思い思いのルーティングでガレ場を上り下りしている。




このへんは 「正規コースから外れちゃダメ!」 などと杓子定規なことは言わずに臨機応変に対応したい。下がどうなっているのか確認できない雪の上より、地面の露出部を踏んでいくほうがよほど安全だと思う。




さてだんだんと急傾斜の部分に差し掛かってきた。浮石が多いのでこういうところでは三点支持を心がけるようにしていく。




振り返ると眼下はこんな感じになっている。雪の上で線のように見えるのは落石の転がった跡で、ここで足を踏み外すとあのあたりまで転げ落ちることになる。くわばらくわばら。

※下に人がいる可能性もあるので、決して石を転がしたり蹴ったりしてはいけない




急傾斜の難所を越えたところで、今度はちょっと大きめの雪斜面に遭遇。ここは無理に正面突破はしないで、横にそれて巻きながら回避していく。うーん…さすがにこういうところでは軽アイゼンくらいは欲しいな(^^;)




すれ違う充実装備のクライマー氏たちは、しっかりとしたアイゼンを装着していた。本来はこういう足回りで登るべきで、筆者のように普段履きのトレッキングシューズで突っ込んでいくのはあまり褒められたものではない。ここは少し反省して、次回までには安いのをひとつくらい揃えておくことにしようか…




急傾斜の部分を乗り越えると、本来の登山道(ペンキで印がある)に合流して、お釜の縁に到達した。山頂(最高点)はここを半周した先にあり、もうあと300mばかり歩く。

※ところで写真手前の地面が赤っぽく、奥側が黒っぽく見えているが、これは含まれる鉱物が異なるものだ。黒っぽいのは玄武岩質の溶岩隗、赤っぽいのは鉄明礬(硫黄と鉄分の化合物)である。茶臼岳の噴気には大量の硫黄が含まれているので、山頂周辺には純硫黄の黄色や鉄明礬の赤などで着色された部分がある。そういう予備知識をもって山を眺めると、また一味ちがった愉しみ方ができると思う。



 

■ 山頂




そんな訳で、まもなく山頂の神社の鳥居に到着。久しぶりに登ってきたぜよ〜♪ ヽ(´・∀・`)ノ




鳥居を超えると360度の視界が開ける。おお、これだよ、これが見たかったのだよ〜♪

正面には福島県との県境になっている流石山〜大倉山〜三倉山〜唐沢山の稜線。画面左下には三斗小屋宿の跡地も見えている。雪具合がなかなかによろしい。




三斗小屋宿跡を300oで捉えるとこんな風である。拡大すると灯篭も識別できる。今日は大気の状態が安定しているとはいえ、茶臼岳山頂からも結構見えるものだな。



那須岳神社は今年も壮健のご様子。寒気団が来るとGWの頃でもバリバリに凍ってしまうのだが今年は暖かいせいかすっきりとした外観だった。

さて以下は、ここからぐるりと眺めた景色をひととおり並べてみたい。




まずは田島方面。七ヶ嶽の特徴的な長い尾根筋(七つの峰が連続しているので七ヶ嶽)が那須側からもよくみえている。その奥に見えるのが会津駒ヶ岳〜丸山岳の稜線で、そこを越えるともう新潟県の魚沼盆地になる。




その七ヶ嶽をやはり望遠目一杯(300mm)でズームしてみた。南山御蔵入騒動について書いた時に走ったのが丁度あの辺りだ。もう4月になろうという時期なのにこの雪具合であるのをみると、江戸時代に廻米(例年旧暦3月に行われた)を行ったのがいかに大変な(というか非常識な)事業だったのかがわかる(^^;)




南側は、日の出平と南月山だ。向こうのほうが標高が低いのに雪に埋もれているのは、くどいようだが現在いる茶臼岳が地熱の影響をうけてることの意趣返しでもある。

ただ季節が進行すると向こうのほうが鮮やかになり、6月には那須地方では最も遅い桜の開花が日の出平でみられ、石楠花(しゃくなげ)の自生株も開花する。溶岩ドームには植物はほとんど無いので、草木の季節には総合的に華(はな)はあちら側にあるといえるだろう。




東側の那須高原方面はちょっと霞がかってきてしまった。雲はどんどん流れているのだが逆光気味なのでちょっと絵としては冴えない(^^;) …しかしまあ、会津側と違って、那須高原側には雪がほとんどないのが明瞭にわかる。




遠くで煙りが見えるのでアップにしてみると、どうやら小深堀のあたりで野焼きをやっているらしい。那須高原は関東地方の中では最北端部にあたり季節の進み方は遅いほうだが、それでももう農作業の暦は巡りだしている。早生(わせ)種の牧草はもう伸び始めているし、二毛作の水田では春小麦も芽吹いている。

こうしてみると、やはり太平洋側に開けた地形というのは季節の立ち上がりが早い。…翻って考えてみれば、"山ひとつ越える" というのは想像以上に大変なことであることがわかる。




これを理科の教科書風に漫画図(↑)にするとこんな感じだろう。これは日本列島の断面図で、新潟県の新潟市から、茨城県の日立市までを一直線にカットしたものだ。この切り口の真ん中付近に、ちょうど茶臼岳がくる。

ここに冬季、シベリアからやってきた季節風が対馬海流によって大量の水蒸気を含んで雲を発達させ、日本列島の山脈部分を超えるときに大量の雪を降らせる。それが脊梁山脈を越えたところで乾いたからっ風となって吹き下ろすというものだ。冬はすっとこんな状況が続き、春になって南風がやってくると解消していく。

特に筆者の居住する栃木県にあっては、那須〜日光の山々が太平洋側気候と日本海側気候を分割する境界(脊梁山脈)になっている。いま見ているこの景観は、それを非常にストレートに反映しているといえる。




さてぐるっと回って最後の北側はこんな感じで、三本槍岳方面はやはり真っ白であった。




見ればそのさらに遠くに、普段はあまり見えない山の姿が浮かんでいた。

方角からするとこれは新潟県の大日岳〜飯豊山だろうか。大日岳だとすれば直線距離で80kmほどあることになる。…であるなら、春霞の多い季節にしては珍しく遠景まで視界が通っているということか。…こりゃ凄いね。

※ちなみにこの山塊を境界にして東側は山形県(米沢市)である。




実のところ、春の日本上空の大気状態というのは、中国大陸から黄砂(最近はPM2.5なども ^^;)が飛んでくるのであまりすっきりとしないことが多い。それを鑑みると今日はかなり当たりくじを引いているのかもしれない。




…ということで、ここで小休止。

おやつ代わりに持ってきたヤマザキパンのアンパンは、今回も包装がしっかりしていてパンパンに膨れ上がっていた(→山は気圧が低いためこうなる ^^;)。

ひとまず、これでエネルギー補給しながらゆったりしよう。


<つづく>