2014.04.12 那須野ヶ原の桜の見所を行く(その3)



 

■ 大田原神社〜城山公園(大田原城)




さて東那須野公園を出てからは、桜を追いながら r53 を南下して大田原市に至る。これは今泉の蛇尾川沿いの桜。堤防にもいくらか桜並木があるけれども今回はとりあえずスルーして先に進む。




やがてお目当ての城山公園がみえてくる。ここは大田原城跡公園、龍城公園などいくつかの名称があって、一応 "龍城公園" が正式名称ということになっているのだけれども、地元の人は誰もその名では呼ばない。単に 「お城山」 という親しみを込めた呼び方が一番通りがよい。
 



本日は "さくら祭り" で城内の駐車場は進入禁止なので、筆者は隣接する大田原神社側に登ってみた。台数は少ないがここには外部からはちょっと見えにくい位置に、小さな公園を兼ねた駐車場がある。結構これが、使えるのである(^^;)




さすがに駐車場だけ借りるのでは申し訳ないので一応神様にはキチンとご挨拶♪

よく見ると、ここには桜が一本もない。大田原神社は母体が温泉神社で、何度か位置を変えているうちに名称が大田原神社に変わったものなのだが、温泉神にとってはどうやら桜はあまり重要な意味をもたないとみえる。




一方、隣接する護国神社の周辺には桜が多く植えられていた。ここは戊辰戦争の戦没者を祀ったところなので、桜は明らかに慰霊の意味がある。神社の桜は本来、戦没者慰霊碑や忠魂碑などの周辺にあることが多く、ここでもその基本文法が見えているということなのだろう。




さて神社からは陸橋を渡って城山側に渡っていく。陸橋から見下ろす道路は旧奥州街道で、大田原城は巨大な城門としてこの道にフタをするような立地で作られている。このような構造となった理由を書き始めるといろいろ面白い話ができそうだが…




とりあえず今回は花見がテーマなので、歴史的な薀蓄はほどほどに(^^;)、桜祭りの行われている山頂部に登ってみよう。




山のてっぺんの城砦跡は、現在では城山公園(龍城公園)となっていて花見の名所となっている。一時期は美原公園にお株を奪われていた時期もあったけれど、久しぶりに来てみるとまた賑やかさが戻ってきているようだ。




ふむ…今年は大田原の市制施行60周年なのか。10年毎に記念イベントをやると平成の合併と併せて結構忙しくなりそうな気もするけれど(笑)、まあ祭りの口実に小理屈は無用かなw


■ 土塁と桜について




さて城山公園の見所は、桜も見事ではあるけれど実は土塁の保存性の良さにある。花見客の背後にある土手のようなものがそれで、今ではここに桜が植樹されている。

土塁は読んで字の如く土を盛って突き固めたもので、東日本では伝統的に石垣を作らず土塁で防備を固めた城が多かった。土ゆえに古い廃城では風化して痕跡が不明瞭になっているところも多いのだが、大田原城は明治維新まで現役だったために古式な様式が美しく保存されており、城塞マニアにとっては実はひそかにポイントが高い。




郷土資料である 「大田原市史」 (大田原市/1975)をみると、既刊の書籍ではほとんど唯一ではないかと思われる戊辰戦争当時の大田原城の模型写真が載っている。どうやら元ネタは自衛隊の戦史関連の資料らしいのだが、土塁の上には長屋のような多門櫓がぐるりと巡らされていて、なかなか侮り難い防御力があったことを感じさせる。

この土塁は戦国時代が終わって以降260年あまりこれといって役に立たないままに時を過ごしたのだが、慶応4年(明治元年)の戊辰戦争のときに会津兵による攻撃を受け、ほとんど唯一の実戦経験をかろうじて耐えた。大田原藩兵+新政府軍の主力が白河に出陣している最中に10倍の敵に囲まれてのことだから、まあ良い仕事をして最後の役目を終えたといえるだろう。




戊辰戦争ののち、城は明治5年に廃城令に基づき新政府に引き渡されて、建物の取り壊しが行われた。跡地は同19年に松方内閣の大蔵大臣渡邊國武の所有となり、50年あまり経って昭和12年、渡邊家から当時の大田原町に寄贈された。このときはじめて城は一般人の出入りできる公共の土地(公園)になった。




史跡としての認定を得て公園としての整備が本格的に進んだのは昭和30年代で、現在我々が目にしている桜は樹勢からみて恐らくその頃に植えられたもののように思える。




斯くして、かつての戦国の城は今では花鳥風月を愛でる憩いの場所となっている。ほんの150年ほど前までは一般人など立ち入ることのできなかった本丸内で、いま我々はのほほんと花見に興じているのだから時代も変わったものである。




…と、そんな感慨に浸りながら、売店でタイヤキを買って頬張ってみた。なぜタイヤキかというと…大した意味はないのだが(笑)




そのタイヤキを頬張っているあいだ、ステージの上のマイクパフォーマンスに耳を傾けてみた。地元のローカルバンドが 「お〜お〜大田原〜大田原〜♪」 を連呼しており、どうやらいわゆるご当地ソングを披露しているようだった。こういう試みは、面白い。

あまりにも歌のテーマが地域限定すぎてメガヒットの予感は最初から皆無だが(ぉぃ)、地元愛に溢れる熱い魂の叫びは伝わってきた。「新幹線が止まらなくなって…、高速道路のICが無くたって…、ほっ…星がきれいだぜ…orz」 のくだりは思わずホロリとさせられる。

嗚呼、大田原市民に光あれ…ヽ(´ー`)ノ

 
<つづく>